工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

Archive for 共和国とライシテ

スカーフからキルパンへ―今、ケベックが面白い

2009年 2月 2日

「文学と映画は1月交替で。映画の月に文学の注文がきたら、今は映画の月だから、といって断ります。文学の月に映画の注文が来たら、同じ手法で断ります」という話をなさった方は、冗談がお好きですから、本気にはしないことにして、それはともかく、わたしも2本立ての心意気だけは真似てみようと思っています。

というわけで、昨年の今頃は、幸福にも文学にどっぷりでした。けれど、今や色気も才気もぬきで「ライシテ」(政教分離)と共和国。このサイトでも、何度か話題にしております(「〈共和国〉という、この困難なもの その1」「同 その2」「同 その3」「〈普遍〉と〈特殊〉あるいは〈契約〉としてのライシテ?」)。

どのぐらい色気とも才気とも無縁かといいますと、「スタジ報告書」(2004年の「スカーフ禁止法」に道を開いたとされる、大統領の諮問委員会によるレポート)と、これにかかわる3冊の著作を、実直に、さながらヴァーチャル・ゼミのように読んでみよう、という文章を100枚ほど書きました。要するに「スカーフ論争」を含め、政教分離をめぐる議論のアクチュアリティを追ってみようという話。これは科学研究費の報告書に掲載したあと、個人研究費でちょっとデザイン性のある抜刷を作って配布する。と同時に、ウェブにも立ち上げる予定です。

その100枚を書いているうちに、出会ってしまった新しいテーマがケベック!なにしろ「ライシテ」研究の第一人者ジャン・ボベロの近著には「ケベックはフランスの未来?」なんて挑発的な副題がついているのですよ(Jean Baubérot, Une Laïcité interculturelle, Le Québec, avenir de la France?, Edition de l’Aube, 2008)。

「スタジ報告書」を読んでいたときから、予感はありました。EU諸国のなかで、状況に差異はあるにせよ、オランダ、ベルギー、イギリス、そしてドイツなどは―「統合モデル」のフランスと異なり―おおまかにいえば「多元モデル」の道を歩んでいるといえるのですが、いずれの場合も、限界と矛盾が露呈しています。今、参照すべきは、ケベックの「良識的な妥協」accommodements raisonnablesではないか。これが2003年12月の「スタジ報告書」で明確に示されていた指針だったのです。

委員会メンバーのひとりで社会学者のアラン・トゥーレーヌは、政治哲学者アラン・ルノーとの対談で、ウィル・キムリッカに何度か言及し、「多文化主義の可能性」を探るべきだと主張する(キムリッカはカナダの政治学者で『多文化時代の市民権―マイノリティの権利と自由主義』『現代政治理論』などの翻訳あり)。そしてジャン・ボベロはケベックに長期滞在して、聞き取り調査を素材にした著作を出版してしまいました。研究者たちの視線は、明らかにEUの外に向けられています。

カナダには、これまでにもスカーフ論争、ターバン論争、私的調停組織としての「イスラーム法廷」論争、宗教を根拠とした休日闘争、ケベック州議会の議長席の背後にある「十字架」論争、地方議会など公的な場における「祈祷」論争、cabane à sucre(ドイツのビアホールみたいな感じですが、メインはメープルシロップ)のメニュー論争、等々、じつに盛りだくさんの話題がありました。

フランスは、「ムスリム女子生徒のスカーフ」という一極に集中して、メディア的に異様なまでに「興奮」してしまったのですけれど、むしろそのこと自体に、なぜ? という問いを発してみるべきかもしれません。

さて、ようやく「キルパン」の話になりますが、これは16世紀にインドで生まれたシク教の信徒が身につけるナイフです。宗教的なシンボルというだけでなく、危険物とみなされることもある。12歳の少年が学校の校庭で、そのキルパンを落としたというささいな出来事が、数年におよぶ論争とカナダの最高裁判所にまで至る司法闘争となり、メディアが煽った異文化摩擦の事件は他にもいろいろあって、ついに2007年2月、ケベック版「スタジ委員会」のような諮問委員会が、首相ジャン・シャレにより招集されました。

2名連記の委員長は、ジェラール・ブシャールとチャールズ・テイラー。ブシャールは、フランス語系で「主権主義」、つまり「分離独立」とまではいわないけれど、カナダ連邦政府に対してケベック州政府の権限を拡張しようという立場。兄リュシアン・ブシャールは、ケベック州首相の経歴をもつ政治家です。一方のテイラーは「多文化主義」の論客で、EUの「補完性原則」をカナダに導入するという政策提案にかかわった英語系の連邦主義者。この2名の人選、なんとも絶妙なバランスではありませんか。

