工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

Archive for プルースト

カーテンコール

2012年 11月 30日

最初の話題は、森光子。矢野誠一による惜別の辞「栄誉の冠頂き、遠くへ」(朝日新聞11月19日)を読んで、なるほどなあと思いました。わが国の演劇史を知りつくした筆者が、大女優の舞台の精髄と隠れたエピソードを語り、大輪の花を咲かせたのちも高ぶらぬ人柄で周囲を魅了したと証言する。ここまでは予想される賛辞ですけれど。文化勲章受章のあたりから、歩む方向が変わってしまった、というのです。

「いけない」と思ったのは『放浪記』にカーテンコールをつけ始めてからだ、という指摘につづく矢野誠一さんの文章をそのまま引用すれば――「机に伏して寝入った林芙美子の姿で静かに下りた幕が再びあがると、舞台中央に正座した森光子が両腕を高くかかげて、満員の客席にゆっくりと視線を投じる」。本来であれば観客は「林芙美子の生涯」を胸におさめて劇場を後にするはずなのに、これでは森光子のイメージの押しつけではないか……。

稀代の名優というのは、おそらくそこに俳優がいて、その肉体がフィクションの人格を巧みに演じているという事実そのものを、いわば神業のように消去してしまう人をいうのでしょう。いつものことですが、思い当たるのはプルースト。文学少年であった語り手は、長らく憧れていたラ・ベルマの舞台を観て、拍子抜けしたような感じになる。

ラ・ベルマの朗唱や演技には、共演者には見出せた洞察に富んだ抑揚や美しいしぐさを見つけることさえできなかった。ラ・ベルマを聞いていると、まるで私自身が『フェードル』を読んでいるか、フェードル自身が現に私が聞いていることばを述べているとしか思えず、そこにラ・ベルマの才能がなにかをつけ加えたとは思えない。できることなら私としては自分の前にひとつひとつの声の抑揚や顔の表情を――それを深く究めて女優の立派なところを見出すべく――長いこと固定しておきたかった。
(吉川一義訳『失われた時を求めて3』 p. 60)

語り手は何年かのち、同じラ・ベルマの『フェードル』を観たときに、かつての幻滅の理由を理解します。あのころ自分はフェードルというヒロインの役柄を研究し、それを差し引けばラ・ベルマの才能を掌握できると考えたけれど、じつは才能と役は一体となっていた。才能を明かす技として「声の抑揚や顔の表情」などを摘出できる役者は、じつは天才とはいえない。真に偉大な芸術家がピアノを演奏すると、ピアニストはほとんど透明になり、傑作に対して開かれた窓のような存在になってしまうのと同じだろう、というわけです。

演劇評論家としての矢野誠一さんが期待したのは、森光子という存在が「林芙美子」と一体になり、ますますラ・ベルマの透明な天才に近づいていくことだったのでしょう。ところが、晩年の舞台では、そこに演技をする役者がいるということのほうが前景化され、メインテーマになってしまった。

妙な言い方ですけれど、女優が演じていたのは「林芙美子を演じる森光子」だったのではないでしょうか。帝国劇場や文化勲章や国民栄誉賞というのは、つねにより多くの国民の期待に応えることを代価として求めるのだろうと推察します。その意味では「机に伏して寝入った林芙美子の姿で静かに下りた幕が再びあがると、舞台中央に正座した森光子が両腕を高くかかげて、満員の客席にゆっくりと視線を投じる」という仕草が百回でも二百回でもくり返されるのが、たぶん正しいのです。なぜなら、今日も無事に演じ終えた森光子が舞台の上にいるという奇跡こそが、ドラマのクライマックスなのだから。

観客は「林芙美子の生涯」を知るためではなく「森光子という役者」が時の破壊力に逆らい、後期高齢者であることも忘れて「でんぐりがえし」をやるところを観るために劇場に足を運ぶ。しかも興行的に成功することは自分の義務。本名「村上美津」という女性は、そう信じて九十歳でドクターストップがかかるまで「不死身の森光子」を演じつづけたのではないかと想像します。その意味では、命をかけた芸が、ますます透明になっていったともいえそう。やっぱり「孤高の名女優」だったのでしょうねえ。

