工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

ろうそくの炎と何かのはじまりについて

2011年 9月 2日

『ろうそくの炎がささやく言葉』──美しい本ができました。編者は管啓次郎さんと野崎歓さん。海外の作品もふくめ、詩や小説、エッセイなど、いずれも10分以内で読める短篇をあつめたアンソロジー。寄稿したのは31名ですが、表紙の銀盤写真を提供してくださった新井卓さん、ブックデザインの岡澤理奈さんもふくめると、ちょうど33名。偶然とは思えぬ数字です*。

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楽しげに、にこやかに、そしてしっかりと、これだけの陣容を操ってくださった勁草書房の女性編集者に心からの敬意をおくりましょう。だって、かりに大学人の業界でシンポジウムをやって、なかには気乗りのしない先生もいるのに、とにかく33本の原稿をあつめようと思ったら、いったい何年かかると思います? あ、「女性編集者」は差別的といわれるかもしれないけど、それとなく、男じゃ無理だろう、といいたいわけです。

この出版は東日本大震災の復興支援チャリティをかねています。でも、それだけの動機で、すらすらと原稿が書けるはずはない。あの日以来、ひとりひとりが、それぞれの持ち場で絶句して、頭のなかが空っぽになり、ひと月、ふた月とつづく灰色の不安のなかで、この先何を書けばいいのだろう、でも日々を生きていかなければならない自分に、書くこと以外、いったい何ができるだろう、と自問自答していたのです。

この書物に何か特別のものがあるとしたら、言葉に祈りがこめられている、ということではないでしょうか。そこには被災者という特定の集団にむけた同情や共感をつつみこむ、もっと漠然とした感情がある。とても切実だけれど、どこかおぼつかぬ、祈念のようなものがある。人間にとって言葉は命の水のようなものでしょう。わたしたちはそれを信じています、そして泉から汲んだこれらの言葉たちを、目には見えない相手にむけて差しだそうとしています。

そして33名のコラボレーションにも特別のものがある。いえ、それが特別のものになるように、今こそ、何かをはじめましょう──核になる方々は、そう考えておられるにちがいない。その意気込みに感動しています。一冊の書物が刊行されて、書店から書斎に直行する、というだけの時代ではないのです。朗読会、書店やほかの出版社もまきこんだブックフェア、プロモーション・ビデオなど、いろいろな企画がつぎつぎに生まれ、ウェブ上でも谺のように反響が広がっているようです。ここで8月21日の青山ブックセンターでの催しについて、一参加者として感想を。

執筆者の身体が目の前にあり、その肉声によって言葉がとどけられるというのは、まちがいなく刺激的な経験でしょう。会場を暗くしてスポットライトとろうそくの灯火だけにしたのもよかった。聴く人と語る人が静かに向き合えるような気がします。でも、この企画の醍醐味は、やはり、いろいろな朗読がある、ということなのですね。

詩人や作家が書斎で自分の作品を読みなおし、声に出して推敲している現場を、そっと覗き見してしまったような満足を、ひそかにおぼえた方がいるかもしれません。聴衆のまえで自作を読むことを、率直に楽しんでいる執筆者もおられました。これは会場につどう人たちが自然に分かちあえる健康的な感情です。執筆者のなかには、バンドや朗読活動や執筆などをくみあわせ、独自の芸術活動をしている方もいるとのこと。ほかの作家の作品とみずからの文章をミックスして爆発させる言葉のパフォーマンスもありました。意味を破壊することは、あらたな創造だという強烈なメッセージ。いずれの場合も、声や呟きや叫びが発されて、そこに聴き手がいるからこそ立ちあがる文学の現場、出来事としての文学といえましょう。

それで、わたしは? わたしは詩人でも作家でもないし、もともと人前で何かをやりたいという人間ではありません。でも、放送大学で音声と文学のことは、いろいろと考えました。シロウトなりに狙っている線は、幼い息子にジョルジュ・サンドを読み聞かせるプルーストのお母さん。ささやかながら取り柄があるとすれば、作品世界を知りぬいていること、そして心をこめて言葉をとどけようとすることかな。

それにフランスの朗読文化については、ちょっとしたCDコレクターですからね、その話をしましょう。ジャック・デリダのFeu la cendre**──まず著者のイントロがあって、書物とは異なるscénographie sonore(音声の舞台装置)の構想が語られる。ややこしい話はともかく、要は書かれたテクストを読むという通常の朗読とはちがう声のいとなみなのですけれど、キャロル・ブーケの深い声、ちょっと一本調子で真正面を向いたような声が、とてもいい。ひとつひとつの言葉が、身体の奥から発されていて。さすが哲学を学んだという女優、きっとデリダへの共感が並のものではないのでしょう。1987年の収録とありますから、書物の出版と同時。デリダの声はもちろんのこと、ブリッジにおかれた不思議な人声のような音響効果をふくめ、じつにしっくりと全体が調和しています。

もう一つはジャック・アタリのアンソロジー。25 の断章からなる5枚組CDで、じつは「アタリ、ハヤワカリ」みたいな安易な気持で入手したのですが、小説の抜粋がたくさん入っているのが、ふーん、という感じで新鮮でした。このCDにも著者自身の朗読がふくまれていて、アタリにせよ、デリダにせよ、声に出して読むという行為を創造的な活動の一部と考えている。日本では、朗読はアナウンサーや声優におまかせ、というところが未だにあるようで残念ですけれど。アタリのCDの最後のトラックに、音声アンソロジーを作成したことの感想を聞くインタビューが入っているのですが、そこでアタリは、とにかくメディア環境も変わったのだし、書物を読むことに困難をおぼえる人たちのためにも、これは本当にいいと思う、それにもともと聴き手のいるところで声によって物語ることは、書物を書くことに先行するいとなみだった、と答えています。

朗読のプロフェッショナルかアマチュアかは問わぬことにして、書物と声と、そして光や音響や音楽を組みあわせ、いろいろなことをやってみましょう。たいていの本好きは、最終的には静かな書斎の読書をえらぶでしょうけれど、でも書物が人の出会いをつくるというアイデアには──さまざまの意味で共同体が失われている時代だからこそ──大きな魅力がありますよね。

放送大学の学生さんにも、朗読をやっているという人たちはすくなからずいるようなので、仲間であつまったときに、かわるがわる『ろうそくの炎がささやく言葉』の短篇をえらんで読んでみない? と勧めています。もうひとつ、冗談ではなくて、こんなアイデアはいかがでしょう。仲間うちの朗読会に、カラオケの個室をつかう。音楽をBGMにするわけ……。教材制作でやってみたのですが、この朗読のバックにどんな音楽を流したらいいかな、と考えるのは、とても面白いですよ。ある種の作品解釈ですし。

『ろうそくの炎がささやく言葉』については10月8日(土)の「ふれあい講座」がわたしにとってのメイン・イヴェント。放送大学の学習センターって、どんなところ? とお思いの方、どうぞ気楽にお越しください。それとは別に、管啓次郎さんに誘われて──JRにも乗らない人が飛行機に乗って──はるばる高知に行ってきます! 日程は9月17日(土)で、ご案内はこちら

* 思いきり俗っぽい注をつけるなら、イエス・キリストの寿命、シャルル・フーリエの『四運動の理論』、ベートーヴェンの『ディアベリ変奏曲』、フローベール『ブヴァールとペキュシェ』の幕開けの路上の気温、そしてチリの落盤事故……。

** 書物は男女のディアローグではなく、デリダの過去の著作の引用をふくめ、複数の声部が左右のページに配されている(ジャック・デリダ『火ここになき灰』梅木達郎訳、松籟社、2003年)。

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