通称「ブシャール=テイラー委員会」のレポートは2008年5月に提出されました。ジャン・ボベロは、この「報告書」に脱帽し、わたしは委員会のサイトにアクセスして圧倒されました(http://www.accommodements.qc.ca/)。「報告書」の完全版と縮約版をプリントアウトしたら、400ページ以上(ちなみに「スタジ報告書」は80ページ)。ページのデザインも美しいし、読めば本当に面白い! たとえば「良識的な妥協」accommodements raisonnablesとは何? という疑問も解けますし、ボベロの書物のタイトルUne Laïcité interculturelleに反映されている「インターカルチュラリズム」という概念も丁寧に解説されています。

連邦政府の「マルチカルチュラリズム」に対してケベック州は「インターカルチュラリズム」を提案するのです。この話は、それこそ1冊の本が書けるぐらいに奥深いのだけれど、とりあえず文学・宗教・文化政策といったわたしの関心領域からしても、チャールズ・テイラーやウィル・キムリッカなどの主著と、ジェラール・ブシャール『ケベックの生成と「新世界」―「ネイション」と「アイデンティティ」をめぐる比較史』とを読み合わせるぐらいの心構えが求められそうです。

わたしのような新米でも、すぐに見えてくることがないわけではありません。「マルチカルチュラリズム」は、1971年にカナダのトリュドー首相が世界に先駆けて宣言し、以来、連邦政府がとり組んできた「多元モデル」の政策です。これに対し、「インターカルチュラリズム」は、ケベックの特異性を踏まえたダイナミックな「統合モデル」ということになるでしょう。ケベック州の公文書にこの語彙が登場したのは1981年だそうですから、10年の開きがありますし、「マルチカルチュラリズム」のように世界的に認知されているかというと、まあその度合いは、かぎりなく低いでしょうね。

「マルチ」か「インター」か…。じっさい、政策レヴェルでは衝突があるのです。たとえば学校での「キルパン」着用については、ケベック州の控訴院判決は禁止、連邦最高裁は許可。これは理論的には予想できる。にもかかわらず、州の判断に対する連邦の介入だということで、大騒ぎになりました。ムスリムの「スカーフ」については、フランスの判断を踏襲せずというのが、ブシャール=テイラー委員会の結論です。

等々の話を整理して、新しい章を書き、増補版「ライシテ論」の抜刷を作ろうというのが、目下の計画なのですが、さて、いつになることやら…。

「普遍」と「特殊」あるいは「契約」としてのライシテ? (付録:面接授業「シャンソンで学ぶフランス語」テクスト)

2008年 11月 25日

相変わらず考えています。11月末にJean Baubérot氏が来日するというので、羽田ゼミの聴講生(?)としては、6~7月のブログにつづくリポートを。2004年の「スカーフ禁止法」を方向づけた「スタジ報告書」については、すでに話題にしましたが(6月18日)、そのテクストを読みながら、気になる語彙を拾ってみました。

まずは第1部のタイトルに「ライシテ、普遍的原理、共和国の価値」とあるのですけれど、これが「自由・平等・友愛」みたいに並列された語彙なのか、等号で結ばれているのか、それとも三角形の内部に論理構造があるのか、謎なのです。ここで「普遍」というのは、世界中どこでもア・プリオリに通用する絶対的な真理という意味?おそらくさほど単純な話ではない。

この「普遍」を説明している文章が「スタジ報告書」にひとつだけあります――「ライシテは普遍的な目標であって、宗教の教義と社会を律する法の両立が求められる」(テクスト段落:1.2.3)。なるほど。しかし、なぜライシテは「普遍的な目標」なのでしょう?

一方ではparticularité, singularité, exceptionといった語彙を使って「フランスの特殊性」とか「例外としてのフランス」などとよく言いますよね。ウェブで検索してみるとわかりますが、郊外暴動やライシテ関連の用例が圧倒的に多いはず。社会や歴史の具体的な側面において、フランスにはフランスの固有性=特殊性がある、ということであれば理解できます。1905年に、いわゆる「政教分離法」が制定された当時、これがフランスという国家とカトリック教会との「離婚」という決断の法制化であったことは、まちがいないのですから。

「報告書」にも、「ライシテはフランスの特殊性か?」という問いかけがあります(2.3)。答えはもちろん否。この問いは、ライシテがヨーロッパの一般的な選択であるという議論の導入にすぎません。要するに、経緯は個別的であっても、理念にまで高められたライシテは「普遍的な価値」である、ということ?

