工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

マジメな話と恐い話

2011年 6月 4日

コレット『シェリ』を教材にした丸2日(午前10時から夕方の5時過ぎまで!)の面接授業が終わりました。シラバスに「学生へのメッセージ」という欄があって、そこに「男性の参加を歓迎」と書いたことが、どのぐらい功を奏したのかわかりませんけれど、おかげさまで、とてもいい感じの男女共学の教室になり、読書会形式のゼミは大いに盛りあがりました。これはマジメな話。なにしろ、わたしが仏文の学生だったころには、「女性作家でもやっていれば、女も可愛いげがあるけどさ」という雰囲気がなくはありませんでしたからね。裏を返せば、大の男が女の書いたものなど本気で読む必要はないという意味でしょう?

「プルーストが女にわかるはずないよな、なにしろ男だし、それに同性愛だぜ」としたり顔にのたまう男子学生たちに「なに言ってんのよ、プルーストは屹立した父権的男性性から排除されたマージナルな性を代弁しているんです。あんたたちのようなマッチョに、なにがわかるもんですか!」と啖呵を切る度胸などは、はい、わたくしには到底ございませんでしたけれど。女は可愛らしく別室で「女もの」の研究をやっていればよい、と大学が考えた時代、社会も同じようなことを考えたとしても不思議ではありません。

話は変わりますが、これもマジメな話。5月19日のasahi comより――国際通貨基金(IMF)トップのストロスカーン専務理事が18日、辞任を申し出た。 滞在先のニューヨーク市で、性的暴行容疑で逮捕され、収監されており、職務続行はできないと判断したものとみられる。

なにしろ原発も、東北も、中東も気になりますから、こんなことまで熱心にフォローする余裕はないのですけれど、それにしても、フランス人の60パーセントぐらいは、「陰謀説」にかたむいているとのこと。わからぬでもありません。ニューヨークの空港での「逮捕劇」は、「推定無罪」どころか、まるでメディアを意識した「現行犯逮捕」のようでした。そもそも大統領候補になるほどの野心家が、物陰にひそむ性犯罪者のような行動をとる? 女好きというのは、女の扱い方を知っているということでしょ? といった論調もある。

プロテスタント系の英語圏とカトリック系のフランスのジェンダー構造のちがいが、こんなところで、またしても噴出している光景は、それなりに興味深いものがあります。もともと女性の社会進出について、フランスが大きく遅れをとっていることは、女性参政権の実現した年がアメリカは1920年、イギリスは1928年、フランスは日本と同じ1945年という比較をしただけでもわかる。その一方でフランスは、アングロサクソン系の青臭いセクハラ論争を冷ややかに眺め、これに対してアングロサクソン系は、フランス人を性道徳の堕落した国民と決めつける。こうした相違は、クリントン元大統領の女性スキャンダル、ミッテラン元大統領の私生活暴露、さらに昔の映画監督ポランスキーのアメリカ脱出など、ゴシップがらみの事件があるたびに、いささか低俗なトーンで話題にされますが、じつはマジメに研究すれば、しっかりしたジェンダー論が立ち上がるはず。

フランス語に「ジェンダー」genreや「ハラスメント」harcèlementという語彙が馴染みにくかったのは、概念そのものが土着的な思考の内部から発生したのではないから、つまり接ぎ木のように移植しなければならなかったから、という説明ができそうです。ニューヨークでのスキャンダルに相関するかのように、フランス政府の閣僚がひとり、絵に描いたようなセクハラ疑惑であっさり辞任しましたが、これも、なんだか不自然。自浄作用を演出するための寸劇のようでした。

それはとにかく、性差別の克服という課題となると、先進国のなかの劣等生のように言われるフランスが、わたしたちの目には、どれほど「先進的」で羨ましく感じられることか! 

