工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

Archive for 友と師と

SKさんと歩くこと

2010年 5月 17日

まずは、これまでの経緯から。5月1日の公開ゼミ「フランス語教室」は、とりあえず順調なスタートを切りました。当日の出席者のなかから、ウィークデイのグループ・レッスンに参加できる人を募り、これを5月11日(火)に設定。少人数で、各自、好きなテクストを準備してもちより、発表形式で「訳読」の練習をします。先回は、ル・クレジオ(『地上の見知らぬ少年』)、プルースト(2名がそれぞれに、冒頭とマルタンヴィルの鐘楼)、ジョルジュ・サンドのフローベール宛て書簡、そしてアルビジョワ十字軍。持ち時間は、ひとり20分程度ですから、それこそ1段落で終わってしまいますけれど、考えてみれば、わたしの古巣である研究者養成大学でいちばん実力のつく授業というのは、ほかならぬ「訳読」でした。

異なる言語構造を往還するからこそ、他者の思考の精髄に迫ることができる。いえ、それほど高級な目標を掲げなくとも、自分で考えたことを人前で語ることは励みになるはず。次回は、5月25日(火)の13h30から。参加してみようかと思う方は、手ぶらでも、何か準備しても、どちらでも構いません。ちなみに、このグループ・レッスンは、10名以下で運営したいと考えています。

さて、本日の話題───管啓次郎さんという生身の人間よりむしろ、抽象的なSKという人物が、詩やエッセイを発表し、WALKINGのイヴェントを開催しながら、いったい何をわたしたちに手わたそうとしているか。それを考えてみようというわけです。とりあえず「歩くこと」「読むこと」「考えること」そして「語ること」を、ひとつらなりの身体的な営みとして想像してみましょう。歩行のようにゆったりとした、リズミカルな音声言語の息づかいを、学びの場でも回復することができないか。そこから「考えること」への道筋をつけることはできないか。そんな発想が「朗読」の構想とうまくつながることを願っています。

ちなみに、わたしの「歩くこと」は、メタファーですけれど、SKさんは、本当に歩く人、本当に旅立ってしまう人なのです。その活動については、以下のサイトをご覧ください。
http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0005251.html

旅人としてのSKを、ジュール・ヴェルヌの描いた旅行者たちと比較してみることもできるでしょう。『気球に乗って五週間』は、どこまでも高く、高く……、『八十日間世界一周』では、一瞬でも速く、速く……。征服という欲望につきうごかされたヨーロッパ近代に、SKを対置してみれば、おのずと理解されるはず───WALKINGとは、失われてしまった地球と身体との親密な関係を、今、ここで回復しようという人間的な誘いであることが。

よりにもよって「白い砂粒」のようなフィジー島から始まる旅は、インド系住民との出会いから、マリーズ・コンデの『マングローブ渡り』という線につながれて、そこから甘い砂糖のお話となる。「思えば植物だって、旅をする」という詩的な一句を起点とし、不意に視界がひろびろと開け、地球がまるごと見えてくる。ぎらぎら照りつける太陽やさえざえと輝く月光のもと、マングローブの筏で大海原をわたるイグアナの不感無覚なまどろみを、SK風メルヘンと名づけよう。

そんなSKさんの旅にふさわしいマルチニックの写真を、ほかならぬマリーズ・コンデの研究者、大辻都さん(世田谷学習センターのフランス語担当講師)に提供していただきました。今回は、砂糖黍の畑と不思議なタンクと蒸留酒の図解を3点セットで。

mar1 mar2 mar3M. Otsuji


5月22日(土)午後 公開ゼミを開催します

於 東京世田谷学習センター(教室は当日掲示)
13h30~15h 「異文化の共存」・・・管啓次郎『斜線の旅』を読む 1
フランスで市民性教育の場となっている「歴史カフェ」「哲学カフェ」などという名の自主ゼミのような活動を思い浮かべています(岩永雅也教授との共著『大人のための〈学問のススメ〉』講談社新書の「前口上」を参照してください)。日本でも、公開講座、市民講座といった活動は、数限りなくありますけれど、大方が、聴衆は、たんなる受け身の「消費者」という位置づけ。参加者がリラックスして、しかも積極的に発言できるような公開ゼミの方式があるでしょうか? いずれにせよ、議論すべき共通の素材を手にすることが先決。初回は、わたしがテクストを朗読しながら、きっかけを探ってみようと思います。
参加資格: 文字通りの「公開ゼミ」です。放送大学に籍をおもちでない方も、お気軽にどうぞ。当日、コピーを配布します。
15h20~16h20 生涯学習、研究計画、論文執筆などに関する公開ゼミ
参加者は、自己紹介をして、自分の関心や学び方の工夫、生涯学習に関する自主的な活動などについて、自由に発言する。プレゼンテーションの機会がほしいという学生さんたちの要望に応えることも目的です。形式にはこだわりませんが、大切なのは教室でのマナー。発言は1人5分以内に。とりあえず出席はするけれど、黙って聴いている「オブザーバー方式」でもかまいません。
16h30~17h30 オフィス・アワー
研究室で、個人指導や小人数の打合せをします。予約のある人を優先。
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今後の活動:
6月4日(金)19~21h 放送大学×大田区連携講座  大田区消費者センター

