工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

Archive for 本の話

「文明批判」のつづき

2013年 4月 29日

このサイト、1月に1回は更新することに決めていたのですが、それどころではない! という感じで、お休みしました。10年前に出した『ヨーロッパ文明批判序説』のつづきを、ようやく入稿したところ。ちょっとばかり解放感を味わっています。「続編ですか?」と担当の編集者に正面から質問されて、ウーム、どうかなあ…「近代批判」という意味では連続した仕事なのだけれど、ただし切り口が違う。今回は「文明」ではなくて「宗教」です。

ところで「文明」という言葉のいかがわしさ、お気づきですか? ボストン・マラソンの事件も、予想にたがわず「文明の衝突」というメディア受けする物語に回収されそうな勢いです。背後には、あの「巨大な犯罪組織」であるところのチェチェンの「イスラーム・テロ組織」が、と早速ロシアのニュースがしたり顔に解説していました。「文明と宗教」をセットにした判りやすいプレゼンテーションは、いずれブッシュ前大統領の「悪の枢軸」という暴論に行き着くはず。これは危険です。

「文明の衝突」(もしくは「対話」)という理論は、1970年代からの世界的な「地殻変動」をもはや有効に説明しきれないとする批判があります。わが国では相対的に知名度が低いけれど、オリヴィエ・ロワはジル・ケペルとならんで現代イスラームについての発言を傾聴されている第一線の研究者。現代世界を「脱テリトリー」と「脱文化」というキーワードによって横断的に読み解くという野心的な比較宗教学の構想を数行で紹介するのは、なかなかむずかしいのですが。

たとえばペンテコステ派などのプロテスタントにせよ、急進派サラフィズムなどのイスラームにせよ、本来のテリトリーを離れて急成長している今日の原理主義的な宗教勢力は、特定の文化との結びつきを放棄することで「普遍性」の外観を身にまとう。つまり、宗教は「脱文化」という戦略により「グローバル化対応」を成し遂げるのだというのが、ひと言でいえばオリヴィエ・ロワの見解です。

テロなどの過激な行動に走る若者は、たいてい日の浅い「改宗者」つまり即席の「イスラーム」であるとのこと。親族も離散して、根づきの場としての祖国を追われ(=脱テリトリー)、文化との紐帯を断ち切られたまま(=脱文化)世界を漂流している若者たちの存在に、目を向けるべきではないか。こうした孤独な若者たちは、それこそ星屑ほどもある「グローバル化対応」の組織をあちこちと、イスラーム系であろうと福音主義であろうとおかまいないしに渡り歩く。実社会との絆を失った人間がインターネットのサイバー空間を浮遊し漂流するという現象が、じつは社会に対する「攻撃」を懐胎するのである――という趣旨のことを、オリヴィエ・ロワは2004年の『グローバル化したイスラーム』(L’Islam mondialisé)のなかで語っています。ところで、わたし自身は、たとえばこうしたポストモダン的状況を見極めるためにも、くり返し近代に立ちかえり、批判的な読解を更新すべきだと考えているわけで、「宗教と文化」という切り口からヨーロッパ近代を読みなおすというのが、今回の著作の主要な目標です。

さて、原稿が手を離れた直後から、積んであった本を読みはじめました。石橋正孝『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険――ジュール・ヴェルヌとピエール=ジュール・エッツェル』――昔、駒場の教養課程でカリキュラムの大改革をやったとき、その成果を公開しようということになり、全ての開講科目(膨大な数…)の担当講師から推薦してもらったレポート(あの頃は殆どが手書きだった…)を編集委員会が審査して、分厚い「学生論文集」を編んだことがあります(深夜の研究室で、わたしが学生たちの原稿のゲラ校正をやった…)。その時に、ミシェル・ビュトールを全部読んでいる不思議な文学少年として記憶に残った1年生が、この書物の著者になりました。

フランスの大学でしっかり研究のマナーを修得したことで、同じフランス文学の同じ作家を研究する同業者にしか読んでもらえない「専門家」になってしまったりすることが、ないわけではないのですが、このジュール・ヴェルヌ論は ① 留学先での最先端の草稿研究を踏まえた博士論文としての高度な立論 ② 今も健全な文学少年の閃き ③「編集」という、まあ言ってみれば現代日本の出版業界でも「市場性」のありそうなトピック、と三拍子揃っています。

編集者エッツェルなくしてジュール・ヴェルヌという存在はありえなかった、と事後的に確認するだけなら容易いこと。そうではなく、二人のあいだに一体どんな「システム」と「メカニズム」があって「驚異の世界」というシリーズが生産されたのか、という話なのです。面白いのは「小説家=出来事の配列をやる人」と「作家=文体を練る人」を対立的に捉えるという暗黙の了解があったらしいこと(もちろんフローベールには、こんな分類法はない)。エッツェルとヴェルヌの役割が「小説家」と「作家」に単純にふりわけられているわけではありません。なにしろ、この編集者はスタールというペンネームをもつ作家でもあった。経緯は複雑なのですけれど、ヴェルヌの手書き原稿へのエッツェルの書き込みや、手紙のやりとりから、創造の現場における「メカニズム」、そして書物の出版に至る「システム」を再現してみせよう、という目論見です。謎解きの手法としても、いくぶんジュール・ヴェルヌ的な冒険といえなくもない。

1304a1304b1304c

書物の山場は後半です。ミシェル・ビュトールのヴェルヌ読解が思考の滋養となったうえでの議論でしょうけれど、たとえば「北極点」や「地球の中心」というトポスは、ある種の「至高点」であり、これは「対立物の解決」する場所、つまりミルチャ・エリアーデが「聖性」に与えた定義に他ならない、という指摘があって、これがわたしの考える広義の「宗教的なもの」を不意に浮上させ、「ヨーロッパ宗教文化論」の展望につながりました。

19世紀は、たんに宗教が「後退」した時代ではない。「宗教的なもの」がカトリック教会の独占的な管理を離れ、いわば「自由化」されたのです。そこで、ヨーロッパ近代文化のなかに遍在する「宗教的なもの」を探りだそうというのなら、その手がかりと現物は「文学」のなかにある。というのが、目下わたしの実感しているところ。明示的に宗教的な事物というだけでなく、上記のような思考のパラダイムとか、空間の意味づけとか、もっと具体的な例としては、告解の習慣とか、人間の死に方とか、墓地の世俗化とか、その背後にある死生観の変化とか…。

ところで、ジュール・ヴェルヌは科学を一途に信頼していたのでは全くなくて、科学の進歩に対する不安と啓蒙の使命とのあいだに折り合いをつけるという課題を優先し、これに応えたのだ、という指摘も、なるほど、と思いました。ここで「科学」と「宗教」に話はシフトして、二冊目の本は、オーギュスト・コント『ソシオロジーの起源へ』(杉本隆司訳)。こうした志の高い出版企画により、「ヨーロッパ近代」の読みなおしが進展するのではないかと期待します。帯にも記されているように、コントは実証主義、社会学の開祖のようでありながら、晩年に「人類教」を打ち立てようとした人物。この知的遍歴は、おそらく予想外の「変節」ではなかった、人類に有用な「科学」を単純かつ無防備に崇拝するというだけの話でもなかった、というところまで明らかになることを願っています。

