工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

Conversationの愉しみ―ペロー『昔話』(1)

2011年 2月 13日

おかげさまで3月6日(日)午後の朗読カフェは、ほぼ満席になったようなので、その延長上のイヴェントを。ジュンク堂のサイトをそのまま引用させていただきます。

『シェリ』『誰も知らない印象派』(共に左右社)刊行記念
娼婦対談……コレットvs.シャネル

工藤庸子(仏文学者)×山田登世子(仏文学者)

■2011年3月24日(木)19:30~ ジュンク堂書店池袋本店 4階カフェにて

自由な生き方を貫き、フランスで女性国民葬がなされた作家コレット。
女性をコルセットから開放し、ファッションで世界を席巻したシャネル。
二人は、娼婦というキーワードで緊密につながる!すべての始まりは、印象派に隠されている!
コレットとシャネル、そして工藤庸子さんと山田登世子さんの対決。フランス文学者2人の白熱&スリリングなトークイベントです。
http://www.junkudo.co.jp/tenpo/evtalk.html

山田登世子さんとは、長いお付き合い、というべきか、本を贈ったり贈られたりで、いつも励まされている友人なのですが、じつは直接お目にかかったのは、ごく最近のこと。何か一緒にやりましょう、ということで、左右社の小柳さんが企画を立ててくださいました。

わたしたちふたりとも、娼婦に並々ならぬ関心をいだいております。なにしろ山田さんの『誰も知らない印象派』の副題は「娼婦の美術史」です。陽光あふれる水辺の風景、そこにくつろぐ健康そうな若者たち。テーマはお馴染みのものですが、描かれた男女の素性を、小説や風俗史のゆたかな知識を駆使して鮮やかに解き明かしてくれる書物。たしかに世紀末フランスのジェンダーは、潜在的な娼婦とみなされた庶民の娘たちをぬきにしては語れません。

お針子のようなシロウトの娘から王侯貴族も翻弄するほどの「ココット=高級娼婦」まで。ひとくちに「娼婦」といっても内実は複雑なのですが、とにかくシャネルもコレットも、ニアミスぐらいの感じで、粋筋の女たちの世界をかすめているのです。コレットはココットの目線で顧客としての男を描くという、とんでもない違反行為を犯しながら、品格のある文学を創造し、フランス文化の華やぎを体現する女性作家として世界に認知されました。

男に囲われる女になるという選択について、シャネルやコレットはどう考えていたの? 厳しく孤独な自立の道を彼女たちにえらばせたのは、いったい何? コレットの場合、文学への真摯な愛などという「綺麗事」ではなかったと思う。シャネルの強固な意志は、どこから来たの? 生い立ちの秘密? 怨念をエネルギーにして、ひとりの女が傑出した人生を生きぬくってこと、ありますか? ───そんなことを、自由に、愉しみながら、語り合いたいと思っています。

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Conversationとはスポーツのようなもの、といったのは碩学マルク・フュマロリです。ルールと形式美と批評精神をともなう言葉の競技───そうした意味での模範的な「会話」は、17世紀のパリ、教養ある貴婦人たちの文芸サロンにおいて開花した。そもそも「会話」というものが、スタール夫人にいわせれば、フランス国民のお家芸だそうですが、その黄金時代において女性の果たした役割は計り知れないとのこと。わたしの乱暴な歴史見取り図によれば、19世紀のブルジョワ社会は、人妻となった貞淑な女性たちから自立の精神とみずからを語る言葉をうばってしまった。それをくつがえしたのが、まずはジョルジュ・サンド、そしてシャネルであり、コレット。

話は17世紀、シャルル・ペローの時代にもどります。ラ・ロシュフコー、ラ・ファイエット夫人、ラ・フォンテーヌなどの作品は、いずれも文芸サロンの社交空間で誕生したものであり、フュマロリの解説によれば、そこでは創作と受容が同時に進行したのです。作品はまず朗読されなければならず、これを鑑賞し裁定するのは、そこにいる「パロール(語られる言葉)の美食家」たちでした。

いっぽうでロラン・バルトのいう「テクストの快楽」は、個室の読書人が書かれた文字にむきあって、これを黙読するという状況を想定しているのでしょうね。プルーストも、最終的には黙読の人。『失われた時を求めて』の語り手は、17世紀風の「会話」のユートピアにあこがれてヴェルデュラン夫人やゲルマント公爵夫人のサロンに出入りする。これが幻滅の経験となったことはいうまでもありません。

さて太陽王ルイ14世の時代、パリの文芸サロンで『赤頭巾』が読まれるところを思い描いてみましょう。ペロー版の結末は、思いのほか知られていないのですが───当時の「昔話」「民話」「妖精物語」などによくあるスタイルで───物語のあとに韻文の「教訓」がつづき、こんなふうに落着します。