3回の講演会「ヨーロッパのことばと文化―ゆたかさを求めて」の初回を担当します。タイトルは「EU・国民国家・そして小説のヒロインたち」 詳しくはこちら

6月18日(金)・25日(金)13h30~15h00 朝日カルチャーセンター新宿 外国語

2回の公開講座です。タイトルは「フランス語で聴くペローの昔話」 チラシはこちら

新装開店いたしました

2009年 5月 7日

綺麗でしょう? デザインだけではありません。気持も新たに、と夢を語るまえに、昔話を少し。

わたしの30代は、バブリーな時代でした。売れっ子の文学部教授はホテルに「カンヅメ」になって執筆なさっていた時代。5年ぐらいは、もっぱら「ユリイカ」や「現代思想」で最先端の評論の翻訳をやっていました。といっても偉い方々に断られた仕事が、回り回って若手に降ってくるのですから、専門など関係ないし期限も半分ぐらい。原稿を送った日に貧血を起こした懐かしい無理難題は、J.イポリット「ハイデガーとヘーゲル」です。

アンリ・トロワイヤの歴史小説を4冊、立てつづけに出版した経緯は省略。それからフロベールの書簡を編集し、好きなだけ訳注をつけるという贅沢な本を作る機会にめぐまれました。筑摩書房の淡谷淳一さんは、編集の神さまと呼ばれた方。恐るべき慧眼・博識のエピソードを、先輩たちから山ほど聞かされたものです。ともかく物言いの丁重な紳士でした。大変失礼でございますが、この訳文は…などと指摘されたら、もう胸がどきどき。『ボヴァリー夫人の手紙』という書物のタイトルも淡谷さんがつけてくださったものです。

神さまのような編集者にお目にかかるときには、早めに約束の場につくようにしておりました。すると次回は、淡谷さんが、もっと早くおいでになる。これ、イタチごっこ、というのでしょうか? という笑い話になって、教えていただいたところによると、意地でも相手より先に来るという方針を貫かれたのは、ボードレール研究の世界的な権威で今は亡き阿部良雄先生だそうです。おしまいには、30分も前倒しになってしまって、時間をお約束する意味がなくなりました、と。

ちなみに、業界では有名な話なのか、それとも、冗談だったのか、今でもわからないのですけれど、淡谷さんは、喫茶店でホットミルクをお飲みになるのです。コーヒーもお酒もいっさい召し上がらない。なぜ? とうかがったら、淡谷さん、嬉しそうなお顔で、貴女だけに、そっと教えてあげましょう、じつはわたくし、酒乱だものですから…。つづく酒乱のエピソードは、わたしの秘密。

友人たちが集まれば、そんなバブリー時代の思い出と長年の出版不況にくわえてこの頃は、信頼関係を築いた編集者たちの退職が話題になります。書物への情熱と文学の素養にかけては、なまじの大学教師など太刀打ちできないという方々。先行きの不安を語り合うこともまれではありません。

それはそれとして、年寄りであろうと若者であろうと、愚痴をいうヒマがあったら、ひとりひとりが「手を変え品を変え」何かしら工夫して、アイデアを提供すればいいのですよ。というわけで、本日の本題、このサイトの構想について。

放送大学に着任して5年、個人サイトを立ち上げて2年が経過したところです。ウェブ空間への親和性をもつ集団は、おどろくほどの速度で増殖しているという実感があります。こんなささやかな「ネットワーク」でも、思いもかけぬところから、反響が返ってくることがあるのです。文芸誌に寄稿したエッセイは、文芸誌を購入する人にしか読まれません。一方、インターネットには、ボーダーがない。書物の世界で生きてきた人間にとって、これは不思議な経験です。

