工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

世界のなかの歴史

2011年 12月 12日

「歴史には力がある。現実を変える力がある。人々に未来を指し示す力がある」という高らかな宣言からはじまる『新しい世界史へ――地球市民のための構想』(羽田正著、岩波新書、2011年)はポレミックな書物です。なるほどそういわれてみると、今日でさえ、世界は異なる歴史をもつ複数の地域や文化圏からなり、そのなかでヨーロッパ文明は他より優位にある、という暗黙の大前提が存在するようです。でも、それがまさに「歴史的な事実」じゃないの? と問われて、ただちに論駁することは、そう簡単ではありません。

第一章は「世界史の歴史をたどる」――日本の高校の教科書から始めて、戦前の歴史認識と戦後の世界観の変容を概観し、さらにフランスや中国など諸外国の歴史教科書まで分析しながら、それぞれの歴史観がどれほどに大きなズレや偏差をともなって構造化されているかを浮上させること。ひと言でいえば、これが著者の戦略なのですが、たしかに戦前の「国史」「東洋史」「西洋史」の三本立ても、今日の「日本史」「世界史」という二分割も、内容の分布をふくめ日本固有のものにすぎません。その一方で、フランスの「世界史」は実質的には「ヨーロッパ史」であってアジアなど存在しないかのようであり、さらに「中国史」と「世界史」に分断して後者には自国と無縁な事象のみを投入したらしい中国方式も、たとえば微妙な国内問題でもあるイスラームが世界の動きから排除され、ついでに宗教的なものすべてが抹消されているように見えるのです。

ところで「イスラーム世界」という大きな枠組を設定し、これを歴史的な「実体」とみなして内部に地域や文化圏を線引きし、それぞれ時系列に沿って叙述すればよいという方法論に対して、以前に羽田さんは異議を唱えたのでした。『イスラーム世界の創造』(東京大学出版会、2005年)もまた、先鋭な問題提起の書でありました。じっさいに何を根拠として宗教の名のもとに検討対象を切り出すことができるのか。「イスラーム世界」とは信仰を分かちあう人間集団なのか、支配者がイスラームであった過去の王朝か、あるいは国内に多数のムスリムを擁する現代の国家なのか……と問われただけで、読者ははたと困惑し、それから知的な興奮をおぼえることでしょう。

『新しい世界史へ』の第二章は「いまの世界史のどこが問題なのか?」と題されており、著者の批判は「イスラーム世界」の例にもあるように、特定の人間集団や空間をあらかじめ隈取りし、他の人間集団や空間との相違や区別を強調するという姿勢に向けられます。そもそも近代の歴史学は19世紀ヨーロッパで生みだされたものであり、国境で囲まれたネイションの内部に均質な「アイデンティティ」を構築することを目標とする営みだったのです。したがって、この「問題」は歴史学の伝統に内在する特質でもあった。いいかえれば、この批判には応えるためには、歴史叙述の方法論的な刷新という壮大な目論見を掲げなければなりません。

つぎに批判の対象となるのは「ヨーロッパ中心史観」であり、これこそ「現行世界史最大の欠点」であるとのこと。じじつ「西洋史」と呼ばれるものの根底には、西北ヨーロッパ諸国の進歩と成功の物語として時の流れを展望するという視座が、しっかり組みこまれています。それなのに――ヨーロッパの人間がヨーロッパを中心に世界を見るのならいざしらず――「非ヨーロッパ」の片隅に置かれた日本人が、それに追随するとは何ごとか、というわけです。

こうなると尊敬する羽田さんの颯爽たる論告に、つたない応答をしないわけにはゆきません。なにしろヨーロッパ中心主義のそのまた中心を担うと自負してきた19世紀フランスこそが――羽田さんもおっしゃるように、この時期、ブリテン諸島とスペインには、あまり「ヨーロッパ意識」はなかったと思いますが、それはとにかく――つまり、いってみれば、よりによって「諸悪の根源」みたいな時空が、わたしの「専門」なのですから。

