工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

初夏の夕暮れと永遠の半過去

2009年 6月 7日

éternel imparfaitの背景となっている空は、パリの曙。ではなくて、黄昏です。そして、わが空想のパレットでは、黄昏の薔薇色はコレットの色…。

暮れなずむ春の空、という表現は、日本語にもありますけれど、緯度の高いフランスの初夏の夕暮れは、名残惜しげな薄紅の雲が地平線にたなびいて、というような、そんな生やさしいものではありません。空いっぱいに透明な光が満ちるのです。そして、雨燕がさえずりながら宙を斜めに切っている。

éternel imparfaitは「永遠に未完成なもの」とも読めるけれど、じつはフランス語の時制。というところまで、先回にご説明しました。「半過去」imparfaitには、いろいろなアスペクトがありますが、そのひとつは、訳せば「…したものだった」となる。つまり英語ならwould とかused toという言い回しに当たります。

フロベールの小説では、この半過去が、それこそ延々と、果てしなくつづき、その連なりが独特の「悲哀」をかもしだすのだということを、プルーストが指摘して、これをéternel imparfaitと呼んだのでした。それをうけてナボコフは、フランス語に独特の、この時制があってこそ、ボヴァリー夫人の日常の反覆感や倦怠感が造形されると述べています。ロマネスクな出来事がなにひとつおきない結婚生活への失望は、あれこれと説明される以前に、「永遠の半過去」にささえられているという話。

ところでバルザックとフロベールを距てるもの、それはカトリック信仰ではないでしょうか。『ランジェ公爵夫人』の場合、愛しいひとを救出するために男が僧院の房室にしのびこむと、そこには恋に焦がれて息をひきとったばかりの修道女の遺体が横たわっている。あっけにとられるほど都合のよいオチなのですが、著者はそんなことに構ってはいない。終幕に「神は結末をつけ給う」というタイトルをつけて、平然としています。

エンマ・ボヴァリーの死は、「神に結末をつけてもらえない」ヒロインのそれであり、これはヨーロッパの歴史のなかで、新しいものなのです。「真理」あるいは「超越的な存在」へと昇華してゆくはずのない時の流れ、そこで凡庸な愛を生きなければならない女性の不幸。フロベールは、そうしたことを延々とつづく灰色の半過去に託したのでしょう。

それは無神論ではありませんし、たんなる宗教離れでもありません。フランス革命をへたヨーロッパでは、絶対的な「真理」とむすばれる「信仰」とは異なる次元に、相対的な「知」の対象である「宗教的な事象」fait religieuxという問題系がいっせいに浮上するのです。制度的宗教としてのカトリック、その批判である「反教権主義」、エンマにも濃厚に兆候があらわれる「宗教感情」という現象、等々が、教会に通わなくなった知識人たちの一大テーマになってゆく。たとえばミシュレ、フロベール、ゾラ、モーパッサン。

三島憲一氏が「大航海」(No.71「終刊号」だそうです…)の論考のなかで、ナポレオン戦争の終結後、ヨーロッパでは「再キリスト教化」の大きなうねりがおきたと述べておられます。トーマス・マンの小説やヴァグナーの信仰回帰に対応するフランスの例があるはずで、いずれにせよ、この200年、諸国民は宗教の軛から解放されて世俗化への道を邁進してきたのである、などという明快な物語はウソに決まっています。

そんなことを、いずれ書いてみたいと思っているのですが、とりあえずは、「政教分離」と「ライシテ」にかかわる小さな本を苦労しながら翻訳しております。著者ルネ・レモンは、カトリックの信仰をもつことを表明しつつ政治史・宗教史・現代政治などの分野で幅広く活躍してきた、文字通りの碩学です。この歴史家の展望が新鮮に感じられるのは、あえて単純化していえば、宗教の側に立つことにより、原理主義的な共和主義を相対化する、聡明な視座を確保しているからだと思います。

オバマ大統領のカイロ大学での演説(6月4日)には、くり返しコーランが、さらにユダヤ教のタルムード、そしてもちろん聖書も引用されました。その背景に、無限に大きな問題構成を読みとることができるのです。現代世界のプロテスタントとカトリックとイスラームが、それぞれの宗教をいかに政治的な文脈に位置づけているか、公的な場で宗教を可視化するマナーにはいかなる相違があるか、倫理的な判断と信仰の言説をいかに結びつけるのか、等々。

話は変わって、先月「新装開店」したサイト、おかげさまで好評です。「閲覧室」には評論集『砂漠論』の巻頭エッセイがあらたに掲載されました。論文抜刷『フランスの政教分離』に関しては、ケベックを研究しておられる方々から心強いお便りをいただきました。秋には何か面白い企画が立ちあがりそうな気配です。

つづいて「ICT活用教育」――放送大学の「外国語学習と異文化理解」のサイトには、面接授業の共通教材にベトナム語が登場。韓国語、ドイツ語、フランス語につづく、4つめの「手作り教材」です。南関東のセンターにおける12カ国語の初修外国語とその新しいプログラムについては、2008年 12月 24日のエッセイ後半をご覧ください。

世田谷学習センターでは、柏倉康夫先生の主催する「国際問題研究会」が活動を始めました。放送大学の学生さんにかぎらず、一般の方々に開かれています。センターは東横線の学芸大学駅から閑静な住宅街を歩いて10分ほどのところ。宮沢賢治の世界のような、昔懐かしい校舎が気に入っています。緑濃い木陰のテニスコートもありますし、日曜の午後、知的健康管理のつもりでお気軽にどうぞ。

パリの写真は、鮮やかな「マンガ専門店」を選んでみました。Shadowboxを使っていること、お気づきでしょうか。クリックして鑑賞してください。

マンガ専門店

K.NAKATA

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