「一般近代史概論」(1820年)などを読むと、あらためて「文明」の概念抜きではヨーロッパ近代は定立しえなかったのだという事実が確認できるように思われます。「世俗化」は「近代化」の証しであるという主張は、それ自体が近代の産物にすぎないことを、わたしたちは常に念頭に置くべきなのですが、それにしても「世俗」の対立概念を、わたしたちは理解しているか、正確にイメージできるのか、というのが、わたしの逢着している大きな疑問。

もとがカトリック的な語彙である「スピリチュアリティ」は「精神的なもの」ではなくて「霊的なもの」であり、啓示宗教においては超越的な次元、つまり絶対者から降ってくる。これが教会の「霊的権威」です。そう考えると、島薗進『スピリチュアリティの興隆―新霊性文化とその周辺』が、むしろ自然宗教的な「スピリチュアリティ」の系譜に属する現代日本の「霊性文化」を語っていることに気づき、近現代の世界を網羅する大きな構図が見えてくる。またまた大風呂敷になりそうだから、この辺でやめますが、ひと言だけ。

フローベールの書簡を読んでいても、精緻な科学的思考を追求してゆくと、ついに「スピリチュアリティ」の領域に突き抜けるという感覚があったのではないかと思うのです。19世紀の知性が「宗教」と「科学」という語彙をどのように使い分けていたか。すくなくとも、水と油のようなものではなかったはず。若い世代の研究者たちは――マルクスを読んで知識人になった世代と比べれば――「科学=近代化=世俗化」をセットにする思考の硬直から相対的に解放されているでしょう。今後の展開が楽しみです。

最後の一冊。といっても、これは思わず乗り物のなかで読みたくなる本で、原稿の見なおしをやっていた頃に読みおえました。旦敬介『旅立つ理由』は、ANAグループ機内誌に連載された短篇がもとになっており、ただし、冒頭の話題とむすびつけるなら、旅にかかわる話といっても「文明」のエキゾチズムじゃありませんよ。一見「脱テリトリー」風でありながら「脱文化」へのアンチテーゼかアンチドート(解毒薬)みたいな力強い作品集。「フランス料理」とかネイションの名を冠したものではない土地の食べもの、それもなんだか不思議な素材の手作り料理が、ちゃんと食欲をそそるように書いてある。この方は、ハンモックで腰痛にならずに寝られるジャパーニらしいので、以前から尊敬しているのですが、ユカタン半島からアフリカのどこかまで旅をしてしまった由緒あるハンモックの話も傑作。土地も人間も風物も、見馴れぬ片仮名表記の連続で、すこし抵抗感のあるテクストが、ああ遠くまで来たんだなあと思わせる。紙面を堂々と占領する門内ユキエの華やかな挿画に誘われて、先へ先へとページをめくってゆくと、ブラジルのカーニバルの日、つかまり立ちをしていた赤ちゃん(ケニア人のアミーナとジャパーニの夫の息子)が、突然、生まれて初めて、よちよち歩きをした瞬間に幕! 

rimg1971rimg1965
M. Otuji

『国民アイデンティティの創造』と「異文化理解」

2013年 3月 4日

アンヌ=マリ・ティエス『国民アイデンティティの創造』(勁草書房)――じつはずうっと前から考えていた企画なのですが、ようやく形になりました。訳者は斎藤かぐみさん。気っ風がよくて、とても読みやすい翻訳です。わたしは「はじめに」と巻末の「解説」を担当しました。このグローバル化の時代に「ナショナル・ヒストリー」とか「国民文学」とか、それぞれのネイションの内部に閉じこもって議論をするのは不毛ではないか。という指摘は、昔からあって、みんな理屈じゃわかっているけれど、手頃な文献はなかなか見つからない。それで、以前に東大のフランス科で原書講読に使っていた書物を翻訳して、ご紹介したいと思った次第です。

4326248416

わたしが放送大学で立ちあげてきた「異文化理解」の教育プログラムとも関連しますので、まず、こちらを先に。現在は客員教授として東京渋谷学習センターの面接授業をオーガナイズしています。2013年度は、英語を含め12カ国語の外国語が開講されますが、その教育構想は?

ひと頃は「視聴覚」の外国語教育というのが流行って、今では「IT化」が先端的なのかもしれませんね。でも、面接授業は人と人の出会いが勝負です。わざわざセンターまで足を運んでパソコンを覗き込むなんて無意味でしょう? 参加型の授業で外国語の初歩を教えながら、同時に本格的な異文化理解の話ができるような、優秀な研究者に講義を担当してもらう。これがカルチャー・センターや巷の語学校との差異化という意味でも、いちばん効果のある戦略だと思っています。

初習の外国語は大方が入門編。なにしろ一定数の履修者を確保しなければ、閉講になってしまうので。そのかわり、くり返し履修できるようなシステムを作ること。そして、多様な外国語に挑戦するモティヴェーションとなるように、魅力的な人文系リテラシー科目を周囲に配置すること。これが当面の努力目標です。

というわけで外国語カリキュラムの多様化戦略と今度の翻訳出版は、じつは無関係ではないのです。とりあえず話はヨーロッパにかぎりますが、「国語=国民語」が、それぞれにいつ頃、どのような状況で誕生したか、調べてみたことありますか? まずドイツ語の現在は、グリム兄弟ぬきでは語れない。昔話や民間伝承を収集し、言葉のルーツを探索し、文法書と辞書を編纂する。その方法論と作業モデルをつくって、ヨーロッパ全域、とりわけスラヴ圏の言語政策を牽引したのも、ほかならぬグリム兄弟。ただの童話作家ではありません。

この領域ではバッジオーニ『ヨーロッパの言語と国民』という先駆的な研究があるのですけれど、なにしろ大著だし、これは専門家向きの理論的な言語学。ティエスの場合、政治や社会の背景をドラマチックに描きながら、ノルウェー語、セルボ=クロアチア語、ギリシャ語などが、それぞれに「国語」の体裁を整える経緯を記述する。今さらいうまでもなく「国民アイデンティティ」の基礎は「国語」の確立と普及によってもたらされる――これは19世紀末には、ほぼヨーロッパ全域で共有されていた認識なのでしょう。ピエール・ロティがオスマン帝国を旅したときに、現地の言葉をひと言も話せなくとも、オスマン帝国のパスポートは簡単に手に入り、誰も怪しまなかったと証言しています。これを新鮮な「異文化体験」として記録するロティの言語的感性にも注目のこと。