思いだすのはまたもや68年の5月。わたしが住んでいた保守的な地方都市ボルドーにおいても、学生運動の発端となったのは、父権的な家族制度とségrégation sexuelleへの異議申し立ての行為でした。わかりやすく言えば「男子寮と女子寮の壁をとりはらえ!」という掛け声がまたたくまに実行されて、大学当局が手をこまねいているあいだに、郊外の巨大な学生寮が雑居住宅になってしまった。まさにポストモダンの祝祭でした。

ちなみにségrégationは「分離」「隔離」「差別」などと訳しますが、「人種」や「民族」や「宗教」や「性」や「身体的条件」などを根拠にした特定の社会集団あるいは弱者に対する排除の運動を、横並びに共通の尺度で検討できる。その意味で社会学の分析概念として値打ちがあります。

ségrégation sexuelleに抵抗した、わたしと同世代のフランスの女性たちは、60年代に解禁されたピル(経口避妊薬)、そして74年のヴェイユ法(堕胎罪の廃止)により、自由意志による妊娠という権利を手に入れた。とりわけ99年は画期的な年。PACS(連帯民事協約)が同性愛や同居カップルに法的権利を保障して、さらにパリテ法が成立し、政策決定の場の男女不均衡を解消するためのクオータ制が導入されました。その後、社会保障や労働条件も改善されており、たとえば出生率の推移を見ると――日本でようやく上向きになったという今年の数値が1.39であるのに対し――フランスは2.00まで回復しています。つまり、あの時の「お祭り騒ぎ」はたんなる「空騒ぎ」ではかったのですねえ!

恐いのは、あらゆる場面で「男もの」と「女もの」を分けようとするségrégationの思想です。日本では68年の若者の運動も早々に終結し、経済の低迷した70年代から80年代後半になり、思いがけぬバブリーな時代がおとずれる。そして「産学協同フンサーイ(粉砕)!」と叫んだ記憶も、ヒッピーもビートルズも、要するに青春の夢をきれいさっぱり捨て去った中堅の世代が、政治も官僚も企業も純粋に「男もの」という恐るべき日本国を建設することになりました。その副産物として――男女雇用機会均等法にもかかわらず、世界の潮流に逆らって――女は「可愛い人種」に分別されたまま長らくそこにとめおかれます。

ところで「男一色」の世界が危険なのは、人生観も顔つきも、それこそ目線からしゃべり方まで、よく似た者どうしが身をよせあって、暗黙の合意がおのずと醸成される均質で隠蔽体質の集団となり、いつのまにか国民の運命を左右する巨大な権力装置と化してしまうからであります。

「アリバイの女」という言葉、今や死語となってしまったようですが、ご存じですか? 「いくらなんでも見苦しいから一人は女を入れようよ」という組織の判断にしたがって、男の世界に入ることになった最初の女を、昔はこう呼びました。大きな会議場で、みんなが勝手に雑用をやってざわめいているときに、なにかのめぐり合わせで女性が発言すると、みながぎょっとしたように押し黙る。そんな時代です。

ふり返ってみれば、たいしたことは出来なかった、と感じています。でも、異物として居つづけたこと、否応なく異分子でありつづけたことに、なにがしかの意味はあったでしょう。そう、ともに企画を立て、ともに苦労した同僚たちは、ちょっとずれた視点からものを見て、ちがう声音で考えを述べる人間が、いつも組織のなかにいることを、自然な風景として受けいれてくれましたもの。

今だから言っちゃいますけどね、「男もの」を死守する男ってものは、組織の責任の一翼をになう人間が、しごくまっとうなイニシアティヴを発揮しただけなのに、当事者が女であることに気づくと逆上する、それこそなぜ自分が怒っているかもわからぬほどに、自制心を失い、怒り狂います。

本当に恐い話はこれ。つまり個人の主体的な判断を窒息させる「均質な村社会」の暴力ですね。今さら言っても詮無いことですが、やはり考えてしまいます、かりに日本で「政策決定の場の男女不均衡」を是正するためのパリテ法が施行されていたら、子どもたちのために未来のリスクを考えようという声が、国政にもとどいていたのではないか、と。国会と官庁と東電の幹部に、夢のような話ではあるけれど、かりに3割の聡明な女性がいたとしたら……。

権力の中枢は世代交代すべきです! 若い人たち、自分の出番とこころえ頑張ってくださいね。わたしもまだしばらくは、この恥ずかしいほど男社会であるところの日本の社会の端っこで、静かに学びつづけたい、ボケと闘いながら「女もの」として片づけられない本を書いてみたいなあ、と思っています。
bles-bleus1

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