工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

コレット三昧(1)

2010年 8月 14日

「わたしの可愛い人―シェリ」が10月中旬に東急文化村で公開されます。スティーヴン・フリアーズ監督。ミシェル・ファイファー、ルパート・フレンド、キャシー・ベイツ、等の豪華キャスト。といわれても、映画は昔々「ゴジラ」を見たぐらいで……、というのは大袈裟としても、まじめな話、文芸作品の映画化というのは、原則として苦手です。『ボヴァリー夫人』で心から納得できたのは、オリヴェイラ監督の『アブラハム渓谷』───そう思って見なければフロベールの引用など見落としてしまいそうな作品ですけれど。

ところが、今回の『シェリ』は、なぜか、とてもいいような気がしています。そもそもコレット自身が、教条主義的な「文学至上主義」と無縁だったせいでしょうか。自作の小説を戯曲版にして自分でヒロインを演じてしまうとか。映画化とか。あるいはブロードウェイのミュージカルとか。とにかく小説の「複製」が生産されて、大衆にアピールする類似品が世に出てゆくことを楽しんでいた。文学的な感性という意味で、コレットは、明らかに「ポストモダン」の側面をもっています。

華奢な現代っ子のシェリと聡明で品のよいレアのカップルが英語で愛を語り合っている光景を、もしコレットが見たら、「なかなかいいわ」のひと言だったと思います。「日本語版もいろいろあってもいいわね」とコレットならいってくれると思って、「声に出して読む翻訳」というシリーズものを企画しました。とにかく文学や人文学は、機会があればいつでも誠意をもって、新しい素材を読者に手わたすように努めるべきだと思っているのです。

なにしろコレットは、放送大学むき! なのです。学歴は高等小学校ぐらいでしょうから、生涯学習の見本みたいな努力家ですし、後期高齢者の歳になっても、水準の高い仕事をしていますし。そうそう、文学の「複製」を歓迎するといっても、作家としての彼女が、売れそうな小説をてっとりばやく書き流していたという意味ではありません。

ある批評家が、コレットは「文体に、ちょうど牝猫がその毛並みに完全を期すように振舞う、あの勤勉さと同じ熱意をもって磨きをかける」と指摘しているのですけれど、これはコレットのフランス語に親しんだ翻訳者として、まさに言い得て妙という感じです。一糸の乱れもない文体をフロベールのそれになぞらえる人もいて、だからこそ、彼女は最終的に栄えあるゴンクール賞の審査委員長までつとめたのでした。2回離婚して3回結婚したとか、『シェリ』の物語をなぞるように義理の息子を愛してしまったとか、当時の市民的な良識からすれば、かなり破天荒な人生を送ったにもかかわらず、国葬という栄誉を贈られたのも、文学における功績が文句なしに圧倒的なものであったからにほかなりません。

現在、基礎科目『世界の名作を読む』の改訂版を制作中なのですが、その最終回を「女性と文学」というタイトルにして、ヴァージニア・ウルフとコレットをならべてみました。そこへ、ちょうどよいタイミングで映画の公開という話が舞い込んだわけ。面接授業にも活用できますし、作家に対して良質な関心が高まるように、ここは努力のしどころ、じゃありませんか。

この科目の印刷教材には、作品の朗読(もちろん翻訳)が数時間分、CD-Rのサブ教材と添付されています。ちなみにウェブにも2007年度版のサンプルが立ち上げてあります。
http://www.campus.u-air.ac.jp/~gaikokugo/meisaku07/index.html
今回は予算の関係もあり、一部のテクストを自分で朗読してみたのです。勉強になりましたねえ……。音声と小説テクストの関係を本気で考えることになりました。「音読」を想定した翻訳には、「黙読」を想定した翻訳とは異なる工夫が必要だということ。それが「声に出して読む翻訳」というシリーズの提案につながったのですが、この話は長くなりますので、次回に。

映画の公開に合わせて、映画配給会社(セテラ・インターナショナル)と出版社(左右社)とタイアップしたイヴェントがいくつか計画されています。左右社の新シリーズにおさめられる『シェリ』の刊行は9月半ばの予定。それから今回、はじめて映画字幕の監修という仕事をさせていただいて、これがとても面白かったので───映像と文字情報の読み取りという問題です───いずれ世田谷学習センターの公開ゼミで、その話をしようかと思っています。来年度1学期の面接授業はコレットですから、その予習(予告編?)にもなるでしょう。

コレットとは関係ありませんが、10月5日(火)、世田谷学習センター主催の研修旅行(横浜山手)についても広報活動をしておきます。企画責任者として名前を出したのは、後半の横浜開港資料館は学芸員のガイドをお願いできない組織なので、自分で資料を調べてガイドをしてしまおうか、と思っているからです。
詳細はこちら(PDF)

放送大学の学生さんを見ていると、外国のことに興味はあるけれど、外国語が苦手なので、という、文化的引きこもり(?)タイプの人が少なくない。文明開化は、日本語で読める資料は山ほどあって、しかもコスモポリタンな展望にふれることができますから、とてもいい研究テーマです。

もちろん個人的な関心という動機もあります。「女性と文学」についても「政教分離」についても、やはり日本との比較という視座は欠かせない。という当たり前の課題に、ようやく向き合う心のゆとりが、少しは出来てきたところです。ちなみに「政教分離」に関心のある方、ぜひ島薗進『国家神道と日本人』(岩波新書)を読んでみてください。わが国の「宗教的な事象」は本当に複雑でありまして───カトリック世界とは全く異なる方式で───公と私、祭祀と政治、天皇と神社、国家と地域社会、国民教育と信教の自由などの主題系が錯綜し、相互に絡み合っている。その特異性を解きほぐし、問題点を明らかにしてゆく手さばきに感服しました。そして(唐突な感想だと思われるかもしれませんけれど)、学問のグローバル化とは、こういうことなのだ、と感じ入りました。

hpim1593K.NAKATA

▲ ページの先頭へ戻る