工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

Archive for 時事問題

「ナショナリティ」について考えてみましょう

2013年 2月 2日

体重100キロ超、胴回りは2メートルぐらいありそうな巨漢、ジェラール・ドパルデューという名のフランスの俳優、ご存じでしょう? ロシア国籍を取得して、プーチンと親しげに抱き合う映像が1月7日のBSのニュースで流されました。あちらのテレビ局で怪僧ラスプーチンのドラマを作ったのですって。それは似合いそう、たしかに。

ドパルデューは、年末にベルギーの小さな村に屋敷を買って住民票を移し、それから間もなく「ロシア人」になってしまった。フランスでは左翼政権の公約で、高額所得者は最高75パーセントの累進課税にしようという話があって、一方のロシアは、なんと一律13パーセントなのだそうです。ただの「税金逃れ」であることは、誰も目にも明らか。でも本人としては「アーチスト」の自負があるのでしょう、しきりにロシアの「国民性」への共感を語り、ヨーロッパはプーチン氏を誤解していると友愛の論陣を張っています。

ちょっと話はずれますが、このところフランスは、同性同士の戸籍上の結婚と同性カップルによる養子縁組を認めるか否かという大論争に揺れ、両陣営のデモ合戦がつづいています。オバマも性的指向による差別の廃止を政権の目標には掲げましたが、オランドはすでに法案を提出しているのだから、やっぱりフランスは急進的な国。これに符丁を合わせるかのように、ロシア下院で1月25日「未成年者に対して同性愛の助長」を行った者への罰金もしくは収監の刑を定めた法案が採択されました。なんと賛成388票、反対1票です。同性愛について公の場で議論することさえ禁じるなんて! そういえば、四半世紀まえに駒場で「性差の揺らぎ」というテーマ講義をやったけど、とてもいい感じの熱気がありましたっけ。それはともかく、ロシアのこのような「同性愛嫌悪」は言語道断であり「言論の自由」の侵害である、とヒューマン・ライツ・ウォッチも警鐘を鳴らしています。いくらドパルデューが「民主的」な国だよ、と熱をこめて保証してくれても、これではねえ。。。

本題は「ナショナリティ」の話。わかりきっていることですが、ドパルデューのようにロシア政府から「文化特使」を仰せつかってプロパガンダをやるメディア向きの大物は、例外中の例外なわけで、いくら特定のネイションへの共感を訴えたからって、その国の「国籍」は取得できませんよね。

「国籍」も「国民性」も意味するこの言葉、フランス語のnationalitéは、スタール夫人の『コリーヌ』(1805年)が初出だといわれています。イギリス人の男性とイタリア人の女性の恋愛が、いってみれば「国民性」の相克のために破綻するという物語。当時のヨーロッパでは、さながら人間の個性のように「ネイション」にも固有のアイデンティティがあるはずだというテーゼが、歴史や文学、あるいは黎明期の民俗学などを鼓舞していたようです。

一方で「国籍法」がフランスで成立したのは、19世紀も終わりの1889年です。それまでは、行政用語にはなっていたけれど、法的な概念として「国籍」は定義されていなかった。1804年のナポレオン法典10条によって定められた「フランス人の資格」qualité de Françaisが、長らく「国民」の枠組を決めていたのです。

さて、この先は、パトリック・ヴェイユの『フランス人とは何か?――革命以降のフランス国籍の歴史』(2002年)を参照しながら話を進めます。ご存じのように、通説によれば、ドイツの国籍概念は「血統主義」jus sanguinisであり、フランスのそれは「生地主義」jus soliであるといわれます。でも、学問の通説というのは、たいてい知的怠慢の産物なのですね。なにしろナポレオン法典によれば、「フランス人の資格」は「フランス人男性の子としてフランスの国内もしくは国外で生まれた者に与えられる」というのだから、これは純然たる「血統主義」でしょう? ついでながら、妻は夫の国籍に従うと決められているという意味で、女性差別ともいえる。

ヴェイユは、比較法制史の見地から独仏の資料を精査して、フランスの民法典がライン川の東でも大いに参照されていたことを論証し、上記のような二項対立の見取り図は実態と異なり、学問的に不正確であると述べています。アルジェリア在住のヨーロッパ系移民と現地人との市民権をめぐる差別なども分析しており、近代世界の法システムにまでさかのぼって、ヨーロッパとイスラームの関係を検証してみることがいかに大切か、というところまでは、わたしにも実感できました。