(付言するなら「スタジ報告書」は、むしろparticularité, singularité, exceptionといった語彙を周到に避けながら、議論を進めようとしているように見えます。語彙の「不在」もテクスト分析の対象としなければなりません)

あるいは、こう言いかえることもできるでしょう。ライシテを「共和国の価値」と認める者たちが「フランス共和国」の市民である、と。同語反復のようですが、なにしろ「報告書」にはpacte socialという語彙が3回、pacte républicainは、なんと7回も出てきます。ルソーの「社会契約」に依拠しての「共和国契約」が想定されているのでしょう。pacte laïqueという表現も1度だけあらわれます。「ライック契約」ではなく「ライシテ契約」と訳しておきます。

「ライシテ契約」によって成立する「ライックな共和国」?いずれにせよ「普遍的」という形容詞が「原理」という名詞に寄り添うことができるのは、この「原理」が、永続的で拘束性をもつ契約行為としてのpacteによって「承認」されているからではないでしょうか。この先の議論は、手に余りますが。

ところで「ライシテ契約」という概念の提案者、少なくとも推進者は、ほかならぬジャン・ボベロであるらしい。未読ですが、1990年出版のVers un nouveau pacte laïque? Seuilがあるほか、2000年に刊行されたJean Baubérot, Valentine Zuber, Une haine oubliée. L’antiprotestantisme avant le « pacte laïque » (1870-1905), Albin Michelには、ご覧のとおり、この語彙が括弧付きで副題に添えられています。巻末の語彙解説には、「ライシテ」とは本来、(国家と宗教の)闘争的な関係を想定したものだが、「契約」に拠って立つ者は、対立する陣営に「交渉不可能」な価値があるときには、これを尊重する、とあります。

というわけで、「スタジ報告書」は、こうした語彙運用の現場を分析する素材として、なかなか面白いのですが、ついでにもう一つ。ケベックで言われるところの「穏当な妥協」« accommodements raisonnables »というのが、何度か出てきます。ボベロも「折り合いをつける」ことは「契約」のマナーであると言っている。

ひと言で言えば、共和国原理の再確認とカナダの(オランダ、ベルギー、アメリカの、ではない)多文化主義への目配せ、というのが、「スタジ報告書」読解の結論です。見当違いかもしれません。

最後にもう一つ、脱線です。「ライシテ」とは「原理」なのか、「イデオロギー」なのか、「制度」なのか、「政策」なのか、「歴史的事実」fait historiqueなのか、「社会現象」なのか、「文化」なのか……。もちろん、色々な議論があるのですけれど。

それは「感性」sensibilitéの問題でもある、と、ある歴史家が言っているのですね。「メンタリティ」なら思いつくけど、そうか、なるほど「感性」か……。さすが、わが尊敬するルネ・レモン様です。でも、そういわれるとコレットの身体は、たしかに「ライック」ですよ。「信仰」の有無とは異なる位相の問題構成で、「共和国の小説」を読み解くことができるでしょうか。

*  *  *

さて、面接授業クリスマス番組(?)のための付録です。12月6日(土)7日(日)に東京世田谷学習センターで行われる恒例の「シャンソンで学ぶフランス語」のテクストを慌ただしく立ち上げることにしました。昨年はわたしが授業報告を書きましたが(2007年12月18日の記事)、このサイトにアクセスする学生さんも増えてきたようなので、今回は内容を予告します。

講師は笠間直穂子さん、エストレリータ・ヴァセルマンさん、そしてわたし。言葉を学びながら多様な文化に親しむという授業の構想に合わせ、今回も、笠間さんが工夫して以下のような曲を選んでくださいました。「これぞシャンソン」というスタンダード・ナンバーから、現代の知的でお洒落なポップミュージックまで。自慢ではありませんけれど、わたしたちがシャンソンをとおして皆さんを誘おうとしている世界は、ゆたかで奥深いのです。履修者は頑張って予習をしてください! PDFをここに。

