工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

「婚活小説」vs.「姦通小説」

2010年 2月 22日

ルネ・レモンの翻訳が、ようやく校了になりました。『政教分離を問いなおす───EUとムスリムのはざまで』というタイトルで、青土社から3月初旬に刊行予定です。この2年ほど、カトリックと法制度の勉強をしようと思って、それこそ色気ぬきでやってきましたら、ほっと一息、解放感を味わっているところ。

正直のところ、新しい分野をかすめただけですけれど、それでも学んだ甲斐はありますよ。どんな小説を読みなおしても、じつに新鮮。この社会風景は、制度としての宗教という観点から分析できる、ジェンダーの話であれば、プロテスタントとカトリックの女子教育の相違を考えたら面白いはず、等々、いろいろと思いつくことがあって。

『ジェイン・エア』を久しぶりに読みなおしました。放送大学の教材『世界の名作を読む』の改訂版制作のためですが、これも、じんわりと懐かしい読書。ブロンテ姉妹はわたしにとって、はじめて読んだ小説らしい小説だったのでしょう。あらためて実感したこと───イギリス近代文学は、本当に結婚の話が好きですねえ。どうやって自分にふさわしい相手を見つけ、苦難をのりこえて、ゴールインするか。ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』なんて、まさに「婚活小説」ではないですか。対になったテーマは、まちがえた結婚という不幸。『嵐が丘』では、同じキャサリンという名の母と娘が二世代にわたり、愛情によらぬ結婚をする。『ジェイン・エア』では、ロチェスターに狂気の妻がおり、その秘められた傷害が、運命の計らいで巧みにとりのぞかれたとき、ようやくハッピーエンドとなるわけです。

一方、19世紀のフランスは、もっぱら「姦通小説」ですね。バルザックの『谷間の百合』と『ランジェ公爵夫人』、フローベールの『ボヴァリー夫人』と『感情教育』───これだけで、充分に説得されるでしょう? 「姦通小説」と「恋愛小説」のちがい? 答えは簡単明瞭です。ヒロインの魅惑が「人妻」というステータスから生じていることが、条件とお考えください。結婚という神聖な制度に守られた禁忌の対象であるからこそ、女は輝き、ゆたかな陰影をおびるのです。それにしてもなぜ、フランス小説では「結婚」がゴールではなくてスタート地点におかれ、「姦通」が特権的な主題となったのか。

今のところ、考えているアプローチは二つ。一つはカトリック教会が、「告解」という制度によって、既婚女性の性生活にある程度は介入できたという問題。もう一つは、教会法とキリスト教の道徳にかわり国民の生活を律することになった民法の枠組み───とりわけ財産相続と離婚にかかわる法律───のなかで、「姦通」がいかに位置づけられたかという問題。結婚生活からの逸脱が禁じられる論拠は、宗教的なものか、それとも法的なものか、という観点からすると、二つの問題構成は連動しているわけですが。いずれゆっくり考えるつもりで、資料を集めたり、小説を読みなおしたりしています。

ジェンダーと宗教の関係という意味で、イギリスとフランスには、根本的な相違があるのではないでしょうか。よく知られているように、ジェイン・オースティン、ブロンテ姉妹、ジョージ・エリオットは、そろって「牧師の娘」です。4人だけで、迫力充分ですね。幼少から読書に親しみ、ともかく学校で───『ジェイン・エア』のローウッド学院と似たり寄ったりの、貧しく謹厳な寄宿学校だったりするらしいけれど───音楽や絵画や外国語など、知的な市民としての「教養」を身につけた「レディ」たち。たとえ台所のテーブルであろうと、原稿用紙をまえにおき、ペンをにぎってヒロインの人生に思いをはせる女性たちは、自立を求める自由な主体だったといえるでしょう。

一方、カトリックの場合、そもそも聖職者には、妻も娘もいないのです。小説を読むかぎり、末端の教区司祭は一般に、住民の識字教育ぐらいはやったでしょうけれど、プロテスタントの牧師にときおり見られるような───ジェイン・エアに結婚を申し込む従兄のセント・ジョンは、その強烈な典型ですが───教育的な使命感と奉仕への若々しい情熱に燃える人物ではなかったように思われます。もっとも、革命後のフランスで、時代の先端をになう知的活動は、宗教による検閲や管理がおよばぬところで展開されており、そもそも作家の大半が、教会に通うことをやめてしまった男性たちでした。そのことにより、カトリック信仰や聖職者にかかわる証言が、イデオロギー的に限定されたことは、まちがいありません。