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ルナンの1882年の演説、なかでも「国民の存在とは、日々の人民投票である」という発言は、特定の土地に住む個人が自分の判断で国籍を選択できるという理想的な「生地主義」の見本のように引用されることが多いのですが、じつはこれも、再検討したほうがいいらしい。前後を読めばわかるように「言語」と「民族」においてはドイツのように見えるアルザスの住民も、「投票」によって意思表示をする権利を認められるべきではないか、というのが、ルナンの示唆したかったことであり、普仏戦争で失ったドイツ国境沿いの豊かな土地を奪回するための時事的な議論のなかに位置づける必要がある――これはジェラール・ノワリエルが『〈国民アイデンティティ〉が何の役に立つ?』という近著で述べていることです。

こんな指摘もあります。ドイツやイタリアなど、移民を送り出す国は、海外に出た自国民を長く保護下に置くことを望む。その場合、何世代も紐帯を保つ「血統主義」が有利でしょう。これに対して米国、ブラジル、フランスなど、移民受け入れ国は、外国人が速やかに社会に溶けこんで、均質な労働者、とりわけ兵役の対象となることを期待する。なるほどイタリアやポーランドから働きにきた移民の子孫が、何世代もフランスに住んだら、ごく自然に、その土地の「アイデンティティ」を身体化しているはずだから、権利と義務の両面で、国民としての自覚をもつべきだという議論は成り立ちます。そうしたわけで1889年の「国籍法」は「血統主義」から「生地主義」へと転換しましたが、ここで移民三世は親の国籍を選択する自由を失った。この法律には同化を強いるという側面もあり、その意図は純粋に開放的なものだけではなさそうです。

こうした話の延長上に20世紀前半の植民地や今日の移民の問題を置くと、さらに議論は複雑になる。「ナショナリティ」をめぐる研究は、この10年ほどのフランス語文献をちらりと見ただけでも、なかなか新鮮な動向があるようです。ドパルデューなどは、じつはどうでもよい。こんなことを色々と考えていたのはアンヌ=マリ・ティエス『国民アイデンティティの創造――18世紀~19世紀のヨーロッパ』の解説を書いたから。2月のこのサイトで、本格的な新刊のご案内をいたしますが、ひと言だけ。

ヨーロッパの全域で展開された「インターナショナル」かつ「コスモポリタン」な国民アイデンティティ構築の運動を豊富なエピソードを交えて活写する――なんていうと、本の帯みたいか。『オシアン』からグリム兄弟まで、内容は身近で文化的な話題が多く、何よりもスコットランドからバルカン半島までをつなぐダイナミックな記述が気に入っています。訳者は斎藤かぐみさん。出版社は勁草書房。

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R.MINAMI

話題のギリシャ

2012年 5月 21日

5月19日、キャンプデービッドのG8首脳会議は、ギリシャにユーロ圏残留を促し閉幕。ただし、連立政権づくりの失敗にともなう6月17日の国会再選挙については、先行き不透明とか。一方では前日の5月18日、オリンピックの聖火が大ブリテン島南西部の海軍航空基地に到着しました。

ところで採火式の写真、皆さんご覧になったでしょう? なぜこんなふうに、オリンポス遺跡のレリーフそのままに、純白のペプラムを身にまとい、麗しきオリエントの巫女に扮した女優たちが、ピカピカの金属製のレンズから、聖なる炎を採取しなければならないか。これを「古式ゆたか」と形容してよいのかどうか、ふと考えてしまいます。

オリンピックは、開催国では「現地時間」でやりますよね。たとえば聖火リレーや開会式に、直近の歴史の記憶を担うマイノリティなどを登場させるのが、この頃は一般的な演出です。それならスタート地点でも、地元の現代人――ギリシャ共和国の生身の国民代表――が絶対に顔を出してはいけないということ、なさそうだけれど、やっぱりそういうわけにゆかないらしい。共和国を消去されたギリシャ? これって、そのものずばり「キリスト教文明」の問題だなあ、と独りで感心してみても仕方ないのですけれど、とにかく複雑で、奥深い主題という予感があります。

5月17日に、ギリシャの暫定政府が就任宣誓をしたときの映像を見て、あ、そうか、と思ったのです。下の写真はパパンドレウ前首相のものですが、アテネ大主教のまえで宣誓を行っている。ギリシャ共和国は、ギリシャ正教に特別のステータスをあたえており、政教分離がなされていないという意味でもEU諸国のなかの例外です。

