工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

文学を彷徨させる?

2011年 7月 8日

昨年の春に放送大学の世田谷学習センターの客員教授になり、最初に考えた企画がフランス語講読ゼミ、つぎに作品を声に出して読むという方式の公開ゼミでした。5月には管啓次郎さんの『斜線の旅』を紹介する小さなイヴェントをやって、次回はホンモノに来ていただきましょうね、と皆さんに約束したのでした。

それから、いろんなことがあって、管さんは『斜線の旅』で読売文学賞を受賞して、お忙しいでしょうけど、春にはかならずセンターに来てくださいね、などといっているうちに、あの大震災。チャリティー出版企画というのをただちに立ちあげたのは、さすがです。タイトルは『ろうそくの炎がささやく言葉』──管啓次郎さんと、同時に受賞なさった野崎歓さんとの共編です。

被災地への思いと言葉をつむぎだす者たちの控えめな矜恃とが一体になった、美しい本ができるだろうと心待ちにしています。8月の刊行後も、朗読会の催しなどが各地でつづけられるとのこと。企画の全体が、ろうそくの炎のように優しく洗練されたデザイン性につらぬかれていることは、以下のサイトで、じっくりとたしかめてください。
http://lemurmuredesbougies.tumblr.com/

そんな経緯もあって、今年は世田谷学習センターの「ふれあい公開講座」の枠組で、その通称「ろうそく本」の出版企画によりそうような構想を立ててみました。


(クリックするとチラシをダウンロードできます)

前半のトークセッションでは、管啓次郎さんと旦敬介さんが、わたしのお客さま。後半は『ろうそくの炎がささやく言葉』の朗読セッション、そして歓談のひととき、という配分です。

まずはなぜ、管啓次郎さんと旦敬介さんか、というきわめて重要なポイントをご説明いたしましょう。ロートレアモンとランボーかな。これは褒めすぎ? だったら不良少年? 古い? それに失礼かな。それじゃ家出少年……。気がついたら功成り名を遂げてお腹の出た中年になっていた、などというヤワな方たちではありませんよ。

昨年の公開ゼミで読んだ管さんの『斜線の旅』の巻頭エッセイは、こんな文章でしめくくられています──いままさに落ちようとする太陽をイグアナのようにありのままに見つめながら「ここがフィジー、」とつぶやいて、ぼくの旅にはまたひとつの読点が打たれたのだった。

旦さんが昨年の暮れに出版した『ライティング・マシーン──ウィリアム・S・バロウズ』は、こんなふうにはじまります──ナイロビに住んでいたとき、一週間ほどザンジバルに行って帰ってくると、アパートが荒らされていて金目のものが全部盗まれていた。

ね、ふたりとも、ホンモノの旅人でしょう? それで、公開講座のことをお願いして、タイトルはどうしましょう、とご相談したら「文学を放浪させる」というご提案があり、でも、じつは「ふれあい講座」は地元の町内会の方たちもお誘いするの、とにかく目立つ地名を三つならべて「放浪させる」という話は副題にしてくださいな、ということで、こんなかたちになりました。

ところが、説明文を書いているときに、「放浪させる」を「彷徨させる」と書きまちがえました。管さんが気づいてくださって、あ、そうか、と思ったのですけれど、言いまちがいには、無意識の動機があるって精神分析でいうではありませんか。わたしはどうやら「彷徨」のほうが好きらしい。なにしろ、すごい方向音痴で体力もないから「放浪」の旅に出るのは正直ちょっと恐いし。さて、ここからは先回につづきマジメな話。

戦後日本の知識人エリートにとってフランスの思想や文学は、新しい世界を牽引するアポロンの馬車のように見えていたのかもしれません。わたし自身も森有正の『遙かなるノートル・ダム』などを読みながら、いずれ「花のパリ」に留学する日を夢見ていた世代です。それほどに学問は「本場」をめざしており、辺境あるいは裾野からエッフェル塔の頂点へと上昇してゆくヒエラルキー構造がありました。

ところが、あるとき気がついたら、世界はフラットだった、いえ、そのように見えてしまった──それはやはり、年齢や世代の差というだけでなく、あたらしい感性を信じ、未知の世界にむけて自分をひらいてゆく度胸があったということでしょうね。管さんも旦さんも「文明のヨーロッパ」などには目もくれず、地球の反対側へ、地平線の彼方へと、すたすたと歩いていってしまったのです。

夕暮れ時、荒涼とした丘のはるかな稜線に影絵のように浮かぶ管さんの小さなシルエット、巨大なリュックをしょって、朝日が矢のように射しこむ密林の奥に消えてゆく旦さんの後ろ姿……わたしの空想ですけれど。

1980年代、学問の世界でもグローバル化は着実にすすみ、東京大学の教養学科に「中南米科」が創設されました。あの当時、ボルヘスやバルガス=リョサなどは、篠田一士のような重鎮によってヨーロッパ経由で輸入されたものでした。ところが若者たちは、ためらいもせず現地に直行した。ラテンアメリカ文学にかぎらず、アジアやアフリカ研究も、欧米の旧宗主国の由緒ある大学や研究機関に詣でることにはあまり熱意を見せなくなった、そして、まっしぐらに現地に行って生身の出会いを求めるようになりました。これはやはり素晴らしいことだと思う。きっと新鮮な経験だったでしょうね。

わたし自身はいろいろな事情がありまして、さあ、このまえJRに乗ったのはいつだったかしら、という生活をしております。過去においても自宅と職場を往復する生活は大差なし。でも、よくいわれるように「文学」はどこにでも行けるヴァーチャルな旅のようなものですからね。地球上の島や大陸や大洋や、あるいは17世紀フランスの文芸サロンや、あるいは女性の目で見た今日のアルジェリア……どんな時空にも、思う存分、彷徨うことができる!

ちなみに若手研究者には、闘う武器を身につけるつもりで一度はヒエラルキーの学問の手法をしっかり習得してほしいと思います。でも、先行論文に仁義を切っていたら、目標のページ数の半分以上が埋まってしまった博論などというのは、どこか寂しい。たしかに人文学には長くゆたかな蓄積がある。それだけに天空にそびえる雄峰のように登坂する意欲を誘うのでしょうけれど、学問が構築されすぎて、塔か砦のようになってしまったら、裾野や周辺とのコミュニケーションが断たれてしまうのです。

で、話はもどりますが、わたしは引退した人間の気楽さで、裾野や周辺を散策しようと思っています。たまたまテレビで北野武が、お笑い芸人は寝ても覚めても食べているときも24時間お笑いのことを考えていなくちゃいけない、といってましたけど、わたしも24時間文学のことを考える生活をやってみたい、そう夢見ているわけです。朝はっと目が覚めてまっ先に思いだすのが、会議や書類や人事のこと、などという野暮はなくなりました、おかげさまで……。

8月は、サイトの更新をお休みにします。
さまざまの想いが去来する夏、どうぞお健やかにお過ごしください。

「ふれあい公開講座」のチラシは、このサイトを管理してくださっている大洞敦史さんにお願いしました。美しい写真3枚は、管啓次郎さんに提供していただいたもの。どうぞクリックして鑑賞してください。

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