Charles Trenet : La mer - L’âme des poètes
フランスでもっとも愛されているシャンソン歌手といえば、シャルル・トレネでしょう。明るく親しみやすいメロディと歌詞は、フランス語の勉強にも適してい ます。今回は、数ある名曲のなかから、「海」と「詩人の魂」を取りあげます。「海」は自分で歌えるようになるのが目標です。「詩人の魂」はイヴェット・ジローが歌ったバージョンも聴いてみましょう。

Barbara : Ne me quitte pas
バルバラは自作曲も魅力的ですが、今回はジャック・ブレル作詞作曲の「いかないで」を聴きます。日本語版でご存じの方もいらっしゃると思います。物語性のあるブレル独特の世界を、バルバラはどう「解釈」しているでしょうか。

Keren Ann : Que n’ai-je ?
若手女性歌手ケレン・アンの曲を聴いてみましょう。タイトルは古風なフランス語ですが、歌詞はそれほど複雑ではありません。さまざまな動詞を使った表現を学ぶことができます。アルバム「Nolita」の収録曲です。

Francis Cabrel : Je t’aimais, je t’aime, je t’aimerai
作詞作曲ともに丁寧な仕事で知られるフランシス・カブレル。ロングセラーアルバム「Samedi soir sur la terre」からの一曲です。歌い方がはっきりしているので聞きとりやすいと思います。動詞時制のおさらいに有効です。

Alain Souchon : J’ai dix ans
人気歌手アラン・スーションの初期のヒット曲です。「ぼくは十歳」というこの曲には、子どもが使う口語表現や言葉遊びが含まれています。辞書に載っていない単語も出てきますが、あまり気にせず、子どもの世界を楽しみましょう。

笠間直穂子

語彙の問題(話のつづき)

2008年 7月 8日

昔つとめていた職場に足を向けることは、ほとんどありません。ハムレットのお父さんではあるまいし、用もないのに古巣に出没したら、亡霊みたいではないですか…。などといいながら、羽田正さんという友人に誘われると、小犬のように(そんなに可愛くない?)尻尾をふってついていってしまうわたしであります。

東京大学のグローバルCOE「共生のための国際哲学プログラム」(UTCP)の枠内に立ち上げられた「世俗化・宗教・国家」という教育プログラムのセミナーに参加してきました。昔の職場をはなれて早4年。こうして「学際研究」の手応えが本物になってゆく。という嬉しい実感をもちました。もちろん羽田ゼミだからこそ、なのでしょうけれど。毎週、セミナーの報告をWebに載せるというのは、以前なら想像もつかぬこと。

UTCP「共生のための国際哲学特別研究Ⅰ」へのリンク

お誘いをいただいたときのメールに、基本的な文献をできるだけたくさん読んで、使用する語彙の意味を確定しなければならない、とありました。で、さっそく語彙の問題ですが、今日的な意味での、つまり1905年に「政教分離法」として法制化される概念としてのlaïcitéは、1887年 Ferdinand Buisson, Dictionnaire de pédagogie et d’instruction primaireに初めて登録されたものだそうです(Alain Renaut, Alain Touraine, Un débat sur la laïcité, Stock, 2005, p. 19)

1866─1877年に出版された『19世紀ラルース大辞典』にもlaïcitéという項目はありますが、解説はlaïqueの名詞としての用法を紹介す るだけで、わずか4行足らず。第三共和政の公教育の基礎を築いたジュール・フェリーが、1879年に公立小学校の教員に宛てた有名な公開書簡を検索してみると、形容詞の用法がenseignement laïqueとécole laïqueと2例あるのみで、やはりlaïcitéという語彙は見あたりません。

ただしlaïqueという形容詞の今日的な意味での用法は宗教改革にまでさかのぼる。というのがゼミで紹介した話です(ええっと、ルターだったか、カルヴァンだったかしら、と一瞬まよった覚えはありますが、正しくはカルヴァン、なぜってフランス語の語彙の話をしていたのですから)。民事裁判を担当するのはjuges laïquesであることが望ましい、という文脈ですが、ジュール・フェリーの学校教育の話と同様、「聖職者」ではない、「教会」や「修道会」のものではない、要するに「宗教」から「制度的」に独立した人格という意味でしょう。「信仰」とは別次元の概念であることに留意してください(Jean Baubérot, Les laïcités dans le monde, PUF, Que sais-je ? 2007, p. 15) 。

上記ジャン・ボベロの著作には、laïqueの語源は、ギリシア語のlaosであるという話が出てきます(p.5, p.111)。laosはclerc(聖職者・神官)と対立する言葉。「一般人」などと訳してもわからないので「非聖職者」としておきます。