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世俗の権力と宗教のプレゼンス。共和国でなければ、王権の政治的プレゼンスと宗教との関係。こういうことに関心をもつと、任命式とか宣誓式とか、興味津々です。たとえば昨年12月にスペインで保守政権が誕生したとき。国王夫妻が立ち会って、閣僚たちはテーブルに並べておかれた憲法と聖書に手をおいて宣誓する。どちらか片方か、両手を二冊に同時に置くか、どちらか一方を先にするか。微妙な意思表示になるらしい。なるほどね。。。

それはともかく、フランス近現代を学んでいれば、ヨーロッパにおけるギリシャ的なもののプレゼンスを無視するわけにはゆきません。「ヨーロッパ文明の揺籃」としての古代ギリシャ。そして強大なイスラーム勢力に対峙するキリスト教陣営にとって、かけがえのない文化的橋頭堡としての現代ギリシャ。いいかえれば、古典文学からオリエンタリズム、そして地中海における列強の覇権争いまで。

いずれもフランスあるいは西ヨーロッパから見た一方的な世界像であることはたしかでしょう。しかも、こうした世界像の期待と要請に応えるかたちで、いわば暗黙の合意にもとづいて、ギリシャという国民国家は立ちあげられました。そのプレゼンスはしたがって、当初から外部の政治力学に翻弄される宿命を負っていた。

ところでオリンピック競技が参照しているのは、古代の異教世界であり、もともと「文明」という概念が、宗教と袂を分かとうとした啓蒙思想の産物であることを考え合わせると、じつは「キリスト教文明」というのは語彙矛盾といえなくもないのです。にもかかわらず、ペプラムと僧服が共存する今日のギリシャは、微妙な相克をおおいかくして「キリスト教世界こそが文明である」というテーゼを可視化してくれる。

「現代ヨーロッパのアイデンティティにとって、ギリシャは不可欠である」――本音は、そういうことでしょう? と聞き返したくなるような人文系研究者の発言が、フランスのメディアでも、このところ多いような気がするなあ。と、考えていたときに、朝日新聞5月15日夕刊、村田奈々子さんの「ギリシャと欧州の『共犯関係』」という記事が目に留まり、まさにそのとおり! と納得。同じ筆者の中公新書『物語 近現代ギリシャの歴史』を読みおえたところです。

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ギリシャは1830年にオスマン帝国から独立した、といえば話は簡単だけれど、その当時、ギリシャって何? と問われて明確に答えられる者はいなかった。古代においてさえ、存在したのはアテネやスパルタといった都市国家。たしかにオリンピックのような祭典や宗教儀式が、ギリシャ人としての一体感を醸成してはいたけれど、ギリシャという名の統一国家があったわけではない。中世のビザンツ帝国(東ローマ帝国)は――「帝国」なのだから当然ですけれど――ギリシャ人が多数を占めたとはいえ、スラブ系の民族やアルバニア人など多様な人びとを擁する雑居所帯だった。1453年のコンスタンティノープル陥落により、バルカン半島がオスマン帝国に編入されたのちも然り。

「ギリシャ人もいなかった?」という薬味の利いた小見出しを立てて著者が指摘するのは、そういうこと。つまり18世紀以降、ユーラシアの全域で進展した新たな国家形成のうねりのなかで、ギリシャというネイションも「創造」されたという事実です。それまでオスマン帝国内でキリスト教の宗教共同体(ミレット)として遇されてきたギリシャ人たちは、自分たちの住む土地にのこされた多神教の遺跡をどう捉えていたか? パルテノン神殿に敬意と畏怖をいだいてはいたけれど、そこに祖先の姿、伝統の起源を認めてはいなかったのではないか?

