工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

世界の名作を読む

2009年 12月 25日

進行中の本のゲラ校正にとりかかるまえに、今年をしめくくるエッセイを。とはいえ、ふりかえってしんみりしたり、未来の抱負を述べたりするガラではありません。目先の課題としては、とにかく文学回帰。来年度は放送大学の教材『世界の名作を読む』の改訂版を制作します。

大学に市場原理が入ってきたのは昨今のことではありません。ヨーロッパ系の言語を防衛するための闘いは、考えてみれば、もう十数年はつづいているでしょう。東京大学の教養学部のカリキュラム改革が、1993年。その4年後の「自己評価」あたりから、それこそ休む間もなく、荒波が押しよせているような気がします。英語は別格として、複数の外国語を展開すれば「コストパフォーマンス」がわるくなることは目に見えている。この先も初修外国語は「事業仕分け」にとって、恰好のターゲットになるにちがいありません。

外国語としてのフランス語の地盤沈下と、文学の衰退は、さらには人文科学の後退は、シンクロナイズした現象です。でも、いつもいうように、愚痴をいうヒマがあったら、前向きの企画を立てましょう。あれこれ工夫してやってきたことを思いおこせば、わたしは三割打者といえるほどヒットを飛ばしてはいませんが、見苦しいファールや失点を、こんなところで公開しても仕方ないでしょう。つまり本日は、文学について少しは景気のよい話をしようというわけです。

放送大学の基礎科目『世界の名作を読む』は、ホームランとはいわぬまでも、まあ三塁打ぐらいかな。これのおかげで大学では外国語まで、ほっと一息ついている感じです。

世界の名作は知っていたほうがいい、という教養主義の原点のような提案と、贅沢な講師陣、そして5時間40分の朗読を収録したCD-R補助教材の新鮮さがセットになって、社会の潜在的な願望を掘りおこしたということでしょう。ドイツ文学は池内紀先生、アメリカ文学は柴田元幸さん、ロシア文学は沼野充義さん、というラインアップ。学習サポートHPには、IT教材のサンプルを立ちあげてあります。このサイトで、柴田元幸さんの『ハックルベリー・フィンの冒険』の朗読を試聴して、新訳のメルヴィル『バートルビー』のテクストをダウンロードできますので、どうぞ。
http://www.campus.u-air.ac.jp/~gaikokugo/meisaku07/index.html

『世界の名作を読む』の履修者は、毎学期1000名を超えています。通信指導問題は記述式で、一つのテーマを選択して1000字のレポートを書く。答案は、それぞれの作家研究で実績をもつ若手に協力していただき、丁寧なコメントをつけて返却します。放送大学の教育プログラムには、一般の大学の単位互換校も参入していますから、段ボールに入った山のような答案をチェックしていると、それこそ十代から上は上限なしの年齢層の日本語に接することになる。

日本語で表現する力をつけよう、という掛け声だけは聞かれるご時世ですが、そのための教育システムが、まったく提供されていない。これは胸が痛むほどの実感です。とりわけ仲間どうしの携帯メールしか、文章を書いたことのない若者たち。『ドン・キホーテ』が面白いのは。。。と書き始めて絶句する様子が、目に浮かびます。

文学を読むことは、他者の思考と向きあうこと。異質な言語に応答しようという意欲があるところで、はじめて人間と人間のコミュニケーションが成立するのです。それは社会人として、市民として生きる基礎的な知力のようなものでしょう。そして、これを身につけてもらうことこそが、教育の究極の目標ではありませんか?