ひとまず『新しい世界史へ』の全体像を紹介しておきましょう。第三章「新しい世界史への道」、第四章「新しい世界史の構想」というのが後半です。ここでは特定の視座を中心に据えて周縁を見わたす歴史叙述、その逆に周縁から中心を批判的に捉えるという歴史叙述が、両者とも限界を抱えたものとして排除されています。そして相違ではなく関係性や相関性を重んじて、共同研究を推進し、文字どおり地球的なスケールの「新しい世界史」を編纂しようという展望が語られます。

現在も東京大学東洋文化研究所所長として重責を担っておられる羽田さんの学問的マニフェストは、ここでちょっと棚上げにして、ようやく軌道にのったささやかな翻訳の企画を話題にさせていただきます。書物の仮タイトルは『国民アイデンティティの創造』(Anne-Marie Thiesse, La création des identités nationales, Points Histoire, 2001)――そう、あの進歩主義的な「ナショナル・ヒストリー」が立ちあげられた時期のヨーロッパに照準が定められている。ただし「創造」という言葉には、羽田さんの『イスラーム世界の創造』に呼応する批判的な意味がこめられているということを、まずはいいそえておきましょう。

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著者アンヌ=マリ・ティエスは文化史の専門家ですが、民族学への周到な目配りと、ゆたかな文学的知識を土台とし「アイデンティティ」と呼ばれるものが立ちあげられるプロセスを検討してゆきます。諸国民のアイデンティティとは、それぞれネイションの統一的な個性と個別性にほかならない。これがほかのネイションとの「相違」という角度から記述され、反芻されることにより、あっというまに「実体化」されてしまうというのです。

歴史認識という意味で、著者に共感をおぼえる理由は多々ありますけれど、本日は頭出しのつもりで、ひと言だけ。まずはフランス中心主義を相対化する視点について。一例を挙げれば、いささか意表をつく幕開けですが、冒頭で話題になるのは、フランス革命でもスタール夫人でもなくて、17世紀の後半、スコットランドで『オシアン』の叙事詩を「発見」したとして大評判になったマクファーソン。昔話を伝える「民衆」は「ネイションの精髄」を純粋に受けつぐ「生きた化石のようなもの」という主張がありました。これがグリム兄弟により民話や伝承の学問的な研究として定式化され、ついで北欧や東ヨーロッパの人びとが、グリム兄弟を師とみなして参照し、それぞれの国民の「祖先探し」に邁進したのでした。以上は「ナショナル・ヒストリー」に先立つものとして、「建国神話」を創造しなければならなかったという話。

「国民アイデンティティの創造」に貢献したのは、「国民文学」と「ナショナル・ヒストリー」だけではない、という実感がわいてきます。それぞれの「国語」の創造にも、じつは多種多様なプロセスがあり、言語と言語の、あるいは言語と国民の相関的な見取り図を作成しなければ実態は見えてこない。それにまた、民族衣装から郷土料理、観光旅行まで、サブカルチャーの迫力を考慮に入れなければ「アイデンティティ」は語れない。というわけで、身近な話題も縦横にもりこんだ軽妙な語り口の歴史研究なのですが、要するに英独仏の国境に仕切られた大学の学問の枠組をぐらつかせるところが、いいでしょう? 

羽田さんとアンヌ=マリ・ティエスは、一見したところ正反対の立ち位置とみなされそうですけれど、じつはそんなことはない、といいたいわけなのです。「三つの方法」として羽田さんが掲げる提案は、①世界の見取り図を描く ②時系列にこだわらない ③横につなぐ歴史を意識する、というものです。これに対して『国民アイデンティティの創造』の場合、「見取り図」の範囲は空間的にも時間的にも限られていますけれど――誠実で有能な研究者であれば、責任をもって発言できる範囲は限られていると自覚していますから――その一点をのぞけば、すくなくとも叙述の手法としては、羽田さんの「世界史」構想と矛盾しないと思われたのでした。