演じるべきキャラクターというのは、とりわけ職業をもつ人間であれば、おそらく誰の意識にも多少はあるのでしょうが、人生も六十代になると、他人の視線にさらされる役柄と自然体の自分のあいだに生じた亀裂がしだいに大きくなっていくような気がします。社会生活には本質に演劇的なところがあるから、当然かもしれません。

同世代の人たちが、かつて自分の演じていた役割を上手にこなすことができなくなって、苛立っているように見えることもあり、自分の演技が時代遅れになったことに周囲が気づいていることさえ目に入らぬほど視野が狭くなっていると思われることもある。そんなとき思い出されるのは『見出された時』の終幕、とりわけかつて恐るべきダンディだったシャルリュス男爵や社交界の花形だったゲルマント公爵夫人の凋落ぶりです。

そう、だから、わたしの場合、しんどくなりそうな舞台からは早めに下りたほうがいいと思っています。もともと「カーテンコール」なんて柄でもないわけだし。ありがたいことに読んで書くという職業で、人目にさらされるのは印刷された書物のみ。日蔭の作業の効率は落ちても、それなりに蓄積ができますから、世界は無限に広がっていきます。

独り言のように諦念を語って幕というのも不景気なので、最後に思いきり腹を立てましょう! 自民党も民主党も、女性の社会進出とか、ワークライフバランスとか、少子高齢化問題とかを、大々的に選挙公約に掲げる気はまるでありませんね。先回のエッセイに書いたように「男女平等」を数値化すると、日本は135カ国のうち101位。政治の領域では110位! フランスの「パリテ」(候補者の男女同数を政党に義務づける法)などは夢のまた夢。でしょうけれど、それにしても女性候補者の比率を高めますとか、ちょっと言ってみれば? と書いたあとで、バルザックの観相学を応用しても、無理だなあ、と溜め息をついてしまいました。並んだ顔を見ればciviliserされた男性たちかどうか、一目でわかるのですよ(civiliserは「文明の洗練を知る」とでも訳しておきましょうか)。それにしても、残念ですね、この問題、確実に有権者の半分を占める「女性票」につながるのだけれど……。

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R.MINAMI

政治学院とプルースト

2012年 9月 26日

しみじみと虫の音に聞き入る季節になりました。夏休み、それなりに頑張って原稿を書いていたのですが、なかなか期待どおりにはゆきません。『ヨーロッパ文明批判序説』の続編のような書物を考えています。来年の秋には、なんとか形にしたいのだけれど…。このサイトのReturning Visitorの方は、すでに雰囲気を感じとってくださったかもしれませんが、生成しつつある書物の構想や断片を、ときおりエッセイにして送りだしているわけです。

一例を挙げれば、こんな具合。文学と宗教学(とりわけライシテ研究)あるいは文学と民法学の対話が成り立つような切り口を探す。そしてプルーストを読まずにプルーストを語っているわけではないことを文学研究の友人たちにも認めてもらえるような書き方をする。たとえば1904年8月16日の「フィガロ」紙に掲載された「大聖堂の死――政教分離に関するブリアン法案の帰結」という文章で、プルーストは「政教分離法案のある条項」に反対しています。これは下院に設けられた委員会で7月6日に採択された、いわゆる委員会法案への批判であり、1905年12月9日に成立した政教分離法では、問題の「条項」は変わってしまっているのですが、そうしたことも検証しながら「宗教文化論」の具体例をお見せすることができそう。これは、プルーストが信仰の有無とは異なる次元で「文化遺産としてのカトリック」を明確に意識していた作家であるという議論につながります。

でも、今回は、やっぱり民法学、いえむしろ政治学と文学の話にしましょう。プルーストはブルデューのいう「遺産相続者」なのです。あらゆる意味合いにおいて。以前に19世紀フランスの小説家は、なんでパリ大学法学部出(または中退)ばかりなのか、20世紀の知識人エリートは、なぜ高等師範学校の出身なのかという話をしましたが、本日は、そのつづき。師範学校に入学するのは、地方出身のあまり裕福ではない家庭の息子たち。まずルイ=ル=グラン校やアンリ四世校など、セーヌ左岸の全寮制のリセ(ほぼ高校に相当)に入学して「奨学生」になり、伝説的な高等師範学校(レヴェルは大学だけれど超難関)をめざすというのがエリートコースです。