そこで考えていただきたいのです。ひとつの「語彙=概念」の起源が歴史の彼方にあるという言説は、歴史の重みと同時に、ある種の「正統性」をその語彙に付与します。そして古代の輝きが、フランスという「laïqueな共和国」にそえられます。「ライシテ」とは、地中海古代文明の「内部」で懐胎された価値であり、フランス共和国が体現するところの「ヨーロッパ文明」の本質である ─ そんな「物語」を、無意識のうちに読みとってしまう人もいるでしょう。

無責任なWeb空間なので、あえて軽薄なことをいいますけど、それって「知的植民地主義」じゃありませんか? 古代エジプトも古代ギリシアもアーリアのインダス文明も、ヨーロッパ文明の淵源であり、「われわれの歴史」の起源だというのです。

念のために。いいたいのは、過去と現在をむすぶ安直な「起源の物語」は収奪の仕草につながる、それは他者を排除し、その存在を隠蔽するから、というだけのこと。わたしが歴史家と歴史学に対していだく敬意に変わりはありません。

さて「スタジ報告書」(6月18日、「共和国」という、この困難なもの(その1)参照)の冒頭部分にも、こんな一文が。

ライシテは、われわれの集合的な歴史に組み込まれている。
それは古代ギリシア、ルネサンスと宗教改革、ナントの勅令、そして啓蒙思想を拠り所とするものであり、これらのステップは、それぞれのやり方で、人間の自律と思想の自由を発展させてきた。

ちなみにヨーロッパに生きるムスリムたちは、「われわれの集合的な歴史」の「外部」におかれているのでしょうか? ヨーロッパにいわせれば、イスラームは、ギリシア文明との関係でも完全な「外部」、そして「闖入者」ということになる? もうちょっと譲歩して、ヨーロッパの源流である貴重な「古代文明」を、とりあえずルネサンスにいたるまで、大切に「保管」していた「媒体文明」――みたいなイメージで語られることもありますね。

この問題は、タラル・アサド『世俗の形成―キリスト教、イスラム、近代』が示唆していることに、関係がありそうです。むずかしそうな本ですけれど。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームは、同じ地中海世界で生まれ、交流も、衝突も、当然あったけれど、とにかく同じ時空を重層的に分かち合い、長い歴史を生きてきた。誰だって知っていることです。

近代的な学問の分類的な思考は、のっけから、たとえばイスラームとキリスト教の「本質的な相違」を腑分けしようと意気込んで、腕まくりをしているように見えます。むしろ同じ根をもつ伝統が共有するもの、すなわち「相違」ではなく「共通性」に着目し、そこから枝分かれしたり、ふたたび合流したり、影響を与えあったり、という歴史の複合的な運動を、柔軟に記述することはできないでしょうか。わたしが思いおこしているのは、あの名著、井筒俊彦『イスラーム 哲学の原像』(岩波新書)です。

最後にもう一度、次の文章に、精一杯、尻尾をふってしまおうと思います。

「日本史」と「東洋史」と「西洋史」を合わせれば「世界史」になるのではない。地域史や時代史のグリッドを集めて組み合わせても世界史にはならない。世界全体の過去を鳥瞰し、新しい歴史学の潮流を意識しながら、人類が共通の過去を持っているということが理解できるような「世界史」を構想すべきなのだ。(羽田正「歴史理論」『史學雑誌 2007年の歴史学界―回顧と展望―』史學會、2008年、p. 9)

「共和国」という、この困難なもの(その3)

2008年 7月 1日

まず、これまでの復習。フランス式の「政教分離」「ライシテ」とは、宗教が公的な場に介入することを防ごうという趣旨であり、政策としては「空間的な排除」という方式をとります。

具体例をとおして考えているところです。今や法律によって公に認められた判断なのですが、スカーフをかぶったムスリムの女子生徒は、公立中学校の教室には入れません。たとえシンボリックなものであっても(つまり「実害」はないにもかかわらず)排除する、というべきか、むしろシンボリックなものだからこそ(たとえ物理的にはささやかであっても)排除する、というべきか。現在の議論は後者ですね。

1905年12月9日の法律により、フランスは「公的な空間」から、宗教にかかわる人や物を排除することを決めました。とはいえ、そのころ小学校の教室に飾られていた十字架と、1989年のスカーフは、決して等価ではありません。なぜなら、カトリック教会は、ヨーロッパ文明の中核を占める巨大にして権力的な「制度」なのであり、これが若く未熟な「共和国」と対峙していたのです。