赤頭巾ちゃんがかんぬきをぬくと扉があきました。狼は、赤頭巾ちゃんが入ってくるのを見ると、寝床の毛布の下にかくれていいました。
「そのパン入れの箱のうえに、ガレットと小さなバター壺をおいてから、こちらにきて一緒にお休み」
赤頭巾ちゃんは服をぬぐと、寝床に入ろうとしましたが、寝間着を着たお祖母さんの姿を見て、びっくりしました。そしてこういいました。
「お祖母ちゃん、なんて大きな腕をしているの!」
「それはねえ、おまえをもっとしっかり抱けるようにさ」
「お祖母ちゃん、なんて大きな脚をしているの!」
「それはねえ、おまえ、もっと速く走れるようにさ」
「お祖母ちゃん、なんて大きな耳をしているの!」
「それはねえ、おまえ、もっとよく聞こえるようにさ」
「お祖母ちゃん、なんて大きな目をしているの!」
「それはねえ、おまえ、もっとよく見えるようにさ」
「お祖母ちゃん、なんて大きな歯をしているの!」
「それはねえ、おまえを食べるためさ」
そういいながら、この悪い狼は赤頭巾ちゃんにとびかかり、食べてしまいました。

教訓
おわかりでしょう、小さな子どもたち
わけても若い娘さんたちよ
美しく、見目麗しく、可愛らしげな娘さんたちが
相手かまわず耳を貸すのは大まちがい
狼に食べられてしまう娘さんが、たんといるのも
そりゃ不思議でもなんでもないのです
ひとくちに狼といったって、狼にも
いろいろあるのだから
愛想がよくって、おとなしげ、意地わるでもなければ、怒りっぽくもない
人なつっこく、ちやほやしてくれて、もの柔らかで
うら若いお嬢さまたちの後をつけ
家の中まで、ベッドの脇までついてくる
さあ、これぞ一大事! どなたもご存じのはず、こんな見るからに優しげな狼こそが
あらゆる狼のなかで、いちばん危ないということを

なぜか赤頭巾が服をぬいだりして、しかも狼に食べられっぱなし。それだけでも、じゅうぶんに衝撃的かもしれませんけれど、つづく「教訓」では、森に出没する危険な獣が、いつのまにか「危ない男」にすりかわり、村の少女は「うら若いお嬢さまたち」jeunes demoisellesに変身してしまう。

民話研究者は、ペローの『昔話』が収集した原話をゆがめているとか、「教訓」は余計であるとか批判することが多いのですけれど、ペローはじっさい貴婦人たちの好みに合わせて「語り換え」をやっているのですから、そんなことは当たり前。文学作品が生まれる現場に思いを馳せながら、「教訓」のトーンや語彙の選択についても考えてみたいというのが、翻訳のねらいです。

やはり圧巻は、狼の本性をかくして紳士的なふりをした男が「ベッドの脇」ruelleまでつけてくる、というところでしょうね。手元にある複数の原典のなかに、こんな注をつけているものがありました───ruelleとは寝室の壁とベッドのあいだにある空間。17世紀においては、上流社会の女性は、ここに訪問者を招じ入れた。つまり、ご婦人が接客する「閨房」というわけ。「ベッドの脇」と控えめに訳しておけば「狼おじさま」が女性の寝室にまで忍びこむ、というイメージでおさまりますが……。

ペローと同時代のFuretière によるフランス語辞典でA4版の大きさのruelleの図版を見つけ、社交空間としての「閨房」のなんたるかがわかりました! 寝室というよりは宮殿の広間、その中心に台座に乗せた天蓋付きの寝台があり、しどけない服装で横たわる女主人と、頭髪を高く結い上げたご婦人ふたりが、なにやら熱心に語り合っている。背後の窓際にも対話する人影が。もっともこれは、スキュデリー嬢の長編小説の挿絵ですから、理想化されていることはたしか。辞書の文例から察するに、貴婦人の親密なスペースであるruelleにかよいつめるのは「粋な紳士」であることの証し。詩人も自作を披露するために参上するらしい。つまり文芸サロンの選りすぐりのメンバーだけが、館の女主人のruelleに出入りできるのですね。

あらためて『赤頭巾』にもどると、狼がruellesに忍びこむのは、もちろん前の行のdemoisellesと韻を踏むためでもあるのです。でも、やっぱり、物語の時空が、今、ここのruelleに合流し、素敵に危ない紳士たちと貴婦人たちとのConversationの愉しみが、幻のように浮上して幕……という仕掛けもあったのじゃないかなあ。

ちなみにフュマロリによれば、スキュデリー嬢や、さらに大物だったランブイエ侯爵夫人などの文芸サロンに受けいれられるのは、ルイ13世、14世時代の宮廷に参内を許されるよりもっと大変な「難関」だったのだそうです。

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