これに対してプルーストが通学したリセ・コンドルセはセーヌ右岸にあり、パリの社交界やユダヤ系富裕層などの子弟が多かった。ここでもう『失われた時を求めて』の人間模様が見えてきます。リセ卒業後は、創設されて日の浅い政治学院でアルベール・ソレルの外交コースに登録し、口述試験も受けて「極めて聡明」という評価を得たそうです。この教授、作品に登場する外交官ノルポワ氏のモデルのひとりであるとされており、なかなか面白そうな人物です。

ここでいきなり大村敦志『20世紀フランス民法学から』を参照します。パリ大学法学部で「科学学派」が誕生するまでの経緯を著者は以下のように分析しています。1870年に創設された政治学院(今日の通称は「シアンスポ」Sciences Po)は急速に成長を遂げ、伝統的な法科大学を危機に陥れた。政治学院は保守主義・エリート主義であり、授業料も高かったため、第三共和制の為政者は、パリ大学に行政諸学を学ぶことのできるコースを導入することにした。ローマ法と民法を中核とする古典的学風はここで破られ「新しい科学」としての法学が「行政法」「国際法」から「財政学」「統計学」までを含む総合的カリキュラムによって再編されることになる。

この先は、わたしにはフォローできませんが、ふり返れば19世紀は「民法」と「小説」の時代です。プルーストは新興の「政治学」をえらんだわけで、ここを対比的に捉える視点は重要です。1904 年、フランスはナポレオン法典100周年という節目を迎えました。1905年の政教分離法成立の前哨戦で世間は騒然としていましたから、あまり華やかな記念行事はなかった。ただし1000ページを超える「コード・シヴィル100周年記念論集」というのが発行されており、その「序文」を執筆しているのが、アカデミー・フランセーズ会員にして外交史の草分けでもある歴史家アルベール・ソレルです。ずしりと重いこの本は、ジャン=ルイ・アルペランの解説つきで2004年に再刊されました。

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さて、アルベール・ソレルの50ページほどの「序文」ですが、さすがプルーストのバルザック読解に多大の影響を与えたといわれる文人です(『サント=ブーヴに反論する』には実名で登場)。ナポレオン法典が提示する理念的な社会秩序とは、父権的家族像を祖型としたものである――これは耳にタコができるほど聞かされた話でしょうけれど、ソレルが指摘するのは、ちょっと違うこと。19世紀の民法というのは、結婚や離婚や男女関係のことなども含め、じつに生々しい人間学から発しているというのです。なるほど革命直後の市民社会において、小説と民法は背中合わせみたいなものだったのかもしれません。民法学の「古典的学風」と「科学学派」の分岐点に立ち、二つの世紀を俯瞰した歴史家ならではの人文的エッセイといえましょう。

またもや話は飛躍して、いささか図式的ですが、歴史観にかかわる二つの潮流について。フランス革命を過去との訣別として捉え、ここを原点に見立てたナショナル・ヒストリーを構築するか。それともアンシャン・レジームの法的・政治的・文化的遺産も継承したものとしてフランスのアイデンティティを定立するか。共和国お墨付きの「正史」は前者。トクヴィルを先達とみなすアルベール・ソレルの場合は後者です。

ソレルは記念論集「序文」の冒頭で、ナポレオン法典はフランスが世界に誇る文化遺産であると高らかに宣言するのですが、アンシャン・レジーム期に編纂された法律も同様に、かけがえのない遺産であると主張します。これとパラレルに、外交史についても「フランス革命の対外政策は王政の政策を継承したものだという根本命題」をもっていたのだそうです。引用はジャン=イヴ・タディエ『評伝プルースト』より。同じ評伝には、ソレルの台詞として「世界でもっとも由緒正しい王族の血を継いだフランス共和国」なんて表現も紹介されています。じつに活き活きと本質をつかんでいて、機嫌のよいときのシャルリュス男爵の台詞、あるいは若き貴公子サン=ルーの風貌の描写にも使えそう。