「ヨーロッパ中心史観」を克服したかったら「非ヨーロッパ」と「イスラーム」の本を出版すればよい、そして今後は「ヨーロッパ史」を読まないことにすればよい、などという素朴な話ではないのです。国民を統一的な「アイデンティティ」により定義するという近代以降の政治の手法が、移民を抱えた今日のヨーロッパにおいて軋轢の原因となっていることはたしかなのですが、だからといって「アイデンティティ」の話はするな、というのも全く愚かなこと。むしろ批判的に歴史を読むことを、わたしたちは謙虚に学ばなければなりません。その手本や先例が、当事者であるヨーロッパの歴史家の仕事のなかに見つかることは、当然のことながら、大いにありうるのです。

「ヨーロッパ」概念の形成過程を明らかにすることは、きわめて重要である、という羽田さんの言葉に励まされ、その辺りのことをすこしずつ勉強し、いろいろなかたちで紹介してゆきたいと考えています。いずれ世界のなかに新鮮な歴史の見取り図が、多元的かつ重層的に描かれるようになることを期待しつつ。

***

最後に朗読会のイヴェント情報を3件。東日本大震災の復興支援チャリティ『ろうそくの炎がささやく言葉』が作家や詩人や翻訳者のネットワークの起点となりました。

Ⅰ まず東京では、クリスマス・イヴにふさわしい贅沢な催し。音声としての言葉を造形するアーティスト、古川さんが呼吸の合ったミュージシャンと共演するという企画。管さんの心に染みる肉声は、ご一緒するたびに、いいなあ、と思います。

古川日出男+管啓次郎、「春と修羅」「銀河鉄道」をよむ
http://lemurmuredesbougies.tumblr.com/post/12958180510/12-24-saravah
■日時:12月24日(土)13時開演(12時開場)
■場所:Saravah東京
    http://www.saravah.jp/tokyo/access.php

Ⅱ 以下は目前になってしまいたが、わたしも参加するイヴェントで、こちらは『ろうそくの炎がささやく言葉』が中心の朗読会。12月17日(土)の大阪と12月18日(日)の京都。関西は本当に久しぶりですが、放送大学の学生さん、気がついてくれないかな。いずれも朗読者多数。いろいろな読み方がある、と実感するのも面白いでしょう。

●概要
■日時:12月17日(土)17時~(開場16時30分~)
■会場:主水書房
    http://www.mondebooks.com/monde_map.html
■出演者:新井卓(写真家)、岡澤理奈(インタフェースデザイナー、装幀家)、片桐功敦(華道家)、工藤庸子(東京大学名誉教授、フランス文学)、鞍田崇(哲学者、総合地球環境学研究所特任准教授)、佐々木愛(画家)、管啓次郎(詩人、明治大学教授、コンテンツ批評)、田内志文(文筆家、翻訳家)、津田直(写真家)、橋本雅也(彫刻家)、服部滋樹(デザイナー、graf代表、 京都造形芸術大学教授)、細見和之(詩人、大阪府立大学教授、ドイツ思想)

■定員:50名(要予約*当日参加でも構いませんが予約の方を優先致します。)
■予約窓口 info@mondebooks.com
■参加費:無料
■お問い合わせ先:主水書房 大阪府堺市堺区陵西通2-15
tel/fax: 072-227-7980 info@mondebooks.com

●概要
■日時:12月18日(日)17時~(開場16時30分~)
■会場:MEDIA SHOP(京都市中京区河原町三条下る一筋目東入る大黒町44VOXビル1F)
    http://www.media-shop.co.jp/
■出演者:岡澤理奈(インタフェースデザイナー、装幀家)、工藤庸子(東京大学名誉教授、フランス文学)、佐々木愛(画家)、管啓次郎(詩人、明治大学教授、コンテンツ批評)、田内志文(文筆家、翻訳家)、細見和之(詩人、大阪府立大学教授、ドイツ思想)、山崎佳代子(詩人、翻訳家)
■定員:50名(事前お申込み不要、当日先着順)
■参加費:無料
■お問い合わせ先:MEDIA SHOP  TEL:075-255-0783 FAX:075-255-1592

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Photo by Yoko Ikeda

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