一方、今日スカーフを着用する者は、「移民+ムスリム+女性」という三重にマージナルな存在として、「共和国」から排除されている。彼女たちは排除されているという実感をもっており、それが動機となって採用した「異議申し立て」のシンボルが、小さなスカーフであるともいえるでしょう。

「信仰の自由」という問題提起には迫力があります。トルコの片田舎、どこかの寒村で、イスラームの伝統と深い信仰につつまれて育った女性に、いきなり全身を覆うヴェールを脱げといえば、それはスカートを脱げというようなものだ、という指摘は、わかります。女性の頭髪は性的なものだから人目にさらしてはいけないというイスラームの教えがある、という解説も、ここでは有効です。でも「ムスリム女性」を一括りにして「信仰の自由」という基本的人権の問題に還元し、いきなり異文化への「寛容」を説くのは、やはり短絡的な思考ではないでしょうか。

トルコの政治家の妻たちが身につけた華麗なスカーフ(エルメスかな?)を目にすると、これはアイデンティティの主張にちがいない、と感じます。信仰の営みと無縁だとはいいません。しかし目標は「マニフェスト」なのですから、まさに「公的な場」に登場し、排除されたりすることも、意味のあるプロセスとなるのです。「政教分離」派がスカーフに対して苛立つのは、自分たちのロジックを彼女たちが逆手にとって闘っているからにほかなりません。あたりまえのことですが、スカーフの着用が禁じられていなければ、そこには「違反性」も「異議申し立て」の衝迫力も生じません。このやりとりには、いわば相乗効果がある。そのために「スカーフ」は奇怪なまでにシンボル化されてゆき、世界中が注目するなかで、着用の是非をめぐる議論が「盛りあがって」しまうのです。

それにしても、未成年のムスリムたちは、本当に主体的な選択をしているのだろうか。少女たちにスカーフ着用を強要し、「異議申し立て」を煽動するムスリムの男たちがいるのではないか。少女たちは、むしろ抑圧を受けている犠牲者にちがいない。保守的なムスリム男性こそが、共和国の原理をまっこうから否定する、悪しき共同体主義(否定的な意味での「コミュノタリスム」)の温床なのである! ――これはマスコミで喧伝された、あるいは執拗に示唆された物語であるようです。この問題に関するメディア批判は、以下を参照。Pierre Tévanian, Le voile médiatique : Un faux débat, Liber, 2005.

「スタジ報告書」は、最終的には、社会秩序がこれ以上乱されることに「歯止め」をかけるべきだ、という理由を掲げ、「公立学校におけるこれ見よがしな宗教的シンボル着用の禁止法」を提案することになりました。「問題はもはや、信仰の自由ではなく、公の秩序である」と報告書のなかにも明記されています。

「公的な空間」では宗教に対する厳格な中立性を確保し、「私的な空間」において個人の信仰の自由を保障するというアイデアは、わかりやすいものだから、今日でも、あらゆるところで、とりわけテレビや新聞などのメディアで反芻されています。じつのところ――わたしが今書いているようなウェブサイト用の文章もそうですが――数分で頭に入るような単純明快なロジックは、概して警戒すべきものなのですけれど。

「公的な空間」は均質な共和国原理につらぬかれ、文化の多様性は「私的な空間」にそっと収納されている。そんな共和国イメージが目に浮かびます。しかし、これは捏造された理想像。そもそも「公私」が空間的にぬりわけられるという話自体が、まやかしではないか……。

「スタジ委員会」のメンバー、社会学者のアラン・トゥーレーヌも、完全に「公私」の分離ができるなどと単純に考える委員はいなかったと証言しています。でも、そうだとすれば、「ライックな共和国」はいかに定義されるのか? 議論はふりだしにもどった感じです。この困難な問いかけについて、政治哲学のアラン・ルノーとトゥーレーヌが語り合った本には、大いに啓発されました。Alain Renaut, Alain Touraine, Un débat sur la laïcité, Stock, 2005, pp. 40-41.

「スタジ報告書」は、1名の棄権があったほか、メンバーの全員が賛同して提出されました。その1名とは、歴史学・宗教社会学のジャン・ボベロ。棄権の理由は、今回の立法がマイノリティをターゲットにしていることへの違和感です。18世紀末、フランス革命の時点の「ユダヤ人」が、今日の「ムスリム」にかわっただけなのだ、と。Jean Baubérot, Laïcité, 1905-2005, entre passion et raison, Seuil, 2004, p. 189.