アルベール・ソレルとプルーストをつなぐ紐帯として、ノルポワ氏の人物造形より、いっそう本質的なものがあるとしたら、それは「歴史観」ではないかと思うのです。背景にあるのは「断絶」よりも「継承」や「統合」を重んじる歴史哲学でしょう。20代のプルーストは、これを政治学院の教授から学んだ、というのが、わたしの仮説。

あえて単純な見取り図をつくるなら、共和主義の陣営も「遺産相続」という概念自体は否定しないのです。ただし、アンシャン・レジームの遺産については、革命原理に抵触しないものをえらんで「目録」に受けいれる。これに対してプルーストは、カトリック的なフランス、キリスト教の到来以前のケルト的なフランス、王政と貴族の存在によって花開いたサロンの文化なども、次世代に継承するべき遺産とみなして「目録」に記載する。これは左翼か右翼か、共和派か王党派か、急進派か保守派か、というイデオロギー的な二者択一とは異なる次元の話でしょう。

プルーストは一般に、バルザックとフローベールの直系とみなされていますが、じつは『失われた時を求めて』においては、セヴィニエ夫人の書簡やサン=シモン公爵の回想禄に特別席が与えられている。ゲルマント公爵夫人の社交界があれだけ入念に描かれるのも、失われてしまった黄金期、17世紀から18世紀にかけて、麗しきフランス語と新しい文芸を育んだサロンという文化空間が念頭にあったからだと思われます。

じっさい「遺産相続者」という観点からプルーストを読んでいると、いろいろと思い当たることがあるのです。ひとつだけ頭出ししておくと、ナポレオン法典の遺産相続は条文のうえでは男女平等ですけれど、いっぽうで既婚女性は法的に「無能力化」されていますから、個人の財産だけでなく、文化遺産も父から次世代に継承されてゆくという暗黙の了解があった。そのいっぽうでマルク・フュマロリによれば、貴族のサロンは女性が主催する知的な社交空間でもあって、母から娘へと文化遺産が継承されていたのです。

そこでプルーストの場合、じっさいに母親が深い教養をもつ女性であったことは確かなのですが、それにしても『失われた時を求めて』において、文学的な遺産は母から息子へと性差をクロスして受けつがれます。偉そうな父親も、そして父親の代わりを演じ、少年の作家的資質にトンチンカンな評定を下すノルポワ氏も、じつは何もわかっちゃいないのが可笑しい。ただし、それだけのエピソードではなさそうです。そう、ここでも19世紀の厳正なジェンダー秩序が微妙に揺らいでいる…。

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ヴァカンスの読書のために―『花咲く乙女たちのかげにⅡ』

2012年 7月 26日

『失われた時を求めて』の第4 巻。6月半ばに刊行されたばかりです。訳者の吉川一義さん、計算してスケジュールを組んだのかしら? とにかく、これほど贅沢なヴァカンス向きの小説はありません。

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幼い恋に破れて2年後のこと、甘ったれで病身の青年がノルマンディの海辺の保養地で、優しい祖母につきそわれて一夏を過ごす。それだけで、文庫本にあるまじき650ページになってしまうのだから、いったい何が書いてあるのだろう、と怖じ気づいてしまいそう。たとえば、山間の曲がりくねった線路を走る汽車の窓から見える朝焼けの空――これだけで数ページ。

「鉄道での長旅には日の出がつきものである」という短いセンテンスに始まって、うぶ毛のような雲の縁がバラ色に染まり、色彩が命を帯びて、背後に光が蓄積されてゆく、と思ったとたんに、列車は急カーブを切って、車窓の風景もがらりと変わり、「乳白色にかがやく真珠母色の夜のとばり」で覆われた夜の村があらわれる。小さな駅でカフェオレを売る大柄な村娘の顔が、朝日を正面から浴びて燦然と金と赤の光をはなつところがクライマックスで、そう、訳文にすれば数ページになります。

フェリス女学院のフランス語上級クラスでも、駒場の初習外国語の教室でも、フランス科の講義でも、数行だったり、数ページだったり、とにかく学生の顔を見ながら、一見、難解なテクストを読んでみることは、わたしの趣味だったから。あ、覚えている、という人、きっと相当数いるはずです。わたし自身の思い出の空の筆頭は、まだ高校生だったころの信濃追分の夕焼けと、それ以上の迫力で、プルーストの日の出。夕暮れ時に高架線の通勤電車にゆられているときにも、あ、プルースト! いったんイメージになってしまえば、読書の記憶は生身の記憶に劣りません。

