工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

朗読カフェと妖精物語

2011年 1月 8日

新年おめでとうございます。

今年の新しい企画は「朗読カフェ」───作品についての気軽なレクチャーと、シロウトではありますがわたし自身の朗読と、さらに参加者との自由なやりとりと。以上3つの柱を考えています。発想はフランスの「歴史カフェ」や「哲学カフェ」に学んだもの。

日本では「科学カフェ」「サイエンスカフェ」の活動が、他の分野に大きく先行しています。Wikipediaによれば、「科学カフェ」とは1992年にパリではじまった「哲学カフェ」をモデルにして、1997年から1998年にかけて英仏で同時に広まった活動で、カフェのようなくつろいだ空間で、ゲストスピーカーと参加者が双方向的にコミュニケーションをとりながら科学を語り合うのだそうです。わが国では2004年に京都ではじめられた「科学カフェ京都」(特定非営利活動法人)が先駆だとありましたので、サイトをのぞいてみました。「技術における意志決定プロセスの民主化をめざす」と銘打った組織の全容と圧倒的な動員力に、それこそ茫然としましたね。大小の「科学カフェ」はNPOだけでなく企業の主催する活動もくわわって、わが国でも急成長をとげているようです。

とはいえ大それた夢は、わたしにはありませんし、もともと文学は技術とも経済力とも無縁です。思い切りこぢんまりと手作りで、ただしお洒落な感じでやってみたいと思います。Webで調べてみると「朗読カフェ」を謳った活動もずいぶんあるようですけれど、おそらくはほとんどが愛好会的な集まりで、ヨーロッパの「カフェ」のように一般の市民と現役の高校教師と引退した大学教授が同じフロアで交流するというような場ではなさそうです。

せっかくカフェのマダムをやってみようというのですから、メニューも自前。読むのは自分で翻訳した作品です。これが左右社の出版企画「声に出して読む翻訳コレクション」につながっているわけ。すでに予告したように初回はコレットの『シェリ』ですが、これまでの催しと重ならないようにページをえらび、母と娘をテーマにした短篇なども新訳でご紹介します。

2011年3月6日(日)の午後、阿佐ヶ谷のカフェRUSTLE(駅から徒歩5分)にて。定員25名というのは、なごやかにお話できるという意味で、ちょっとした贅沢ですけれど、いっぽうの参加費は、コーヒーとケーキの実費です。なにより大切なのは雰囲気とコンセプト。ヨーロッパの先例から知恵を借り、全員が「ヴォランティア・モード」で気楽に参加して、楽しみながら本を読む時間になるように、ゲストスピーカーとしても工夫したいと思います。詳細および申し込みはこちらから
http://sayusha.com/sayusha/Colette.html

今回の「朗読カフェ」を左右社とともに企画してくださったアルクの雑誌『翻訳事典2012年度版』(1月15日発売)に関連記事が掲載されています。じつは翻訳者として本格的なインタビューをうけたのは、昔々トロワイヤの歴史小説が大ヒットして以来のこと。老後は───ボケに敗退するまで───気長に古典の翻訳をやりたいと思っていますので、なんだか応援してもらった気分です。

「声に出して読む翻訳コレクション」の第二弾はシャルル・ペローです。目下、ラ・フォンテーヌやモリエールなど、同時代の作家をふくめ、どっぷりと朗読にひたりながら翻訳をやり、解説を書いています。ペローは「アカデミー・フランセーズ」の辞書(初版)の編纂に当たった中心的なメンバーでもありますが、いっぽうで「モリエールの言語」といえば「フランス語」を指すことはご存じの方も多いでしょう。17世紀のフランスで「古典文学」とともに開花した「国民的な言語」の活力にふれることができる。これも翻訳者の特権ですね。

近代小説を中心に学んできた者にとって、昔話というジャンルは、それこそ遠い昔の話のように思われるかもしれませんけれど、たとえばプルースト。語り手の記憶に甦る最初の幻想的な光景は、ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの伝説で、これが大貴族ゲルマントの家系を神話的な時空にまで遡らせる仕掛けになっている。悪役ゴロの名は「青髯」とならべてありますが、これは、ほら、ペローでしょう。それから、かの名高きマドレーヌのエピソードの直前に、「ケルトの信仰」の話が出てきます。亡くなった人の魂は、動物とか植物とか無生物とか、下等な存在のなかに囚われの身となっており、ある日、偶然にわたしたちがそのそばを通りかかって、呼びかけに答えると、魂が甦るという話。これはそのまま「見いだされた時」につらなるテーマです。

じつはプルーストの「甦り」がカトリック的なものではないことが気にかかっているのです。それはギリシア神話の「甦り」とも違うのではないか。もしかしたらヨーロッパの民衆が語り伝えた超自然や神秘や奇跡など、つまり伝説、民話、昔話、メルヒェン、妖精物語なども源泉となっているのではないか───そんなふうに勝手に推論しているわけです。まず思いだされるのは、アスパラガスが妖精になるという話。フランソワーズの台所は、お伽の国なのですね。この「夢幻劇」はたしかに『真夏の夜の夢』の系譜であって、なにしろケルト系の妖精は、フランスのそれとちがって、変身する者、いたずら者が多い。妖精にも、お国柄というのがあるようです。グリム兄弟などは、民話を収集しながら意図的に、ドイツの国民的アイデンティティを立ち上げようとしたわけですし。

ちなみにペローでは、カボチャを金色の馬車にする仙女だけでなく、「青髯」の小部屋の鍵や「親指小僧」の「七里の長靴」も妖精です。そんな雑学をいろいろ身につけると、プルーストの幼少期の初々しい想像力に最初にすりこまれた愛らしいモティーフを、いろいろ探しだすことができそうな気がしてきます。この話はきりがないので、いずれまた。次回からは、シャルル・ペローの『昔話』についてのエッセイを連載する予定です。

写真は今回もプルーストもの。幼いマルセル少年の寝室には、ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの伝説を映しだす幻灯が置かれていました。
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