第三共和政期のプロテスタント研究から出発した歴史家の判断に、わたしは大きな共感をおぼえています。正直のところ、1905年のカトリック教会を引き合いに出して、現代のムスリムという組織化されていない集団に対応することには、何かごまかしがある、と感じていたのです。じっさい、「スタジ委員会」が結論したように、もはや「信仰の自由の問題」ではないのだとしたら、なぜ「宗教」にかかわる禁止によってマイノリティを拘束するのでしょうか。共和国が、正面から「公の秩序の問題」として、文化の多元性と向きあうことの困難さを、わたしたちは想像すべきなのでしょう。つまり、とりあえず、間接的な「歯止め」をかけたということなのでしょう……。

ジャン・ボベロは必読です。PUF, Que sais-je ? の文庫に2冊、基本文献があります。Histoire de la laïcité en France(2000)、Les laïcités dans le monde (2007)。

日本語で読める最も充実した文献は、内藤正典・坂口正二郎編著『神の法vs.人の法』日本評論社、2007年。もちろんトルコもふくめ、ヨーロッパを横断的に比較検討していること、憲法学と社会学のコラボレーションであることが、大きな特徴です。

わたし自身は、文学好きの立場から、前著で1905年に至る道を概観し、その延長上にある現代の「ライシテ」に、目を向けはじめたところです。『宗教vs.国家―フランス〈政教分離〉と市民の誕生』講談社現代新書、2007年。

(反省:ブログ調の軽い文体で、とかいいながら、ただの「ですます」調になりました……)

「共和国」という、この困難なもの(その2)

2008年 6月 24日

先々回(6月6日)に書いたことですが、わたしはiPodで手当たりしだいに古典の朗読を聞き流すという趣味のもちぬしで、たいてい家事や散歩のときにやっているものですから、なおのこと「犬も歩けば……」という感じなのですが……。これは教材にできる!と思った「めっけもの」を、本日はご紹介します。

先回の話題(6月18日)をうけて、フランスの1905年に注目してみましょう。カトリック教会と共和派が、「国民教育」の主導権をめぐり、熾烈な争いを長年つづけたのち、ついに勝負あり! という時代、まさに歴史の曲がり角です。

その教材とは。マルセル・パニョル(1895~1974年)という名は、昔フランス語を習った人、あるいは映画好きの人なら、ご存じかもしれません。父親は熱烈な共和主義の小学校教師でした。生まれた年からおわかりのように、「ライシテ」をめぐる闘争のまっただなかで、少年時代を過ごした世代です。教育改革のおかげでマルセイユ郊外の小さな村の子どもでも、頭がよければ師範学校に通えるようになった。ここは思い切り「ライック」な世界……。

引用の冒頭にある「反教権主義」は、ローマ教皇庁を頂点とする制度化されたカトリック教会への全面的な対決と批判、とご理解ください。

当時の初等師範学校は、神学校そっくりだったが、ただし神学の勉強にかわってやられているのは反教権主義の授業だった。
青少年に教えこまれるのは、次のようなことだった。教会というのは、つねにかわらず圧制の手先だったし、坊さんたちに目標と任務があるとするなら、それは民衆に地獄や天国のおとぎ話を聞かせる一方で、無知という黒い目隠しで目を覆ってしまうことだ、というのである。
それに「神父さん」という連中は、何かよからぬ魂胆をもっている。あのラテン語というやつを使うのが、何よりの証拠。ちんぷんかんぷんの言葉だが、無知な信者にとっては、まじないのように、怪しげな効き目がある。
ボルジア家の父と息子〔注:淫蕩で残忍だったといわれるチェーザレ・ボルジアとその父、教皇アレクサンデル6世〕を見れば、あれが教皇庁の立派な代表であることがわかる、というふうで、しかも、こんな扱いの教皇に比べ、国王のほうは手加減されていたというわけではない。あの好色な暴君どもは、女を囲うことか、さもなければ剣玉遊びをやることしか念頭にない。しかもその間に、ごろつき役人どもは法外な税金をしぼりとっている。それは国民の収入の10パーセントに相当するほどの額だった、というのである。
こんな具合で、歴史の授業は、共和国的な真理の側に巧みによじまげられていた。
ただし、私としては、われらの「共和国」に恨みがあるなどというつもりはない。昔から世界史の教科書とは、そんなものだろうけれど、要は時の政府におもねるプロパガンダのパンフレットにすぎないからである。
こうして師範学校を出たばかりの若者たちが確信していたところによれば、大革命の時代とは、牧歌的な時代、友愛が情愛にまで高められた寛容の黄金時代、要するに善意の爆発なのだった。
それにしても、これら非宗教的な革命の天使たちは、2万人もの人間を殺してさんざん盗みもやった挙げ句、こんどはギロチンでお互いの首を斬りあったはずなのだが、そんな話を聞かされて、若者たちが奇妙に思わなかったとは、なんとも腑に落ちないことである。
しかしその一方で、こんなこともある。私の村の神父さんは、じつに聡明で、たくましい慈愛の精神をもっていたが、この神父さんによれば、異端審問裁判所とは、いってみれば親族会議のようなものだった。偉い坊さんたちが、あれほど沢山のユダヤ人や学者たちを火あぶりにしたのは事実だけれど、それは、天国に送ってやるために、目に涙をためてやったことだ、と神父さんはいうのだった。
われわれの理性とは、こんなにか弱きものなのだ。たいていの場合、自分の信じていることを正当化しようとするためにしか、理性が役に立つことはないのである。