馴染みのないホテルの部屋で「意識する身体」が空間や物や臭いの攻撃を受ける苦難の夜についても数ページ。でも、翌朝の海の光景は! 書棚のガラスが船窓になって、室内にまで海が躍り込んでくるというところから、たしかに海は生き物なのですけれど、波は山塊となり、雪の頂の下にはエメラルドの宝石のような水の傾斜があって、それが眉をしかめた百獣の王みたいに悠然とくずおれると、太陽は笑顔というより顔のない笑みだけを投げかける。沖合まで見わたせば、そこはトスカーナ地方かアルプスか、いつしか水面は神話の巨人たちが戯れる緑の牧場になっている。

この3ページほどは、いってみればメタファーの饗宴ですね。この巻には、画家のエルスチールが語り手に芸術の秘技を伝授するエピソードがある。その内容は、町を描くのに海の用語を、海を描くときには逆に町の用語を使うこと、と要約できるのですけれど、無生物が生物に、液体が固体に、海が陸に変貌するこれらのページは、まさにそれ。マチエール(物質)の世界で戯れるプルーストの華麗な技が、いわばイントロ風に演じられているのでしょう。

プルーストは「審美的」に読まれすぎている、と吉川さんも「あとがき」でいっておられますけれど、本当にそう。造形された登場人物たちは、モラリストの伝統をもつフランス文学ならではの、鋭い人間観察の成果です。ひとりひとり、じっくり味わいましょう。わたしだって、教授会で腹が立ったときに、あ、この台詞、プルースト! で救われましたもの。でも『花咲く乙女たちのかげに』は青春ものだから、さわやかな人が多い。大人もリラックスしていて、ちょっとした意地悪が発揮される場面も、笑いを誘う。これも夏向きの読書である理由。

いちばんカッコイイのは、陽光あふれる浜辺から、青い海を背景に、海の色の目をもつ青年が、薄暗いホテルのロビーに入ってくるところ。サン=ルー侯爵は、眼光するどく、ブロンドの肌と金髪は太陽光線を吸収したかのよう。男にあるまじき、白っぽくしなやかな服装で、ゆれる片めがねが目の前で舞う蝶であるかのように、この小さなめがねを追いかけて、足早に空間を横切っていくのです。想像しにくい? サン=ルーの身ごなし、というより、空間のなかでの身の置き方は不思議なんですよ。最終巻『見出された時』の戦時下の夜、自分も呪われた性のもちぬしであることを自覚して、男娼の館に通う軍服姿の彼なんか、ずばりubiquitéという言葉で形容されている(戦死する青年士官の最後の姿)。あのコンピュータ用語の「ユビキタス」です――ここにいて、ここにあらず、あらゆる地点に同時に存在する。

ほかにも、語り手の祖母がもちあるいているセヴィニエ夫人の書簡とか、祖母の知り合いでゲルマント一族の貴婦人でありながら黒いウールのドレスを着ているヴィルパリジ夫人が、娘のころにサロンで見かけた作家たちについて高飛車な人物評をやる話とか、弾丸のように突き刺さる「流し目」を語り手におくったシャルリュス男爵の、男色ゆえの奇怪なアプローチと恐るべき教養とか、文学講義まがいの雑談なら、いくらでも出来ますけれど、とりあえずサン=ルーに話をもどせば、この青年は「知識人」です。

「知識人」というのは第三共和制がもとめた「新しい人間」なのですね。というのは、以前にも話題にしたアルベール・チボーデの瀟洒かつ難解な『教授たちの共和国』の受け売りですけれど。プルーストは1871年生まれでチボーデは1874年生まれ。1894年に始まるドレフュス事件から1905年の政教分離法成立、そして1914年の世界大戦勃発まで、近代世界の大変動を同世代の目で見つめていた。「ドレフュス事件は原理的なレヴェルでは、知識人のコーポレイション(社会的組織)と軍人のコーポレイションの闘争であり、カトリック教会の政治的な敗退は、ライックな有識者clerc laïqueの役割を増大させた」という趣旨の記述がチボーデの著作にありました。ちなみにlaïqueとは「非聖職者の」という意味でclerc は本来「聖職者」を指しますが、ここでは「聖職者並みの知識を蓄えた人間」のこと。わざわざ語彙矛盾のような表現をえらんでいるのには意図がある。19世紀を通じてじわじわと進行した宗教をめぐる地殻変動が、ここである種の決着を見て、社会の知的な基盤が入れ替わった、ということでしょう。