さて『国民アイデンティティの創造』は、ちょっとメルヘン的なケルトの話、18世紀半ばにスコットランドで無名の青年が「オシアンの詩集」を発見したというエピソードで幕を開けるのですが、関連するテーマをたぐりよせながら、ヨーロッパの時間と空間を横断し、最終的には多民族・多言語国家であるオスマン帝国が解体したあとのバルカン半島、今日も葛藤や紛争が絶えぬ地域まで、しっかりと視野に入れている。そのダイナミックな展開は見事です。

1924年に消滅したオスマン帝国のエリートたちが使っていた共通語を、アラビア語表記からラテン語表記に変えて、文法や辞書を整えたのが、現在のトルコ共和国の「国語」であるところのトルコ語です。で、突然、話は変わりますが、2学期の面接授業に、初めてトルコ語が登場します。1学期に開講される若手研究者によるリレー講義「イスラーム諸国の過去と現在」および「初めてのアラビア語:文化編」とセットになった「異文化理解」のためのリテラシー科目という構想です。

行ったり来たりの話は、この辺でやめますが、ティエスの本には、英国と大陸にまたがるケルト文化、博覧会や博物館、民族音楽、キルト・スカートなどの民族衣装、児童書、ワンダーフォーゲル、ツール・ド・フランス、プロレタリア教育、ファシズムと民俗文化といった話題がめじろおし。そうしたもの全てが「国民アイデンティティの創造」に貢献したという話です。言いたいことは、よくわかるでしょう?

1303113035
R.MINAMI

姦通小説論とジェンダー法学

2012年 2月 13日

〈それ以来、人の言葉のなかには、わけても美しい言葉があるとぼくには思われるようになった――「姦通」adultèreという言葉。えもいわれぬ甘美なものが、そのうえにふんわりと漂っている〉 

フローベールが二十歳のころに書いた小品『十一月』からの引用です。そういわれれば『ボヴァリー夫人』も『感情教育』も、じつは「姦通小説」なんですね。ずっと「恋愛小説」ということにしていたけれど、前言撤回です。バルザックの『谷間の百合』も、スタンダールの『赤と黒』も、メインテーマは青年と人妻の恋。でも、なぜ? フランスの若者は年上の女が好きなんでしょうね、本人が歳をとったら、若い女が好きなる、なんて、説明にもならない解説でオトコたちを喜ばせたりはいたしません。

民法と関係があると考えています。そう、1804年に制定された、いわゆる「ナポレオン法典」のことですが、ここで父権的な近代家族のモデルが立ちあがった。そして19世紀フランスにおける「姦通」とは、この家父長的な秩序に対する違反を指すのです。フランスで「民事婚」が認められたのは、大革命の混乱期、1791年のこと。さらに1792年、国の行政が住民の戸籍を管理することになり、はじめて婚姻の制度的な民事化が実現します。ご存じのようにアンシャン・レジームにおいては、人間の誕生と結婚と死が、カトリック教会によって管理されていた。単純化すれば「宗教婚」の社会で問われるのは「神の掟」が定義する「姦淫」の行為であるはずです。

先回のエッセイのつづきですが、まずナポレオンの民法典が法文化した「父権・夫権」がいかに強力なものか、ジャン=ルイ・アルペランの小冊子『コード・シヴィル(=民法典)』により一通り見ておきます。革命によって結婚という制度の「尊厳」が失われたことに対する反省として、民法典はA「もっとも神聖なアンガージュマン」としての結婚、B夫婦関係における男性の優位、C 厳しい条件のもとで許容される離婚、という三つ柱を立てたのだそうです。以下、ノート風に。

結婚には年齢制限があり父親の許可が必要とされる。「民事婚」は、身分吏立ち会いのもとでおこなわれる。結婚の「無効」を裁判で争うことができる。これが基本原則で、男女の不平等と女性の「無能力化」については以下の点を指摘しておけば、とりあえず充分でしょう。「夫は妻を保護し、妻は夫に従う義務を負う」(213条)。妻は訴訟能力がないものとされ(215条)、夫の協力または書面による同意なしには、財産の贈与、譲渡、抵当権の設定、無償または有償での取得の行為をすることもできない(217条)。結婚生活という個人のいとなみが家父長の監督のもとにあり、家庭の全体に国家が監督の目を光らせているという構図です。

委員会のなかでもっとも議論が沸騰したテーマは「離婚」だったとか。結果として採択された法文は――夫は姦通を理由に妻に離婚を求めることができる(229条)。妻も夫に離婚を求めることができるが、これには「愛人を夫婦の住居に住まわせた場合には」という条件がついている(230条)。つまり夫の家庭外での愛人関係については離婚の事由とすることはできない。さらに妻の不貞行為は3カ月から2年の禁固刑に処されるものとされた(298条)。ちなみに夫は有罪となっても罰金で済む。

まだありますよ。夫が妻の姦通現場において妻および相手の男性を殺害した場合には宥恕されるが、逆のケースで妻が殺人を犯した場合は宥恕の対象とならない(324条)。この恐るべき女性差別を議論の土台としなければ、19世紀フランスにおける「姦通の社会学」を構築することはできないと思っているわけです。ちなみに離婚制度は、王政復古期の1816年に廃止され、第三共和制になってようやく1884年に復活されるのですが、ただし1810年の刑法における姦通罪は、このときにも廃止されなかった……。

だんだん腹が立ってきません? でも、明治期の日本の民法はより進歩的だったわけではありませんし、話は飛躍しますけれど、アメリカ大統領の選挙戦で保守派が掲げている家族像というのは、産児制限や同性愛をめぐる禁忌をふくめ、19世紀に欧米の市民社会が構築した家父長的な価値観への回帰を意味していると思いますよ。

それで、もう一度、話を飛躍させて、革命期に、結婚という制度の「尊厳」が失われた、というアルペランの指摘に立ち返ります。ここが先回の話題に直結するわけですが、フランスの女性歴史家モナ・オズーフとアメリカのフェミニスト、ジョーン・スコットの論争の焦点です。ロベール・バダンテールが民法制定二百周年に書きおろした一般向きの手軽な本を参照。 « Le plus grand bien …» というお洒落なタイトルは、訳せば「もっとも大きな賜物…」というところかな。ナポレオン法典制定の最大の功労者ポルタリスが民法を人類の遺産と称えた演説からの引用です。ふたたびノート風に。

1789年の「人権宣言」につづき、1791年には民事婚が認められ、1792年9月には、21歳以上の子どもに対する父権の廃止、教会から独立した戸籍制度、そして離婚に関する法律が矢継ぎ早に可決された。婚姻は民事契約となり、当事者の合意により解消することができるとされた。その事由には、重大な非行fauteのほか「性格の不一致」もふくまれる!

