工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

「良き読者」とは? ―― ナボコフ先生の文学講義

2007年 4月 25日

沼野充義さんからナボコフ協会のシンポジウムに参加しないかとのお誘いをうけ、楽しみながら、にわか勉強をしているところです。

かの『ロリータ』で名声をえる以前、ウラジーミル・ナボコフが大学でヨーロッパ文学を担当していたころの講義ノートに、こんな「クイズ」がありました。

読者が良き読者になるためには、どうあるべきか、答えを四つ選びなさい ―
1 読者は読書クラブに属すべきである。
2 読者はその性別にしたがって、男主人公ないし女主人公と一体にならなければならない。
3 読者は社会・経済的観点に注意を集中すべきである。
4 読者は筋や会話のある物語のほうを、ないものより好むべきである。
5 読者は小説を映画で見ておくべきである。
6 読者は作家の卵でなければならない。
7 読者は想像力をもたなければならない。
8 読者は記憶力をもたなければならない。
9 読者は辞書をもたなければならない。
10 読者はなんらかの芸術的センスをもっていなければならない。

さあ、皆さんの回答は? かりに「なければならない」を「のほうがよい」とおきかえてみると、すべて○という気がしませんか。正解は次回に ―

とはいいません。じつは、学生の回答は前のほう、2~4あたりに偏っており、ナボコフ先生自身は最後の四つをえらぶ、のだそうです。読書会に参加しなくてもいい。主人公と一体にならなくてもいい。知識の源泉として小説を読む必要もない。筋や会話の面白さに熱中することが大切というわけでもない。だとしたら、いったい何が求められているのでしょう。

まずテクストをきちんと読む。想像力をはたらかせながら。記憶があいまいになりそうなところはノートをとったりしながら。言葉の意味をたしかめながら。小説は「芸術作品」であり、噂話や新聞記事ではないことを念頭におきながら。

なるほどナボコフ先生の講義録をひもとくと、参照した英語のテクストは書き込みだらけ、『ボヴァリー夫人』の章には、シャルルの奇妙な帽子のスケッチがあり、『変身』の章には虫のスケッチやアパートの間取り図までついています(「世界の名作を読む」のカフカのレポートには役立ちそう)。

読解がふかまるほどに、小説の世界は面白くなる。つまり本当の小説とは、くり返し読むもの。ナボコフ先生によれば ― 「良き読者、一流の読者、積極的で創造的な読者は再読者なのである」

ロシアからの亡命者であるナボコフがアメリカの大学で文学を講じていたのは、1948年から10年間。ちょうど「ニュー・クリティシズム」という新しい方法論が大学に浸透しはじめた時代でした。見方をかえれば「クイズ」の箇条書き上位にあるのは当時流布していた通俗的了解、7から10まではラディカルな読解の提案、ということなのですね。これは現時点からふりかえった歴史的な見取り図です。

ところで、昨年邦訳が刊行されて評判になったアーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』という作品、お読みになったでしょうか。思想統制、言論統制の厳しいイランの大学で教授の職を追われ、気に入りの教え子たちと自宅で密かに読書会をやっていた女性の回想という設定です。長目の引用をひとつ。

ハンバート(『ロリータ』の語り手)の散文は、時として恥知らずなほど凝りすぎた文体になるが、これは読者を、とりわけ高尚な読者を誘惑するのが狙いである。彼らはそうしたペダンティックな知的芸当にだまされやすい。ロリータはみずからを守る術もなく、自分の言い分をはっきり述べる機会すらあたえられることのない、そういう類の被害者である。つまり彼女は二重の被害者なのだ。人生を奪われただけでなく、自分の人生について語る権利をも奪われている。私たちがこのクラスにいるのは、この第二の犠牲者にならないためだ。私たちは自分にそう言い聞かせた。

ロリータは中年男ハンバートの欲望の犠牲者です。そのヒロインの少女に、全体主義のもとで言葉を奪われた女子学生たちが、一体化するというのです。まさに「クイズ」の2のケースですが、この読み方、ナボコフ先生は顔をしかめるでしょうか。いえ、むしろ文句のつけようがないはず。

引用テクストでは、わずか10行ほどで「ハンバートの散文」という言語的な仕掛けに照明が当てられ、性的な暴力と政治的な暴力とのアナロジーが浮上します。7から10の姿勢をつらぬきながら、2の共感にいたる根拠を示しているのですね。ナフィーシー先生の文学講義も、ナボコフ先生のそれにおとらず素晴らしい。

ここでテヘランから日本へと話はとびますが。
寡黙なヒロインに活きた言葉をあたえてみよう。あっけらかんと自己主張する力をあたえてみよう。これは、2005年に新訳を出版された若島正さんの人物解釈であり、翻訳戦略だったようです。

ロリータがハンバートの前から姿を消して数年後に二人は再会します。ハンバートはすっかり舞い上がっちゃって、ロリータに対する愛を高らかに、それこそ世界の中心で愛を叫ぶような場面で(会場笑)、原文では舞い上がっているハンバートにロリータが“You’re crazy.”って言うんですね。これはあまりキツイ言葉では無くて、私は関西の人間なので関西弁で言うと、「アンタ、アホちゃう?」くらいがちょうどエエなあと思うんですけど(笑)、しかしロリータに関西弁をしゃべらせるわけにはいかないので(会場笑)、「頭おかしいんじゃないの」としたんですね。軽く一蹴してしまう。これがこの本で私がやりたかったことの一つなんです。

こういうの、楽しくてエエなあ、と思いません?
「良き翻訳者」とは、まさに「積極的で創造的な読者」なのですねえ。

引用は、「ウェブ図書新聞 特集 2766号」に掲載された若島正×沼野充義の対談より。

その他、参照した書物:

『ヨーロッパ文学講義』野島秀勝訳、TBSブリタニカ、1982年。引用は巻頭エッセイ「良き読者と良き作家」より
アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』市川恵里訳、白水社、2006年
ナボコフ『ロリータ』若島正訳、新潮文庫、2007年

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