工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

声と物語 ―『ドン・キホーテ』講談ヴァージョンの由来

2007年 4月 15日

幼いギュスターヴ・フロベールが最初にふれた「物語」は、近所のお爺さんが読んでくれる『ドン・キホーテ』でした。文字がなかなか覚えられず、そのために叱られると「ミニョ爺さんが読んでくれるからいいんだよ」と口答えしたのだとか。

プルーストの『失われた時を求めて』の冒頭近くには、眠れぬ少年のかたわらで、母がジョルジュ・サンドの『フランソワ・ル・シャンピ』を読んでくれるという話があります。優しい母の朗読の声、その控えめで情のこもった抑揚を、語り手はじつに丁寧に描きだしてゆく。この美しい断章は、いずれ『世界の名作を読む』のホームページに立ちあげる予定です。

『失われた時を求めて』の終幕における奇跡的な啓示の瞬間に、語り手がむかし母の読み聴かせてくれた書物と再会することは、ご存じの方もあるでしょう。

声を媒体にした「物語」との幸福な出会い ―― それが『世界の名作を読む』という教材のねらいでもありました。『ドン・キホーテ』を全体の導入に、というアイデアが、構想の出発点となりました。

本来「物語」とは語り聴かせるものなのです。印刷術のおかげで書物が普及する以前には、黙読をする人はまれであったといわれます。セルバンテス自身、音読の時代に生きた作家であることは、教材にも書きました。

2005年刊行の新潮社版『ドン・キホーテ』の訳者、荻内勝之さんも、じつは「声の人」なのです。聞くところによれば、お父上は講談師。伝統に息づく「芸としての声」を聴きながら、少年は成長したのでしょう。そこには、なにか特別に濃密な日本語との交わりがあったにちがいありません。

ここで『ドン・キホーテ』幕開けのエピソード。なかなかの読書家である主人公は、一昔前の騎士道本にうつつを抜かし、その「文体の艶」「独特の絡みの語法」にぞっこん参ってしまうのです。たとえば――

「我が言問(ことと)いに答えられし言問いの、余りの理不尽(ことわりなき)に我が言問いの、事切れんばかりなれば、我が美麗(うるわ)しきの怨めまほしきも、道理(ことわり)ならん」(荻内勝之 訳)

「わが道理に素気(すげ)なく当たる、道理なき道理にわが道理も弱りはて、君が美しさを嘆き恨むもまた道理なれ」(牛島信明 訳)

«La razón de la sinrazón que a mi razón se hace, de tal manera mi razón enflaquece, que con razón me quejo de la vuestra fermosura».
(原文へのリンク. intratext.com内)

新訳『ドン・キホーテ』には、うら若き女性の「語り部」がいるらしい、ということは、ウェブで調べているうちにわかりました。出版社をとおして荻内勝之さんにお目にかかり、田辺一凛さんに連絡をとって、わたしの家までご足労いただき、贅沢にも、あれこれの断章を講談ヴァージョンで実演してもらい、いっしょに授業の構想を練りました。

フロベールはフランス語版『ドン・キホーテ』を聴いて育ったわけですが、わたしたちも複数の日本語版『ドン・キホーテ』をもっている。『世界の名作を読む』のCD-Rには、それぞれに味のちがう3人の声優による朗読が収録されています。名高き風車のエピソードは、当然ながら講談ヴァージョンです(学習サポートHPの朗読サンプルでも聴くことができます)。

そうそう、スペインのサイトcervatesvirtual.comでスペイン語の朗読も聴いてみてください。
http://www.cervantesvirtual.com/FichaObra.html?portal=0&Ref=1270&audio=1

さらに。上記intratextを目の前におき、音声とともに鑑賞してみましょう。

文字の戯れに目を奪われ、言葉の響きに耳を傾けることは、文学体験の原点なのです。

セルバンテスについては、スペインの国家的事業なのでしょう、素晴らしいサイトが立ち上がっています。学習サポートHPの「リンク」に紹介を載せましたので、ご覧ください。

http://www.campus.u-air.ac.jp/~gaikokugo/meisaku07/link.html

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