民法典の本格的な編纂がはじまったのは1793年で、モンターニュ派のカンバセレスを中心に3回、1793年、1794年、 1796年に法案が策定されますが、いずれも日の目を見ることはない(のちにポルタリスは「フランスが政治的な危機に瀕しているときに、立派な民法典が生まれるはずはなかった」と語る)。でも、カンバセレスはナポレオン法典が編纂された時期の第二統領でもありますからね、連続性と差異化の両方に目配りしていたに違いありません。

3つのカンバセレス法案のうち、いちばんラディカルなのは719条からなる1793 年案。前年の戸籍と離婚にかかわる法律が踏襲されただけでなく、当事者の一方が「動機の説明」なく離婚を求めることすら可能になった。「夫権」が廃止され、夫婦の財産は共同で管理するものとされた。同様に「父権」も廃止されて、21歳まで「両親」が「監督と保護」の義務を負うことになる。カンバセレスの言葉によれば「自然法の堅固な大地と共和国の処女地」のうえに築かれた法案は、封建制の特権を撤廃し、平等の理念に貫かれた野心的なものでありました(おかげで結婚の「尊厳」が失われたという批判が盛りあがった……)。

勝利して時代のトレンドとなった言説の背後にあって、何らかの影響力をもっていたはずの言葉を掘りおこす作業は大切ですよね。歴史というのは、いってみれば重層的な運動体です。カンバセレス法案は地下にもぐった水脈のようなものであり、第三共和制以降の民法改正を暗黙のうちに動機づけたにちがいない。しかし、それにしてもです。フランス19世紀は「家父長制」の時代であり、女性たちは「親密圏」に押しこまれていた。「女たちの声」が「公共圏」に反映されて、文字となり、文献資料として残される機会は、本当に少なかった。

21201 21202 21203 21204

というわけで、三成美穂編『ジェンダーの比較法史学――近代法秩序の再検討』に話はうつります。編者による第Ⅰ部「〈ジェンダー法史学〉の構築にむけて」は、女性学やジェンダー研究の歴史的展望からはじまり、全体で100ページにおよぶ充実した論考です。批判的に問われているのは、女性は「親密圏」(かならずしも「家族」や「家庭」と同義ではない)、男性は「公共圏」という棲み分けの議論です。こうした公私の分離分割は、歴史がもたらした必然的な現象ではなく、「特定の文化における自覚的構築物」であるという指摘、大いに共感しました。

これに関連すると思うのですけれど、第9章「フランス法制史からのコメント」で石井三記氏が、アンシャン・レジームから1791年刑法典までは、いわば「自然的」な性差に基づくといえるのにたいし、ナポレオン刑法典そして19世紀の判例が示しているのは「社会的」な性差に基づく思考法であると述べておられます。近代ヨーロッパは、たとえば「親密圏」と「公共圏」とを厳密に線引きし対峙させることによって、性差を自覚的に構築したということですよね。そうした「公私二元的ジェンダー規範」を編纂して社会に浸透させる力を最大限に発揮したのは、ほかならぬ「法律」である――という認識から「ジェンダー法学」が立ちあがるのだということが、理解できました。

そういえば、グザヴィエ・マルタンの『ナポレオン法典の神話』をぱらぱらめくっていたら、「父親をつくるのは法律である」という小見出しがありました。ナポレオン自身の台詞であるようです。バルザックは、そういうこと、つまり法律が社会的な構築物として父親像や家族モデルをつくるということ、よくわかっていたと思いますね。法学や社会学の抽象化された思考に比べると、文学は徹底して具体的なのですけれど。でも、この話は別の機会にゆずることにして「姦通小説」からはるかに遠いところに来てしまったので、ぜひご紹介したいと考えた最後の1冊を。

タイトルはずばり『姦通の歴史――16~19世紀』。ただし事実としての姦通を扱っているのではなく、まさに「ジェンダー法学」の発想に寄りそった研究です。著者アニェス・ヴァルシュは歴史家で、文学にもよく目配りしていますが、なんといっても裁判にかかわる文献が史料の中核となっているところが特徴といえる。それにしても「姦通罪」の裁判は公文書・私文書の数も限られている。そもそも離婚が禁じられていたご時世に、なんで「親密圏」の恥をさらけだすような裁判をやるのかという問題があって――たいていは遺産相続や夫婦財産がらみですが――これはもう具体的なケースを話題にしないと、なんのことか想像できないでしょうね。

ナタリー・Z・デーヴィス『マルタン・ゲールの帰還――16世紀フランスの偽亭主事件』という名著を引き合いに出しましょう。長らく戦地に赴いていた亭主が村に帰還して結婚生活を再開したら、なんと10年もたったところで自分が本物だという男があらわれたという有名な事件がありました。他人の家庭に居座っていた偽物は絞首刑になり、妻は「姦通罪」に問われたけれど無罪放免となった。ヴァルシュの『姦通の歴史』が冒頭の章「ジャン・マイヤールの帰還」でとりあげるのは100年後の1670年、パリの高等法院で争われ、ドイツにまで反響がおよんでマルタン・ゲールの再来のような大騒動になった出来事です。

ジャン・マイヤールは姿を消してから40年もたって、再婚していた妻のもとにあらわれた。「姦通罪」で告訴された妻は、ただちに相手はジャンのふりをした偽物だとして男を告訴した。なにしろ姦通裁判の原告となれるのは(本物の)夫だけですから。きわめて稀なケースだけれど、当時の一般的な了解や知見が読みとれるところが面白い。たとえば姦通罪は民事ではなく刑事法廷で扱うとか。民事契約への違反ではなくて「犯罪」crimeだということなんでしょうね。教会の判断によれば、そもそも(男が本物だとしたら)ジャン・マイヤールの結婚は解消されていない。ところが妻は教会で「再婚相手」と挙式して、長らく内縁関係にあったときに誕生した子どもたちも、その場で「認知」されている。さあ、この子たちは、ナポレオン法典の用語でいう「姦生子」enfant adultérinということになるのでしょうか? 

ところで古いフランス語表現に「花嫁のヴェールの下に子ども置く」placer un enfant sous le poêleという言い回しがあるの、ご存じでしょうか。婚前妊娠のケースはいうまでもなく、何年も内縁関係にあったカップルについて、生まれた子どもを教会での結婚式に参列させることにより、両親との関係を公にして「嫡出性」を認めるというやり方です。このあいだソフィア・ローレンの映画を見ていたら、ああ、これだという場面がありましたが、それはともかく、非嫡出子への対応は、カトリック教会のほうがナポレオン法典にくらべて数倍は温情にみちている。

こんな具合にアンシャン・レジームの習俗や司法判断をちょっと調べただけで、革命以前の法制度と19 世紀の民法典のあいだの連続性あるいは重大な差異が見えてきそうな気がします。地下の水脈はあちこちでつながっており、革命法と民法を二項対立的にならべただけでは、硬直した議論になってしまうという意味です。とりあえず本日は、こんなところで。

「姦通小説」の話までいきませんでしたけれど、民法と姦通が関係あるといったって、たかが2年の実刑ぐらいじゃ、罰則による「抑止効果」は期待できませんから、そんなことを考えているわけではありません。そもそも道ならぬ恋というのは、障碍があってこそ、燃えあがるものでございますし。