これまでは、放送大学の教材制作とその紹介にエネルギーを傾けてきましたが、独り本を読み、ものを考え、書けることを書く、という夢に向けて、人生設計をシフトしてゆきたいと考えています。念のために言い添えれば、生涯学習の現場は、この設計図にちゃんと組みこまれているのですけれど。

本を読み、考え、書くという作業をネット上で積極的に公開してゆこうと思い立ちました。それが「閲覧室」のコーナーです。手始めに「スカーフからキルパンへ―今、ケベックが面白い」(2009年 2月 2日)で予告した論文の抜刷全文を掲載しました。「政教分離」は、次の成果につなげたいと考えているテーマです。

見てのとおり、瀟洒な小冊子というデザイン性の提案でもあります。お世話になったのは今回も、友人の小柳学さん(左右社)。若い研究者を紹介すると、にこにこして企画を練り始める編集者です。昔、わたしもこんなふうに、淡谷さんから、本作りの「手ほどき」をしていただいたのだなあと思います。

「新装開店」のデザインは、放送大学で出会った大洞敦史さん。わたしは文章を書き、表層のイメージなどに色々と注文をつけるだけ。編集者的な作業や情報の整理、ページの構築など、とりあえず好きなようにやってみて、といったら、あっという間にスキルが向上して、こんな具合になりました。つまりコラボレーションですね。ところで彼ほどの読書家は、正直、見たことがない。でも学校秀才とは、まったく別のタイプ。じつはひそかに「パチプロ少年」と呼んでいるのですけれど、その名の由来については、大洞くんの個人サイト、とりわけプロフィールをご覧ください。

パリの写真がすでに500枚ほど手元にあります。毎回、エッセイの最後に添えますので、お楽しみに。撮影してくださったのは、外国語の教材制作でも活躍してくれた留学生の中田健太郎さん。

タイトルの背景も、中田さんの写真です。éternel imparfait の意味? 永遠に未完成なるもの、と読めば、生涯、学びつづけることの暗示にもなりますし、それはそれでいいのですけれど、じつは、これ、フランス語の時制、半過去です。淡い光にみちたグレーの空は「半過去色」…と思ってえらびました。この話は、いずれまた。

チュイルリー公園・春

K.NAKATA

4冊の書物 あるいは柏倉先生について

2009年 4月 10日

純粋な著作は、詩人の語り手としての消滅を必然的な結果としてもたらす。詩人は主導権を語に、相互の不平等性の衝突によって動員される語群に譲るのである。そして語群は、あたかも宝石を連ねたあの玉飾りの上の灯影の虚像の一条の連鎖のように、相互の間の反射反映によって灯火される。古来の叙情詩に息遣いとして、はっきり認知され得る呼吸作用に代わりつつ、あるいは文章の熱烈で個人的な目標に取って代わりながら。

『ステファヌ・マラルメ「賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう」原稿と校正刷、フランソワーズ・モレルによる出版と考察』と題した画板のようなサイズの書物がとどいたのは、放送大学の卒業式がおわって間もなくのこと。生成の白の瀟洒なソフトカヴァーをめくるとセピア色のファクシミリのページがあらわれました。

詩人の手稿、赤鉛筆で字体や印刷の位置を指示した校正刷り、その指示にしたがって組みなおした「賽の一振り」の新しい姿。詩句の一語一語をマラルメの清冽なイマージュの戯れのなかに解き放つ詳細な注釈のページ。いくつもの要素によって構成されたこの書物は、あえていうなら「贅沢なまでに教育的」なものに思われます。

090410mallarmeL’œuvre pure implique la disparition élocutoire du poëte… 注釈のページで久しぶりに出会った「詩の危機」の一節を上に引きました。謎めいた文章の響きに魅了されたわたし(フロベールやボルヘスのimpersonnalismeに惹かれていた30代のわたし)にとって、マラルメは難解にして深遠、高踏的な文学の殿堂にまつりあげられたinaccessibleな詩人でした。

その詩人を、アカデミズムのほの暗い聖域から共和国の明るい祝祭空間へと誘い出したこと―柏倉先生がマラルメ読解にもたらした貢献を、とりあえずそうまとめておきましょう。

報道の最前線に立ちながら何十年も暖めつづけた詩人の肖像と文献調査の集大成である『生成するマラルメ』も、J-L.ステンメッツの伝記の翻訳も、インターネットに立ち上げられた『詩集』単語インデックスも、そして今回の「賽の一振り」の原稿と校正刷の紹介も、ひと言でいえば、万人がアクセスできる、愛好家なら読者になれるという意味で「民主的」であり、どこか「市民的」な相貌を湛えているかのようなのです。(Index des mots des poésies de Stéphane  Mallarmé : http://www.campus.u-air.ac.jp/~kashiwa/