ここで大転換がおこります。新生ギリシャ王国は、古代ギリシャとの紐帯を「発見」し、これをアイデンティティの源にしようと決断したのです。いちばん確実な方法は、いわゆる「通史」を書くこと、つまり、一定の国土で一定の民族によって生きられた連続的な経験として、起源から今日に至るまでの「ナショナル・ヒストリー」を叙述することでした。こうしてアテネ大学の歴史学教授パパリゴプロスによる『ギリシャ民族の歴史』全5巻なるものが1860年から74年にかけて刊行されました。ちなみにフランス19世紀にはトクヴィルやミシュレなど、在野の歴史家はたくさんいたけれど、共和国を後ろ盾とした大学の歴史学の領域でエルネスト・ラヴィスによる『フランス史』全27巻が編纂され日の目を見たのは、世紀が変わってからでした。

なるほどギリシャには、急がねばならぬ理由があった。古代と近代を連結する時代としてビザンツ帝国を見なおして、これを復権させ、ナショナル・アイデンティティに断絶はない、「万古不易のギリシャ民族」が存在すると内外に宣言する必要があったのです。

そうしたわけで『物語 近現代ギリシャの歴史』は、文体も軽やかだし、話題は豊富、入門書として楽しく読める。ただし、それだけでなく、歴史叙述と国民国家の創出という(たぶん日本人は苦手な)大問題に、対象の特性を活かして新鮮な角度から切り込んでいます。この「序章」は「西洋史」とは何かを批判的に問うてきた研究者でなければ、書けないと思う。全体は、ゆるやかな時間の流れに沿っていますが、目次を見ると、ギリシャ再建の誇大な夢、苦難の時代、国外のギリシャ人共同体、現代ギリシャといったテーマ構成がなされていることがわかります。とりわけ言語政策の章に、わたし自身は興味を誘われました。

宗教と言語の関係というのは、これも奥深い研究テーマ。カトリック教会がラテン語のミサを現地の言葉に切り替えることを決定したのは、つい最近のことなのだから、19世紀の半ば、一部のギリシャ正教会信徒が、福音書の口語訳に命がけで抵抗した理由は、想像できないではありません。ましてや当時、ギリシャのナショナリストたちは、権威ある古代ギリシャ語という「万古不易の言語」を栄光ある民族のアイデンティティにしたいと考えていたのです。

つい最近の1970年代半ばまで、ギリシャでは、ふたつのギリシャ語が共存しつつ競合していたのだそうです。古代ギリシャ語と口語ギリシャ語の折衷語として提唱された「純正語カサレヴサ」と市井の人びとの話し言葉を基盤とする「民衆語ディモティキ」。後者はゲルマン系の文化的ナショナリズムを牽引した詩人ヘルダーや言語学者フンボルトを範とする文学運動のなかで生成した若々しい言語であり、ヨーロッパ的なスケールで見ると、こちらが19世紀のトレンドですね。

一方、古代文明を相続したラテン民族を自認するフランスの場合、17世紀末の「新旧論争」やアカデミー・フランセーズの辞書編纂などを契機として、それなりに屈折した固有の言語政策を立ちあげてゆく。とにかく「国語」の問題は、横断的に比較検証してゆくと面白いのです。というのが、本日の結論。村田奈々子さんの著作は、以前に紹介した『国民アイデンティティの創造』(Anne-Marie Thiesse, La création des identités nationales, Points Histoire, 2001)という書物と――後者はヨーロッパ論、前者は一国史という枠組の相違にもかかわらず――相通じる歴史家の柔軟な感性に培われていると思われて共感を覚えたしだいです。

せっかく時事問題から話し始めたので、最後に雑談をひとつ。近代フランスを研究していると、カトリック世界はアングロサクソン系のプロテスタント世界にくらべ、女性に対して抑圧的だったという印象は否めません。19世紀の国民文学に女性作家がほとんどいないのは、革命後も女子教育が教会まかせだったことが、原因のひとつだと思いますよ。でも、今や重大なのは、ジェンダー構造という意味で、日本が世界に冠たる「後進国」であるという事実のほうですね。オランド大統領の新内閣は、女性が半数。韓国系や肌の黒い女性によって多様なフランスをみごとに可視化しているところは、正直いって、羨ましいです。

G8のアメリカ訪問では大統領の「事実婚」のあつかいに、ちょっと野次馬根性を刺戟されました。なにしろコレットは、潔癖なピューリタン精神に恐れをなして、アメリカ訪問の直前に三回目の結婚をしたのです。Madame Valérie Trierweilerが堂々と飛行機のタラップを降りるところは、大統領の「正夫人」と変わりません。控えめで魅力的なキャリア女性であるこの「伴侶」compagneについて、フランス人のインタビュアが現地の人に感想を聞きながら、「こんな粋な仲、あなた方アメリカ人に理解してもらえる?」という表情をチラリと見せたのが、なんだか可笑しかった。

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*1……ΠΑΣΟΚ氏のFlickr(http://www.flickr.com/photos/32629637@N08/3987057668)より転載。