***

3月11日のイヴェントについて、ひと言お知らせを。
このブログでも何回か話題にした震災チャリティ企画『ろうそくの炎がささやく言葉』の友人たちと、また朗読会に参加します。今回は朗読+朗読劇+ドローイング、そして音楽演奏とのコラボレーションというたっぷり贅沢な催しです。イヴェントの概要や申し込み方法については Rainy Day Bookstore & Cafe の
サイトをご覧ください。
http://www.switch-pub.co.jp/events/045120001.php

勁草書房の特設サイトでご確認いただく場合はこちら

p1000089 p1000110

革命とロマン主義をめぐる四冊の書物

2012年 1月 14日

「東北の苦境も、放射性物質の不安もつづきますが、今年もよろしく」というメールを管啓次郎さんからいただきました。季節がめぐり早春の気配がただよえば、あの胸をしめつけられるような不安がまたあたりをおおうのでしょうか。文章を書く者の社会的な責務、などと大上段にかまえる気は、わたしには毛頭ありません。でも、たまたま職業人として発言する機会に恵まれてきたのですから、年の変わり目にちょっと改まった物言いをするならば、なるべく見苦しくなく生きたいという矜恃のようなもの、いっそう大切にしたいと思っています。

『ろうそくの炎がささやく言葉』を携えての関西ツアーは、合計13回の朗読イヴェントの締めくくりになりました。オーガナイザーの管啓次郎さんと勁草書房の編集者のお二人への感謝と敬意は個人的なことですから、もう少し一般的な感想を。

首都圏はイヴェントが多すぎる、それに大学もシンポジウムが多すぎる。ずいぶん前からそう感じていましたが、それでも、やらないわけにはゆきません。質の高い企画を立ちあげようと手弁当で奮闘している人ほど、多すぎる、でも、やらないわけにはゆかない、と自分に言い聞かせているでしょう。いっぽう、東京で錬磨した企画を首都圏の外にもってゆくことは、じつに新鮮な経験なのですね。これは「ろうそく本」にみちびかれて高知と関西に「遠征」した実感です。地元で活動する方々との貴重な出会い、というのは、ありきたりな形容ですけれど、要するに文化的な営みをリシャフルする効果があると感じました。

華道家の片桐功敦さんが友人の方々とともに稽古場の和室を周到にしつらえ準備してくださったコラボレーションは圧巻でした。当日の写真と催しの内容については、以下をご覧いただくとして。
http://lemurmuredesbougies.tumblr.com/post/14555992575/12-17
http://monpaysnatal.blogspot.com/2011/12/blog-post_19.html
ひと言だけ、個人的な思いを述べておきましょう。華道、現代アート、彫刻、写真、和蝋燭など、ひとくくりにすれば「アーティスト」と呼べる若い方たちが、いかに経験に根ざし身体化された言葉を語るかということに、わたしは新鮮な驚きを覚えたのでした。あえて言葉ではない表現手段をえらんだ人たち、まさに身体を動かすことで造形する作家たちです。一方で純粋に言語的な営みである大学の文学研究は「アネミー=貧血」の症状を呈しているという自覚があるからこその印象かもしれません。

やはり「滋養」は外から体内に取り入れるものでしょう。というところで、いつもの話題に戻ります。教壇に立つことを辞めても書物にかかわっているかぎり、学生にも社会人にも語りかけることはできる、と思っているのだから、要するにわたしは根っからの教師、というか、そのなれの果て? そう、いつもいうことですが、あらゆる意味で外部とのリシャッフルが求められているのです。そのことと関係がなくはない4冊の書物についてお話します。

まずリン・ハント『人権を創造する』(松浦義弘訳、岩波書店)。「人権という力強い考えの誕生と発展を描いた、すばらしい歴史書」というアマルティア・センの推薦の辞が、帯に印刷されています。ただし、この言葉が暗示するような未来志向の熱気だけでなく――先回のエッセイで話題にした『イスラーム世界の創造』やLa création des identités nationalesと同様に――冷静な距離感と微妙な陰影がInventing Human Rightsというタイトルにこめられているようにも思われます。人権概念とは具体的な歴史プロセスのなかで徐々に「作り上げられた」ものなのです。

ルソーの『ヌーヴェル・エロイーズ』をはじめとする18世紀の書簡体小説は、読者の紅涙をしぼり「共感」empathyという次元であらたな想像の共同体をつくりだした、この土壌があってこそ「平等」への心構えが生まれ「人権」の概念も育まれたのだ、というのが導入の話題。ご存じのようにリン・ハントは、アメリカ歴史学会の会長も歴任したカリフォルニア大学の教授でフランス革命の専門家。アメリカの独立宣言とフランスの人権宣言をならべて縦横に読み解く手法ひとつをとっても、「リシャッフル・タイプ」の研究者であることがわかります。本を入手して読む時間のない方は、せめて50分を割いて以下の動画をご覧ください。
Lynn Hunt: Inventing Human Rights: http://www.youtube.com/watch?v=YZVD1G4q0bA

この講演は、著作の第2章であつかわれる主題が中心で、図版をバックに「拷問」の廃止が他者の身体的苦痛や個人の尊厳をめぐる「共感」にもとづく思考とどのようにかかわるか、という議論が展開されています。ところでリン・ハントの仕事はわたしにとって、ジェンダーの問題系にかかわる堅実な歴史学的考察の模範ともいえる。たとえば18世紀に英仏の女性たちが結婚と離婚をどのような法制度と社会的風習のなかで経験していたかという疑問に答えてくれる文章とか(第1章の「女性の奇妙な運命」)。あるいは「人権宣言」によって抽象的な自然権は認められながら政治的権利を保障されなかった者たち――未成年、犯罪者、外国人、貧しい者、そして女性全員――についての分析など(第4章)。

読後にそんなことを考えながら、例によって家事のかたわら配信されたばかりのCanal Académieのインターネット放送を聞いていたら、偶然にもモナ・オズーフがフランス革命と女性の権利にかかわるインタビュー番組に出ていました。
http://www.canalacademie.com/ida8230-Mona-Ozouf-et-la-question-du-genre-La-question-du-genre-va-t-elle-detruire-la-courtoisie-a-la-francaise.html

ジョーン・W・スコットによる「フランス革命は白人男性という特殊な存在が普遍的な価値を簒奪して体現したものだ」という趣旨のテーゼに反論するという企画で、番組のタイトルLa question du genre va-t-elle détruire la courtoisie à la française ? を補って意訳すれば「(アメリカ式の)ジェンダー論はフランス式の宮廷風恋愛(=男女関係)を破壊するか?」というもの。なかなか挑発的です。