じつは「贅沢なまでに教育的」という形容は、柏倉先生にささげる言葉でもあります。アカデミズムの階層性にはしばられぬウェブ空間ですから、いかにも次元の異なるところにふわりと飛ぶことにして、こちらは放送大学の3科目の印刷教材が3冊の書物になったという話。

卒業式と謝恩会の会場でお目見えした「放送大学叢書」に、どのぐらいの方が気づいてくださったでしょうか。教材をリライトして、表題をアトラクティヴなものに変更し、巧みにデザイン性とコストの折り合いをつけた軽やかな書物です。手にとってみれば、豪華で重厚な装丁だけが知的な書物の夢ではないことが、きっとおわかりになるでしょう。

放送大学叢書

この叢書、どこにもお名前は記されていませんが、柏倉先生の企画力の成果です。とりわけ『音楽家はいかに心を描いたか』については、みずから校正刷に目を通されるほどの熱意を傾けられた。昨年10月に永眠された笠原潔先生の遺著となってしまいましたが、研究者にとって、これ以上の手向けはありますまい。先生の誇り高い闘病生活に、同僚のわたしたちは深い敬意をいだいておりました。

『動物の生存戦略』の著者、長谷川眞理子さんとはじめて出会ったのは、20年ほどまえのこと。駒場に着任したばかりのわたしは、女性教官がついに二桁になった(300名の教授会ですよ!)記念と称して、「性差文化論」というテーマ講義を同僚の女性たちと一緒に企画したのですが、そのとき、まっ先にお願いした講師のひとりです。わたしたちも若かったし、日本のオトコ社会は、それはもう、今よりひどかったわけですから、意気投合して憤慨するための話題は、それこそ、山のようにありました。それはともかく、動物の行動生態学は、目から鱗という感じのエピソードに満ちています。自然界のオスとメスの話を、ジェンダー・スタディーズの寓話として読むのは、ちょっと邪道かもしれませんけれど、啓発されることまちがいなし。

ここで話はゆらりと柏倉先生のほうにゆれもどるわけですが、やや高級な比喩を使えば、副学長としての先生は「共和国」というより「EU型」の大学運営を心がけておられたように思われます。単一で統合的な評価システムに基づく中央集権的な管理社会ではなく、多文化社会に適応するために「補完性原則」を援用なさった。わかりやすくいえば、組織の末端のクリエイティヴな発言を汲みあげ、さまざまの意図や企画をもつ集団の活動を支援するという意味です。管理職と末端の現場とのあいだに、歴然とした性差、ジェンダー構造の歪みのある日本の社会では、こうした組織運営の手法が、おのずと「男女共生社会」の推進につながること、皆さん、おわかりでしょう?

教育の現場が好きというのは、柏倉先生の本音にちがいありません。めざましく進歩した学生や将来有望な研究者のことが話題になると、まるで食欲旺盛な人が贅沢な料理をまえにしたときのような表情をお見せになる。停年退職なさったあとも、世田谷学習センターの客員教授をつとめられるとか。わたしも近場でお世話になっているセンターですから、先生のクリエイティヴな企画に参加してみようかな、と考えています。教員としてよりも、むしろ、生涯学習をこころざす、ひとりの市民として。

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「条件法過去」の夏

2008年 9月 23日

へとへと、です。むなしく書類にふりまわされた夏でした。命の通った「教育」をしたいと思うと、たいてい「制度」と衝突するのです。

HPも、長らくお休みしましたが、まずは「条件法過去」の写真をお見せしましょう。「昨日、もし晴れていたら、外出したのだが」とか「あの時、あなたがそう言ってくれたら、うまくいったはずなのに」とか。過去における非現実の仮定をあらわす時制を、フランス語で「条件法過去」といいますが、わたしの用語では、「あの人、条件法過去ね」というのは「愚痴っぽい」という意味。それでも一応、写真の由来を説明しておきますね。

鈴木一誌さんと管啓次郎さん、そしてわたしが、池袋のジュンク堂でトークセッションをやってから、もう半年近くたってしまいました。鈴木一誌さんが装幀を手がけてくださったわたしの評論集『砂漠論』は、そのときの話のネタのひとつ。管啓次郎さんがセッション直前の旅にこの本を持参して、記念写真をとってくださったというわけ。