『少年時代の思い出 ―父の大手柄』
Marcel Pagnol, Souvenirs d’enfance I, La Gloire de mon père

日本語で読むと笑えないかもしれませんけれど、とぼけた皮肉と諧謔にみちたテクストです。読み方しだいで「文学」は、歴史に「実感」をもたらすものだと思うのです。世相が目に見える、というのは、楽しいことでしょう?

じっさいには、フランス大革命のときに共和国に「宣誓」した聖職者の系譜がありますし、20世紀初頭のフランス国民は大方が、自分はカトリックだと思っていましたから、上記のような二項対立的な応酬は、いわば本質を誇張した模範例にすぎません。それにしても、カトリック教会の歴史観が優位を占めれば「共和国のアイデンティティ」は確立できない、という危機感は、よく伝わるのではないでしょうか。行動的な共和主義者には、プロテスタントが多かったという事実も大切です。この時点での「国家vs.宗教」とは、じつは「共和国vs.カトリック教会」だった、しかもその根源には「全面対決」の力学があった。これが引用テクストのポイントです。

1905年の法律の施行にさいしては、ときには国家憲兵隊が登場し、修道会系の学校から聖職者を排除する、教室の十字架をとりはずす、等々の実力行使を行いました。もちろん学校の外であれば、神父さんは好きなだけ子どもに教理問答を教えることができる。これが「空間的な政教分離」という方式です。かつての十字架も、今日のスカーフも、要するに「宗教的シンボル」ではないか。漠然とそう感じているフランス人は、少なくないのかもしれません。

最後に、1905年12月9日の法律を原文で引き、内容を要約しておきましょう。第1条。共和国は、信仰の自由を保障する。公の秩序に抵触しないかぎり、信仰に関わる行為を自由に行うことができる。第2条。いかなる宗派に対しても、国家予算から聖職者の給与や礼拝などの補助金を支払うことはない。ただし、教育、病院、監獄などの公的機関における「施設つき司祭」は別あつかい。

すなわち20世紀の初めまで、フランスでは公認の宗教(カトリック、ルター派とカルヴァン派のプロテスタント、ユダヤ教)の聖職者や教会の諸経費に、国の予算が投入されていたわけです。むしろ、そのことを念頭において「政教分離」という発想が起因する歴史の力学を、探るべきだと思われます。

Loi du 9 décembre 1905 relative à la séparation des Églises et de l’État

ARTICLE PREMIER. - La République assure la liberté de conscience. Elle garantit le libre exercice des cultes sous les seules restrictions édictées ci-après dans l’intérêt de l’ordre public.

ART. 2.- La République ne reconnaît, ne salarie ni ne subventionne aucun culte. En conséquence, à partir du 1er janvier qui suivra la promulgation de la présente loi, seront supprimées des budgets de l’État, des départements et des communes, toutes dépenses relatives à l’exercice des cultes. Pourront toutefois être inscrites auxdits budgets les dépenses relatives à des services d’aumônerie et destinées à assurer le libre exercice des cultes dans les établissements publics tels que lycées, collèges, écoles, hospices, asiles et prisons.