そもそもはラディカル・フェミニズムを標榜するジョーン・スコットが一方的に仕掛けた論争であるようですが、これに相対するモナ・オズーフはさすが。革命期の法制度、とりわけ結婚と離婚にかかわる法律がどれほどラディカルな「男女平等」を貫いているか、歴史家として論じる弁舌には重みがある(この問題、「姦通小説」の専門家であるわたしとしては見逃せないテーマなので目下勉強中、いずれ成果をご報告しますけれど、父権的な家族像を構築したのは革命法ではなく、ナポレオンの民法典であります)。

この番組は、本来の歴史研究とはいささかずれた次元で興味を誘います。「ジェンダー」の訳語である「ジャンル」という語彙が、なぜかフランスには根づかない。米仏の文化論的な齟齬を露呈させるところが、逆に面白いともいえる。モナ・オズーフは、余裕のある低い声で、実証的な根拠とエピソードをまじえて以下のように述べています。男女の力関係のあり方を「抑圧」と「敵対」という用語で捉え、民主主義の起源と女性排除は同根だと断罪してしまうのは不毛な議論であり、自分は共感をいだけない。フランスの「性差」という考え方には、洗練された貴族のサロンの会話によって培われた両性の知的交流という伝統がゆたかに流れこんでいる――これはマルク・フュマロリも指摘することであり、ペローの昔話の訳者解説でわたしが考えてみたかったのも、まさに語られる言葉の伝統という問題なのですが。それはともかく――「慇懃で文化的な人間関係」civilitéをモナ・オズーフ自身は「男女関係のあり方」と婉曲に指し示しますが、番組プロデューサーは、わざとアメリカ人の反感を買いそうな「宮廷風」という言葉をつかっているわけです。

というわけで、この論争、深入りは禁物。なにしろ番組の最後のほうでは、あの国際通貨基金のドミニク・ストロスカーン専務理事が性的暴行容疑で訴追された事件にかかわる発言のせいで、モナ・オズーフが「偽フェミニスト」呼ばわりされたという出来事が喚起されており、これでは「人権」の話どころか、「ジェンダー」と「ジャンル」をめぐる米仏論争の不毛な蒸し返しになりかねない。それよりも「わたしは筋金入りのフェミニストです」というモナ・オズーフの応答のほうに、興味あるでしょう?

理由は三つ。第一に、あらゆる領域、あらゆる活動において、女性が成果を挙げることに深い共感と喜びを覚えている。第二に、少女のころから女性は自立すべきだと考えてきた。第三に「麗しの王子」の登場を期待せずに生きてきた――ふむ、納得です。ところで、声にせよ、ポーズにせよ、生身の身体は雄弁なもの。品位を失わずに知的で挑発的なサロンの会話に参加する貴婦人のような風情をちらりと鑑賞したい方は、上記サイトの真ん中あたりに掲載された美しい写真をご覧くださいませ。

さて、超大物の女性研究者たちにはご退場いただき、ようやく二冊目の話。もちろん自分の関心に照らしてですけれど、若い世代の仕事をご紹介しながら、こちらも広い学問領域の「滋養」を摂取したいと考えています。高山裕二『トクヴィルの憂鬱――フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生』(白水社)は、副題からも推察されるように、少なくとも三つのディシプリンをリシャフルしようという野心作。トクヴィルは著者の専門領域である政治学、ロマン主義は文学、そして世代論となれば当然のことながら歴史学とりわけ社会史を参照しなければなりません。

ジュール・ミシュレ、バルザック、ヴィクトル・ユゴー、オーギュスト・コント、ドラクロワ……これが全員同世代なのですから、只事ではない、その現象自体が、まず考察されて然るべきなのです。1805年生まれのトクヴィルはこのグループの最年少。革命によってアンシャン・レジームの価値が崩壊し、ナポレオン体制の延長上で19世紀の国民国家が構築されてゆく。その間、きわめて積極的に政治参加をした作家たちが、一方では、ナポレオンという英雄が神話になりつつある時代の「憂鬱」を分かちあっていた。複雑な明暗に彩られた時代精神を描きつつ、そのなかにトクヴィルの人生と著作の総体を置きなおそうという試みです。

「1820年世代」の「憂鬱」な青年たちが愛読したのは、ナポレオンとほぼ同い年で、いわば長兄に当たるシャトーブリアンでした。話は変わりますが、いずれボヴァリー夫人となるエンマ嬢も同じころ、女子修道院付属の寄宿学校で『キリスト教精髄』に謳われた「宗教の詩情」にひたって成長したのです。作者のフローベールは1821年生まれ、つまり「遅れてきたロマン派」として出発し、レアリスムの巨匠とみなされ、ポストモダン的なパラダイムを予告するようなことまでやってしまった。ここでいきなり大きな見取り図を立てるなら、19世紀の半ばの『ボヴァリー夫人』を分水嶺として、「宗教」と「政治」と「文学」の関係が大きく変化していったと思われます。これが論証できれば、ちょっとしたものだけれど……。

1201-11201-21201-31201-4

最後の二冊は『トクヴィルの憂鬱』でも参照されている文学批評の名著です。ポール・ベニシュー『作家の戴冠』は1973年に出版されたときに購入し、線を引いたりキーワードを書き出したりして読んでいたことを、昨年の秋に古びた本を引っぱりだして確認し、あきれましたね。まさに「滋養」にすることが全然できなかったわけ。70年代は、アカデミックな文学研究が「物語分析」や「草稿研究」「生成論」「言語論」など、いわゆる「内在批評」に収斂し、先鋭化していった時代です。今あらためて、ベニシューの驚くべき先駆性に向きあおうと真剣に考えているところです。

Le Sacre de l’écrivain, 1750-1830, Essai sur l’avènement d’un pouvoir spirituel laïque dans la France moderneというタイトルの全体を邦訳するなら『作家の戴冠(1750年~1830年)――近代フランスにおけるライックな霊的権力の誕生をめぐる試論』とでもなるでしょう。なんのこと? って感じかもしれませんね。「戴冠」sacreにはナポレオンの戴冠式と同じく「聖別」という含意があり、「霊的権力」pouvoir spirituelは「世俗の権力」pouvoir temporelに対するカトリック教会の権力を一義的には意味しますけれど、そのままではlaïqueの「非聖職者」という原義と矛盾します。啓蒙の世紀からロマン主義の時代にかけて世論の指導権を掌握した「文学」の営みを「信徒の教導権をもつ聖職者」の活動になぞらえた比喩表現とお考えください。わかりやすくいえば、ここで「文学」が「宗教」から「教導権」を奪ったのだけれど、言語の二重の意味に託されたヴィジョンこそが大切なのです。ちなみにここでいう「文学」は、政治思想や哲学や博物学などをふくむ広義の著述業を指す言葉。