Rapa Nui

写真のなかの、ぽっちゃりした手は、チリの女の子の手だそうです。管さんは島から島へと地球をわたり歩く人。わたしの本は、砂漠とバルザックの貴婦人がテーマ。そしてイースター島は、ピエール・ロティゆかりの地(二十歳のころ、人類学調査団の一員として、この島でモアイのスケッチをした)。なんと支離滅裂で素敵な出会いでしょう。と、独り、夢想を誘われておりました。

それに、今度は、ロティを素材にした本を書きたいと思っているものですから。予定としては、早々に大学院の印刷教材を書きあげて、今年の夏は、自分の本を! と思っていたのに、ああ、それなのに、「条件法過去」になってしまいました。

こちらは「複合過去」の話。神奈川学習センター「フェスタ・ヨコハマ」の講演会が、無事おわりました(2008年8月12日「横浜開港から多文化共生へ」参照)。これが休暇とはいえぬヴァカンスの最良の思い出。沢山の方が来てくださいました。だれかが「ネームヴァリュー」という言葉を使いましたが、そうではないと思う。なにしろテレビには出ないし。流行のテーマを研究しているわけでもありませんし。

それではなぜ? という理由を、わたしなりに考えてみました。まずはポスターの「ベトナム・ヨコハマ・フランス~多文化共生をテーマに」という表題を見た人は、??? と感じたに違いありません。講師が専門と異なるテーマを掲げ、当日は、ベトナムがご専門の素敵な先生も登場(小川さんのアオザイ姿は、本当にエレガントでした)。本番の前に、学生さんと打合会+勉強会のようなものを2度もやるなんて。

素晴らしかったのは、調査に参加してくださった学生さんたちの当日のパフォーマンスです。猛暑の季節、講演会まで1週間という日に、ようやく「いちょう小学校」とその周辺の取材という計画が具体化したのですから、正直のところ、ちょっと心配でした。でも、会場の拍手は圧倒的でしたね。

「いちょう小学校」に隣接する団地のベトナム料理店で、じっさいにボートピープルの方とお話しました、という報告があって、あの日の企画は「命が通った」のではないでしょうか。

1497年、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰をこえてインド洋に乗り入れ、アジアの海はヨーロッパとの交易によって栄えるが、やがて植民地化の時代が訪れて、仏領インドシナが成立し、太平洋戦争の終結とともに、ホー・チ・ミンのベトナム共和国が独立を宣言する。ベトナム戦争が泥沼化して、1975年の終戦後、生活の基盤を失った人々が、身ひとつでボートに乗って亡命を企てた。それらの「ボートピープル」のほんの一部が、横浜市に隣接する収容施設に住むようになり、この地域が、今日では「多文化共生」のモデルケースとみなされている。

以上が、わたしの話の筋書きですが、団地に足を運んでくださった学生さんたちは、生身の人間として、世界の歴史の結節点を見出したのです。ここに学びの原点があるという印象が、一瞬、会場に漂って、皆さんの共感と感動を誘った。というのが、わたしの感想です。

かねがね思っていることですが、公共放送というメディアを通しての教育は、やはり一方通行で、本部の教員が真剣に学生さんと向きあう機会もかぎられている。貴重な出会いの場を提供する学習センターの役割に、あらためて思い至った次第です。名古屋在住の学生さんの報告と感想をご覧ください。
http://hobo.no-blog.jp/train/2008/08/post_18c2.html

古今

2007年 5月 20日

青葉のまばゆい季節になりました。このHPを立ち上げて2ヶ月。Web空間というのは抽象的なようでいて思いがけず人の気配があるものなのですね。昔、豊崎光一先生のゼミ生だったという方からお便りをいただきました(cf「手を変え品を変え」)。

場所は学習院大学目白キャンパス北2号館。わたしは三〇代の新米教師でした。階下でたまたま豊崎先生にご挨拶すると、何やら貴重な沈黙にみちたエレベーターで二人向き合ったままするすると研究室まで運ばれてゆき、そこで止めどなくあふれる篠沢秀夫先生の言葉に迎えられ、やがて辻邦生先生が女子学生から捧げられた真紅の薔薇を手に登場なさる。映画の風景のような思い出の断片です。

フランス文学だけで一生が満たされると信じていたあの頃からすると、演じる役割は複雑になりました。ここ10年ほどの「大学の仕事」をふりかえってみると、その比率は外国語・地域文化研究・文学という順番になるでしょう。「書斎の愉しみ」は文学・地域文化研究・外国語という順番にしたいところですが、これは引退しなければ無理。