プルーストは左翼カルテルが選挙で勝利する1924年より前に他界していますけれど、天才的な文学者は未来を予感し、過去を透視する。しかも語り手自身は「反・知識人」みたいなふりをして、ヨーロッパ屈指の大貴族の末裔に「知識人」をやらせるところが、いかにもプルースト。サン=ルーは貴族性と共和主義によって政治的にも引き裂かれているのです。

貴族文化をうけついでいるのが貴族だけではないというところは、プルーストなりの民主主義でしょうか。語り手のお祖母さんとお母さんが、セヴィニエ夫人の典雅なフランス語をあやつり、太陽王の時代の文芸サロンのエスプリを理解しているという設定が、わたしはとても好きなのです。一方で、ヴィルパリジ夫人の作家批判は、よく知られているようにサント=ブーヴのパロディなのですが、口調だけとっても、おしゃべりなブルジョワ・マダムみたいで可笑しい。ゲルマント公爵夫人の閉鎖的なサロンは、どのぐらい皮肉に描かれているのでしょうか。17世紀、古典主義の絶頂期における大貴族のサロンの洗練とは如何様なものであったかを熟知する、マルク・フュマロリみたいな偉い批評家の本を読んでいると、なんとなくは想像できそうですけれど。

王政復古期のバルザックは、貴族はあくまでも貴族らしく描こうとしていたはず。世紀半ばのフローベールは、世界を占拠したブルジョワどもを(自分もふくめて)憎悪した。これに対してプルーストが描こうとしたのは、近代的な意味での「社会階級」ではなくて、外交官とか、医者とか、サロンに集う暇な人種とか、あるいは裕福な家庭やホテルの使用人とか、さらには舞台の芸人とか、知識人とか、要するにチボーデのいう「コーポレイション」だった、いえ、正確には「コーポレイションに属する個人」だったのでしょう。

あらためてセヴィニエ夫人の話。そもそも旅に出る上品な老婦人が、セヴィニエ夫人の本をたずさえていること自体が、それだけでも絵になるって感じなのです。語り手自身もセヴィニエ夫人の文体を高く評価していて、汽車のなかで祖母に借りた書簡集を開き、月光に照らされた並木道を散策する人影がモノクロで素描された短い断章を引用して、ドストエフスキー風だと論評しています。ちなみに月の光については、このあと、ずっと先ですが、シャトーブリアンとか、ボードレールとか、語り手がいろいろ蘊蓄を傾ける場面があって、その布石かもしれません。次のページに置かれた色彩ゆたかな日の出の描写も、もしかしたら、セヴィニエ夫人へのオマージュ?

しっかり念頭におきたいのは、「ものごとをまずはその原因から説明するのではなく、私たちの知覚の順序にしたがって呈示する」というセヴィニエ夫人の手法です。これはエルスチールに通じる偉大な芸術だと語り手はいいますが、じつはプルースト自身の手法でもある。日の出の描写もそうだし、あの「花咲く乙女たち」にしても、そうしたわけで、堤防の向こうから、うごめく小さな斑点のように視界に入ってくるのです。それがカモメの群れとなり、美しい娘たちとなり、ただし、その日は人間として個別化はされぬままに、自転車とか、ゴルフのクラブとか、バラ色の頬とか、緑色の目とか、ひよこの嘴のような鼻とか、知覚された断片に語り手は目を奪われている。そのうちに、なんと20ページほどの時間、わたしたちも浜辺にたたずむことなります。こんなふうだから『失われた時を求めて』は、長い。