ポール・ベニシューの主要業績は2003-2004年に、ピエール・ノラの『記憶の場』と同じ由緒あるコレクション、ガリマール社の« Quarto »から二巻本で再刊されました。第1巻の前半が『作家の戴冠』で、後半には『預言者の時代』Le Temps des prophètesがおかれ、第2巻の前半は(訳しにくいからそのままにしますが)Les Mages romantiques(magesはイエスの生誕の場面に登場する東方の三博士)。ロマン主義の著述家たちを「預言者」と呼ぶだけで、背景になにか重大な展望が横たわっていることが推測されるのです。

ヨーロッパの文明は、相対的にはライックなギリシア・ローマの伝統と霊的権威を優先するユダヤ・キリスト教の伝統が、相互にせめぎ合うなかで立ちあげられてきた。そこでベニシューは「文芸」lettres の営みが、対峙する「霊的権力」と「世俗の権力」といかなる関係性を築いてきたかを解明するというのです。これが「宗教」と「政治」と「文学」という三本の柱をめぐる壮大な歴史的考察となることは、おぼろげながら想像できるでしょう。

『トクヴィルの憂鬱』を読みながら感じたことですが、この先のロマン主義研究は、リベラリズムの政治学的アプローチによって活性化されるのかもしれませんね。これも若手研究者による刺戟的な論文を見つけました。杉本隆司「ポール・ベニシュー『預言者の時代』にみる二つの自由主義 : 政治思想と方法」一橋論叢135(2)、 2006年、pp. 342-350.
電子版http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/15610/1/ronso1350202260.pdf

ルネ・レモン『政教分離を問いなおす─EUとムスリムのはざまで』(青土社)の邦訳で一緒に仕事をした伊達聖伸さんをふくめ、高山裕二さん、杉本隆司さんも参加する以下の共著は、新しい「研究者世代」の誕生を告げているようです。宇野重規・高山裕二・伊達聖伸編著『社会統合と宗教的なもの――十九世紀フランスの経験』(白水社)
p1000037 p1000034

世界のなかの歴史

2011年 12月 12日

「歴史には力がある。現実を変える力がある。人々に未来を指し示す力がある」という高らかな宣言からはじまる『新しい世界史へ――地球市民のための構想』(羽田正著、岩波新書、2011年)はポレミックな書物です。なるほどそういわれてみると、今日でさえ、世界は異なる歴史をもつ複数の地域や文化圏からなり、そのなかでヨーロッパ文明は他より優位にある、という暗黙の大前提が存在するようです。でも、それがまさに「歴史的な事実」じゃないの? と問われて、ただちに論駁することは、そう簡単ではありません。

第一章は「世界史の歴史をたどる」――日本の高校の教科書から始めて、戦前の歴史認識と戦後の世界観の変容を概観し、さらにフランスや中国など諸外国の歴史教科書まで分析しながら、それぞれの歴史観がどれほどに大きなズレや偏差をともなって構造化されているかを浮上させること。ひと言でいえば、これが著者の戦略なのですが、たしかに戦前の「国史」「東洋史」「西洋史」の三本立ても、今日の「日本史」「世界史」という二分割も、内容の分布をふくめ日本固有のものにすぎません。その一方で、フランスの「世界史」は実質的には「ヨーロッパ史」であってアジアなど存在しないかのようであり、さらに「中国史」と「世界史」に分断して後者には自国と無縁な事象のみを投入したらしい中国方式も、たとえば微妙な国内問題でもあるイスラームが世界の動きから排除され、ついでに宗教的なものすべてが抹消されているように見えるのです。

ところで「イスラーム世界」という大きな枠組を設定し、これを歴史的な「実体」とみなして内部に地域や文化圏を線引きし、それぞれ時系列に沿って叙述すればよいという方法論に対して、以前に羽田さんは異議を唱えたのでした。『イスラーム世界の創造』(東京大学出版会、2005年)もまた、先鋭な問題提起の書でありました。じっさいに何を根拠として宗教の名のもとに検討対象を切り出すことができるのか。「イスラーム世界」とは信仰を分かちあう人間集団なのか、支配者がイスラームであった過去の王朝か、あるいは国内に多数のムスリムを擁する現代の国家なのか……と問われただけで、読者ははたと困惑し、それから知的な興奮をおぼえることでしょう。

『新しい世界史へ』の第二章は「いまの世界史のどこが問題なのか?」と題されており、著者の批判は「イスラーム世界」の例にもあるように、特定の人間集団や空間をあらかじめ隈取りし、他の人間集団や空間との相違や区別を強調するという姿勢に向けられます。そもそも近代の歴史学は19世紀ヨーロッパで生みだされたものであり、国境で囲まれたネイションの内部に均質な「アイデンティティ」を構築することを目標とする営みだったのです。したがって、この「問題」は歴史学の伝統に内在する特質でもあった。いいかえれば、この批判には応えるためには、歴史叙述の方法論的な刷新という壮大な目論見を掲げなければなりません。

つぎに批判の対象となるのは「ヨーロッパ中心史観」であり、これこそ「現行世界史最大の欠点」であるとのこと。じじつ「西洋史」と呼ばれるものの根底には、西北ヨーロッパ諸国の進歩と成功の物語として時の流れを展望するという視座が、しっかり組みこまれています。それなのに――ヨーロッパの人間がヨーロッパを中心に世界を見るのならいざしらず――「非ヨーロッパ」の片隅に置かれた日本人が、それに追随するとは何ごとか、というわけです。

こうなると尊敬する羽田さんの颯爽たる論告に、つたない応答をしないわけにはゆきません。なにしろヨーロッパ中心主義のそのまた中心を担うと自負してきた19世紀フランスこそが――羽田さんもおっしゃるように、この時期、ブリテン諸島とスペインには、あまり「ヨーロッパ意識」はなかったと思いますが、それはとにかく――つまり、いってみれば、よりによって「諸悪の根源」みたいな時空が、わたしの「専門」なのですから。

ひとまず『新しい世界史へ』の全体像を紹介しておきましょう。第三章「新しい世界史への道」、第四章「新しい世界史の構想」というのが後半です。ここでは特定の視座を中心に据えて周縁を見わたす歴史叙述、その逆に周縁から中心を批判的に捉えるという歴史叙述が、両者とも限界を抱えたものとして排除されています。そして相違ではなく関係性や相関性を重んじて、共同研究を推進し、文字どおり地球的なスケールの「新しい世界史」を編纂しようという展望が語られます。

現在も東京大学東洋文化研究所所長として重責を担っておられる羽田さんの学問的マニフェストは、ここでちょっと棚上げにして、ようやく軌道にのったささやかな翻訳の企画を話題にさせていただきます。書物の仮タイトルは『国民アイデンティティの創造』(Anne-Marie Thiesse, La création des identités nationales, Points Histoire, 2001)――そう、あの進歩主義的な「ナショナル・ヒストリー」が立ちあげられた時期のヨーロッパに照準が定められている。ただし「創造」という言葉には、羽田さんの『イスラーム世界の創造』に呼応する批判的な意味がこめられているということを、まずはいいそえておきましょう。

