工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

6月26日(土)午後 公開ゼミを開催します

2010年 6月 8日

於 東京世田谷学習センター(教室は当日掲示)
13h30~15h00 「異文化の共存」・・・管啓次郎『斜線の旅』を読む 2
5月22日の初回ゼミでは、冒頭のエッセイ「フィジーの夕方」を読みました。教室の雰囲気も徐々になごやかなり、出席者も楽しそうに発言してくれて、とりあえず順調なすべりだし、と考えています。今回は、「島旅ひとつ、また」(pp.192~201)をとりあげます。「島」とは何か……考えてみましょう。
参加資格: 文字通りの「公開ゼミ」です。「生涯学習」に関心のある方々、「社会人教育」に携わる現場の方々も参加して下されば、いっそう活気ある出会いの場となるでしょう。当日、コピーを配布します。

15h20~16h20 生涯学習、研究計画、論文執筆などに関する公開ゼミ
リラックスできるように、研究室でのティータイムという形式にします。参加者は、簡単な自己紹介を兼ねて、自分が関心をもつテーマについて自由に発言する。プレゼンテーションの機会がほしいという学生さんたちの要望に応えることも目的です。形式にはこだわりませんが、大切なのは全体への配慮。発言は1人5分以内に。とりあえず出席はするけれど、寡黙な「オブザーバー」というのでもかまいません。

16h30~17h30 オフィス・アワー
引き続き研究室で、個人指導や小人数の打合せをします。学習指導、進学指導を希望される方、すでに私とコンタクトをとっている方は、ぜひ、この枠組みを活用してください。

今後の活動
7月は単位認定試験もありますので、公開ゼミは行わず、グループレッスンのみ継続します。8月はもちろんヴァカンス。9月の後半に再開の予定です。


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いえむしろ、なぜ「大陸」なのでしょう? という問いを立てたほうがよい。「近代文明」は、その出生からして「陸」の刻印を受けています。隣国と国境線を争った戦争も、海の彼方でくりひろげられた植民地争奪戦も、主役はいつも、ユーラシア大陸の西端を占める強大な国家群。もとはといえば「高緯度に住む白い肌の人たち」が、砂糖黍のプランテーションを経営することや、貴重な地下資源の眠る大地を専有することに血道を上げたため、その後も数世紀にわたる負荷が蓄積されて、それで今日の地球がある、ともいえるのです。

『斜線の旅』の著者SKさんの「島旅…」というつぶやきは、人類を押し流してきたこの「近代文明」への異議申し立て。とはいえ「ポストコロニアル批評」などと肩肘を張らず、けっして声高にはならない。のんびりと旅の小さな風景を反芻するような口調だけれど、強い思いがしみじみと伝わってくる。文章の技ですね。ご一緒に「フィジーの夕方」を読んだ方々は、この感想を分かち合ってくださったと思います。

ゼミでは出席者の顔を見ながら、自由な対話の流れを作りたいと考えています。先回、話のなりゆきで浮上したのは、カリブ海の「食人幻想」と、これに相対するポリネシアの神話。「愛の島」とか、「文明の対蹠地」とか、つむぎだされた物語はいろいろとあるけれど、ただしSKさんは、そんな既製品に惑わされはしない。南半球の海との無垢な出会いを求めて、彼は夕方の飛行場に降り立ちます。そこは「地図上では白い砂粒をまきちらしたように見える南太平洋の島嶼国家フィジー」。

「ここはフィジー、」とつぶやいて、ぼくの旅にはまたひとつの読点が打たれたのだった───という幕引きの「ソット・ヴォーチェ」は、それにしても、息を呑むほど見事です。

皆さん、書き方の技に注目すると、読み方の技が、おのずと身につくものなのです! あるいは、こうもいえる───読み方の技をみがくと、書き方の技も学べるもの。でも、これでは文学の講義みたいになってしまいますね。つまり、言葉の贅沢と書物の造形というものに、思いをはせてみたいのです。『斜線の旅』には、章の番号がありません。そこで、ジュール・ヴェルヌ『八十日間世界一周』の目次を開いてみると、37(=6×6+1)の数字が並び、それらの章が一部の隙もなく、入れ替え不可能な順列をくんでいる。これで地球を一巡り、というわけです。

時間の流れと空間の移動を汽車の時刻表のように相関させるのが、「近代文明」の合理主義だとすれば、SKさんの「斜線の旅」という言葉が暗示するのは、不思議に軽やかで偶発的な運動だといえるでしょう。この運動にふさわしく、いくつもの短いエッセイが「白い砂粒をまきちらしたよう」な具合に書物の海原に浮いている。見ればエッセイのタイトルも、ページの真ん中あたりに、小さく宙づりになって…。

そうしたわけでわたしたちも、すーっと「斜線」を引くことにして、次回は、かなり離れた「島旅ひとつ、また」に移動してみましょう。「文明と島」というテーマが頭にちらついているという個人的な事情もありますが、通常の大学のゼミとちがって、毎週開催というわけにはゆきません。せめて「島」という言葉をつなぎの糸に見立てようという工夫。エッセイは、こんなふうに始まります。

改めて、島は大切だと思った。島に行くことは大切だ。そうする余裕があるなら、あるとき、何年かに一度でもいいから、島を訪ねてみるといいと思う。すると心が変わる。島は人を、何かの出発点まで引き戻す。引き戻してくれる。

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