かりに中産階級の女性が、結婚相手を見つけられなかったらどうするか。イギリスでは「ガヴァネス」つまり住み込みの家庭教師になるというのが、唯一、ディーセントに自活する道であったといわれます。フランスでは? いっそ修道女になって、学校教育、病院、地域の福祉など、 教会や修道会を背景とした社会活動に参加するか。あるいは、ピアノのレッスンをするとか、ちょっとした記事を新聞社に売り込むとかして、「教養」を切り売りしながら、糊口をしのぐか。生活の安定という点で、二つの選択肢の差は歴然としています。

19世紀を通じて、フランスの修道女の数がうなぎのぼりに増加するのは、たんにカトリック信仰の「霊的な目覚め」ゆえではないだろうと思うのです。はっきりいえば「余った女たち」が、生きる場をどこに求めたか、という話。総人口も示さず、年代も違う比較などは、もちろん無責任ですけれど、ご参考までに:イギリスで1861年の国政調査によるガヴァネスの総数は24,770人だそうです。フランス1900年の調査によれば、国内の修道女の数は128,315人(修道士は29,583人)。

しかしフランスの女性は、なぜ「家庭教師」になれなかったのでしょう? 『ジェイン・エア』と『ボヴァリー夫人』を読みくらべてください。小説という文学のジャンルは、聡明なものでありますから、女の人生が教育によって決定されることなど、フェミニストに糾弾される以前から知っていたのです。いずれボヴァリー夫人となるエンマが「お嬢様風」にカトリックの修道院の寄宿舎で受けた教育は、じっさい「教養」と呼べるようなものではない。チャリティで運営されるローウッド学院で、ジェインが栄養失調になりながら受けた教育のほうが、内容としては、まだましです。

「教養」を身につけた女性が供給されなければ、女性の家庭教師という職業への社会的なニーズそのものが生まれない。ニーズがなければ、教育プログラムの改善という動機が刺激されることもない。女子教育という観点からすると、イギリスやドイツなど、プロテスタント系の国々で、先に改革の機運が熟したことはたしかです。さらにもう一つ、見落としてはならない重大なポイント。

ヴィクトリア朝に生きた「牧師の娘たち」は、時代の証言者となり、女性が自分自身について語る文学の伝統が、ヴァージニア・ウルフへと引き継がれてゆきます。これに対してカトリックの「修道女」たちは、恋愛もせず結婚もしないという建前でしたから、当然のこととして、生身の女の人生については、沈黙を守りぬいた。信仰について告白すること以外は、想像すらできなかったのでしょう。

そうしたわけで、フランス近代小説は、キリスト教の信仰から距離をおいた男性たち、それも大方は、少なからぬ数の女性と交わりつつ結婚をしなかった男たちが担うことになりました。独身者のペンによる「姦通小説」? これも可能なアプローチの一つでしょう。

『大西巨人 闘争する秘密』

話は変わって、出版便り。若手の論文を「新書」で出版するというアイデアを左右社の小柳さんから聞いたのは、もう数年前のことでしょうか。せっかくならシリーズにしましょう、ということで、『砂漠論』の刊行にさいして「流動する人文学」というタイトルを考案したのが、2年前(「若者よ、本を書こう!」2008年3月1日4月1日)。

石橋正孝『大西巨人───逃走する秘密』は、このシリーズの新書版、第1号です。この人の文章と出会ったのは、十数年前、東京大学教養学部の学生論文集「ΣΥΜΠΟΣΙΟΝ」(2009年10月24日)創刊号を編集したときなのですが、文章が、そして文学を見る眼が、時とともに確実にオトナになってゆく。その印象は、大学の教員として生きてきたわたしには、率直に嬉しいものでした。

黒地に金の箔押し、グレーの帯というスマートな本作りには、いつものことながら感心します。書物を手に取る快楽というのが、たしかにあるのですね。小柳さんに、思わずナイーヴな質問をしてしまいました───どうしてこんな綺麗な本が1000円でできるの?

ケ・ブランリー博物館
K.NAKATA

▲ ページの先頭へ戻る