一般には「テンポのよい小説」というのは誉め言葉でしょう。まず舞台が呈示され、登場人物が紹介され、ドラマが進展して、大団円になる。事件が解決すれば、あとはもう語ることがないから、「二人は結婚して仕合わせに暮らしました」とか、「老いて死にました」とかいって幕にする――そんなものは、本当の「現実」ではない! という確信がプルーストの芸術の出発点にあるのです。だからって、むずかしいだろうと身構えることはありません。

おりにふれて、汽車のなかや、海辺のホテルのテラスで、セヴィニエ夫人の書簡を開いて読む、語り手のお祖母さんやお母さんの読書法。『失われた時を求めて』という作品も、そうした読まれ方を、ひそかに夢見ているのではないでしょうか。

吉川一義さんは、プルースト研究に生涯をかけたといえる人。訳文と原典との親和性は、ほのぼのと伝わってきますし、訳注や図版までふくめれば、フランスにも、これほど「贅沢」な版はありません。と、しっかり応援しておいて――8月は、わたしもヴァカンス。エッセイはお休みします。家族の事情もあり、旅に出るわけではないけれど、でも、読書って旅と同じですよ。ひとたび記憶になってしまえば、書物の思い出のほうが、ずっと生々しいような気もします。

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プルーストの小径

2007年 11月 20日

木枯らしの吹く季節。戸外の冷気と室内のぬくもりが二重に読書の静謐をつつみこんでくれる。日本の気候風土のなせるところか、そんな理想郷のイメージが、一方にあるようです。

他方でフランスの読書には、陽光のふりそそぐヴァカンスが似つかわしい。という勝手な思いこみは、ひとつの鮮やかな思い出に由来します。

子ども時代の日々のなかで、それを生きることなく過ごしてしまったと思われた日々、つまり大好きな一冊の書物とともに過ごした日々ほどに、充分に生きたといえる日はないのかもしれない。

「読書について」というエッセイの冒頭ですが、プルーストには、人生最高の読書とは、子どものころの読書なのだという確信がある。『失われた時を求めて』の第一巻「スワン家の方へ」によれば――子どものころに庭で夢中になって本を読んでいると、その登場人物たちの生きている世界の風景が色濃く脳裏に浮かぶ一方で、ふと目をあげれば見えるはずの緑の木陰や花々の色彩も、あたりにそこはかとなく漂っている……。

そんな二重の色彩感覚を、わたし自身はもったことがありません。わたしの思い出に屋外の読書はないのだし。記憶をたどれば、ひ弱な小学生だったわたしの読書には、布団にもぐりこんでやり過ごす長い時間の気だるく平和な感覚が結びついている。プルーストを読み返すうちに、わたしはしだいに読書の思い出を、他人のそれにすげかえてしまったのかもしれません。

今では他人のものとは思われなくなった、子ども読書の理想郷を、生のイメージとしておとどけします――なんのことやら? と思われるでしょうね。

『世界の名作を読む』の「プルーストの小径」が更新されました。これで、ひとまず完成。小説の語り手が少年時代に休暇を過ごしたコンブレーの風景です。「レオニ叔母の家」の寝室から、地平線にとどく青々とした麦畑まで。気鋭のプルースト研究者、坂本浩也さんが、デジタル画像を構成し、解説文を書いてくれました。動画のほうは、外国語ポータルサイトでも活躍している森元庸介さんの撮影です。

同じサイトの「朗読サンプル」のページには、新しいテキストが3つ追加されました。『失われた時を求めて』からは「プチット・マドレーヌ」と「心の間歇」を。そして「読書について」のなかからは、いってみれば「大人の読書」の粋と呼べそうな断章を。「テキスト」をクリックして、「縦書き・横書き」を選択してください(PDFソフトが必要です)。

ついでに宣伝しておきましょう。同じく「朗読サンプル」のページ。メルヴィルの短篇『バートルビー』は、講師の柴田元幸さんが、このサイトのために、新訳を仕上げて提供してくださったもの。なんとも贅沢な「文学の贈り物」ではありませんか。

「プルーストの小径」に話は戻りますが、地図の左下にある公園プレ・カトランは、わたしの偏愛するヴァカンスの読書空間です。movieの小鳥のさえずりは本物。「消さないでね!」とディレクターに注文をつけました。

光に満ちたプルーストの世界が、多くの方々にとって、親しく懐かしいものとなりますように……。