111206_haneda_01jpg 411yepntt2l_ss500_

著者アンヌ=マリ・ティエスは文化史の専門家ですが、民族学への周到な目配りと、ゆたかな文学的知識を土台とし「アイデンティティ」と呼ばれるものが立ちあげられるプロセスを検討してゆきます。諸国民のアイデンティティとは、それぞれネイションの統一的な個性と個別性にほかならない。これがほかのネイションとの「相違」という角度から記述され、反芻されることにより、あっというまに「実体化」されてしまうというのです。

歴史認識という意味で、著者に共感をおぼえる理由は多々ありますけれど、本日は頭出しのつもりで、ひと言だけ。まずはフランス中心主義を相対化する視点について。一例を挙げれば、いささか意表をつく幕開けですが、冒頭で話題になるのは、フランス革命でもスタール夫人でもなくて、17世紀の後半、スコットランドで『オシアン』の叙事詩を「発見」したとして大評判になったマクファーソン。昔話を伝える「民衆」は「ネイションの精髄」を純粋に受けつぐ「生きた化石のようなもの」という主張がありました。これがグリム兄弟により民話や伝承の学問的な研究として定式化され、ついで北欧や東ヨーロッパの人びとが、グリム兄弟を師とみなして参照し、それぞれの国民の「祖先探し」に邁進したのでした。以上は「ナショナル・ヒストリー」に先立つものとして、「建国神話」を創造しなければならなかったという話。

「国民アイデンティティの創造」に貢献したのは、「国民文学」と「ナショナル・ヒストリー」だけではない、という実感がわいてきます。それぞれの「国語」の創造にも、じつは多種多様なプロセスがあり、言語と言語の、あるいは言語と国民の相関的な見取り図を作成しなければ実態は見えてこない。それにまた、民族衣装から郷土料理、観光旅行まで、サブカルチャーの迫力を考慮に入れなければ「アイデンティティ」は語れない。というわけで、身近な話題も縦横にもりこんだ軽妙な語り口の歴史研究なのですが、要するに英独仏の国境に仕切られた大学の学問の枠組をぐらつかせるところが、いいでしょう? 

羽田さんとアンヌ=マリ・ティエスは、一見したところ正反対の立ち位置とみなされそうですけれど、じつはそんなことはない、といいたいわけなのです。「三つの方法」として羽田さんが掲げる提案は、①世界の見取り図を描く ②時系列にこだわらない ③横につなぐ歴史を意識する、というものです。これに対して『国民アイデンティティの創造』の場合、「見取り図」の範囲は空間的にも時間的にも限られていますけれど――誠実で有能な研究者であれば、責任をもって発言できる範囲は限られていると自覚していますから――その一点をのぞけば、すくなくとも叙述の手法としては、羽田さんの「世界史」構想と矛盾しないと思われたのでした。

「ヨーロッパ中心史観」を克服したかったら「非ヨーロッパ」と「イスラーム」の本を出版すればよい、そして今後は「ヨーロッパ史」を読まないことにすればよい、などという素朴な話ではないのです。国民を統一的な「アイデンティティ」により定義するという近代以降の政治の手法が、移民を抱えた今日のヨーロッパにおいて軋轢の原因となっていることはたしかなのですが、だからといって「アイデンティティ」の話はするな、というのも全く愚かなこと。むしろ批判的に歴史を読むことを、わたしたちは謙虚に学ばなければなりません。その手本や先例が、当事者であるヨーロッパの歴史家の仕事のなかに見つかることは、当然のことながら、大いにありうるのです。

「ヨーロッパ」概念の形成過程を明らかにすることは、きわめて重要である、という羽田さんの言葉に励まされ、その辺りのことをすこしずつ勉強し、いろいろなかたちで紹介してゆきたいと考えています。いずれ世界のなかに新鮮な歴史の見取り図が、多元的かつ重層的に描かれるようになることを期待しつつ。

***

最後に朗読会のイヴェント情報を3件。東日本大震災の復興支援チャリティ『ろうそくの炎がささやく言葉』が作家や詩人や翻訳者のネットワークの起点となりました。

Ⅰ まず東京では、クリスマス・イヴにふさわしい贅沢な催し。音声としての言葉を造形するアーティスト、古川さんが呼吸の合ったミュージシャンと共演するという企画。管さんの心に染みる肉声は、ご一緒するたびに、いいなあ、と思います。

古川日出男+管啓次郎、「春と修羅」「銀河鉄道」をよむ
http://lemurmuredesbougies.tumblr.com/post/12958180510/12-24-saravah
■日時:12月24日(土)13時開演(12時開場)
■場所:Saravah東京
    http://www.saravah.jp/tokyo/access.php

Ⅱ 以下は目前になってしまいたが、わたしも参加するイヴェントで、こちらは『ろうそくの炎がささやく言葉』が中心の朗読会。12月17日(土)の大阪と12月18日(日)の京都。関西は本当に久しぶりですが、放送大学の学生さん、気がついてくれないかな。いずれも朗読者多数。いろいろな読み方がある、と実感するのも面白いでしょう。

●概要
■日時:12月17日(土)17時~(開場16時30分~)
■会場:主水書房
    http://www.mondebooks.com/monde_map.html
■出演者:新井卓(写真家)、岡澤理奈(インタフェースデザイナー、装幀家)、片桐功敦(華道家)、工藤庸子(東京大学名誉教授、フランス文学)、鞍田崇(哲学者、総合地球環境学研究所特任准教授)、佐々木愛(画家)、管啓次郎(詩人、明治大学教授、コンテンツ批評)、田内志文(文筆家、翻訳家)、津田直(写真家)、橋本雅也(彫刻家)、服部滋樹(デザイナー、graf代表、 京都造形芸術大学教授)、細見和之(詩人、大阪府立大学教授、ドイツ思想)

■定員:50名(要予約*当日参加でも構いませんが予約の方を優先致します。)
■予約窓口 info@mondebooks.com
■参加費:無料
■お問い合わせ先:主水書房 大阪府堺市堺区陵西通2-15
tel/fax: 072-227-7980 info@mondebooks.com

●概要
■日時:12月18日(日)17時~(開場16時30分~)
■会場:MEDIA SHOP(京都市中京区河原町三条下る一筋目東入る大黒町44VOXビル1F)
    http://www.media-shop.co.jp/
■出演者:岡澤理奈(インタフェースデザイナー、装幀家)、工藤庸子(東京大学名誉教授、フランス文学)、佐々木愛(画家)、管啓次郎(詩人、明治大学教授、コンテンツ批評)、田内志文(文筆家、翻訳家)、細見和之(詩人、大阪府立大学教授、ドイツ思想)、山崎佳代子(詩人、翻訳家)
■定員:50名(事前お申込み不要、当日先着順)
■参加費:無料
■お問い合わせ先:MEDIA SHOP  TEL:075-255-0783 FAX:075-255-1592

candle2
Photo by Yoko Ikeda