とにかく手応えはあるのだから、焼け石に水のような作業であっても、この講義は、改訂版をつくって、あと何年かはつづけてみようと思い立ったわけなのです。15回の講義の半分ほどを、入れ替えます。サイトをご覧いただけばわかりますが、これまでは、ズシリと重い大作家が主流だった。こんどは、少年文学と童話を入れてみようかな。

そんなしだいで、ひ弱な文学少女であったわたしの心の糧はこれだったのだなあ、と、じんわり嬉しい気分になりながら、創元社の「世界少年少女文学全集」を引っぱり出しました。当時としては破格の豪華本でした。濃厚なピンクのハードカヴァーに色刷りの図版が入った表紙を見るだけで心がおどり、新しい巻がとどくと、読みおわるまでかかえてあるいたものです。渡辺一夫訳のラブレーとともに、ラ・フォンテーヌ、シャルル・ペローなどを入れた巻は、22回目の配本で、昭和29年の出版です。わたしは10歳。

ちなみにこの「少年少女文学全集」には、巻末に作家紹介のページがあり、ペローについては「韻文」と「散文」そして「新旧論争」などという専門用語?を平気でつかい(もちろん全部ルビつき)、さらには「童話集」が偽名で公表された経緯なども紹介して、堂々たる作品分析をやっています。これぞ「ゆとり教育」の対極! 日本の戦後をになう子どもたちに、ほんものの知識を手渡そうとする文学者たちの気概が、ひしひしと伝わってくる全集です。

さて話はもどりますが、いずれにせよ、好きな童話の「読み聞かせ」をやっただけでは、大学の講義にはなりません。さまざまの翻訳を入手し、童話、寓話、民話、昔話、神話、などの関連書を読みあさり、45分におさまるテーマの構成を考えてゆきます。常識的な路線だけれど、ペローとグリムをセットにしてみるか。。。

シャルル・ペローは、太陽王ルイ14世の宮廷に仕えた文人ですが、「童話集」が刊行された1697年は、アカデミー・フランセーズの編纂する『アカデミー辞典』の初版が完成した直後。このときすでにフランス語は、純化された言語としてヨーロッパ文明を代表し、啓蒙の世紀に君臨する力をたくわえています。

グリム兄弟の『子どもと家庭のための童話』は、1812年に初版が刊行されたのち、1857年の第7版まで改変をかさね、200篇を超える物語をおさめています。19世紀は、ナポレオンの帝国に蹂躙されたヨーロッパで、ナショナリズムの運動が昂揚した時代です。民間伝承の収集は、ネイションのアイデンティティを立ちあげ、言語のルーツをさぐる基礎作業でもありました。グリム兄弟は、『ドイツ語文法』『ドイツ語辞典』などの編纂を先導した第一線の文献学者だったのです。

ペローとグリムを分かつのは、1世紀以上の時の流れだけではありません。普遍言語を志向するフランス語vs.創出すべき国民言語としてのドイツ語。「プレシオジテ」などと呼ばれる宮廷文化の洗練と美意識vs.国民国家の市民が身につけるべき教養と道徳的な価値。こんなふうに単純化するのは、もちろん乱暴なのですけれど、作品の時代背景を描くヒントにはなりそう。

おわかりのように、近代ヨーロッパの生成という枠組みのなかで、ペローとグリムを読みくらべる方法がないか、考えているところです。携帯メールの大学生には、むずかしすぎる? 楽しめるところを楽しみ、吸収できるものを吸収してくれればいいのですよ。レヴェルを下げて、子どもあつかいすれば、履修者に歓迎されると思うなかれ!

この童話の話、放送大学主催の「新春公開講座」で頭出ししようと思っています。2月3日(水)の夜、だそうですが、いずれにせよ来月、このHPで「広報活動」をやります。なにせ「事業仕分け」の時代なのだから、覚悟を決めて、防衛のための実績をつくっておきましょう。

そうそう、ご存じの方もあるでしょうけれど、フランス語辞典のウェブサイト。ぜひこれを活用してください。1694年の初版『アカデミー辞典』までアクセスできるのです! このサイトを存分に活用しながら、シャルル・ペローを自分で翻訳して、新しい教材をつくります。やっぱり文学の仕事は、じんわりと楽しい。。。
http://www.cnrtl.fr/definition/

写真はリュクサンブール公園の焼き栗売りのおばさん


焼き栗売り

K.NAKATA

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