工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

姦通小説論とジェンダー法学

2012年 2月 13日

〈それ以来、人の言葉のなかには、わけても美しい言葉があるとぼくには思われるようになった――「姦通」adultèreという言葉。えもいわれぬ甘美なものが、そのうえにふんわりと漂っている〉 

フローベールが二十歳のころに書いた小品『十一月』からの引用です。そういわれれば『ボヴァリー夫人』も『感情教育』も、じつは「姦通小説」なんですね。ずっと「恋愛小説」ということにしていたけれど、前言撤回です。バルザックの『谷間の百合』も、スタンダールの『赤と黒』も、メインテーマは青年と人妻の恋。でも、なぜ? フランスの若者は年上の女が好きなんでしょうね、本人が歳をとったら、若い女が好きなる、なんて、説明にもならない解説でオトコたちを喜ばせたりはいたしません。

民法と関係があると考えています。そう、1804年に制定された、いわゆる「ナポレオン法典」のことですが、ここで父権的な近代家族のモデルが立ちあがった。そして19世紀フランスにおける「姦通」とは、この家父長的な秩序に対する違反を指すのです。フランスで「民事婚」が認められたのは、大革命の混乱期、1791年のこと。さらに1792年、国の行政が住民の戸籍を管理することになり、はじめて婚姻の制度的な民事化が実現します。ご存じのようにアンシャン・レジームにおいては、人間の誕生と結婚と死が、カトリック教会によって管理されていた。単純化すれば「宗教婚」の社会で問われるのは「神の掟」が定義する「姦淫」の行為であるはずです。

先回のエッセイのつづきですが、まずナポレオンの民法典が法文化した「父権・夫権」がいかに強力なものか、ジャン=ルイ・アルペランの小冊子『コード・シヴィル(=民法典)』により一通り見ておきます。革命によって結婚という制度の「尊厳」が失われたことに対する反省として、民法典はA「もっとも神聖なアンガージュマン」としての結婚、B夫婦関係における男性の優位、C 厳しい条件のもとで許容される離婚、という三つ柱を立てたのだそうです。以下、ノート風に。

結婚には年齢制限があり父親の許可が必要とされる。「民事婚」は、身分吏立ち会いのもとでおこなわれる。結婚の「無効」を裁判で争うことができる。これが基本原則で、男女の不平等と女性の「無能力化」については以下の点を指摘しておけば、とりあえず充分でしょう。「夫は妻を保護し、妻は夫に従う義務を負う」(213条)。妻は訴訟能力がないものとされ(215条)、夫の協力または書面による同意なしには、財産の贈与、譲渡、抵当権の設定、無償または有償での取得の行為をすることもできない(217条)。結婚生活という個人のいとなみが家父長の監督のもとにあり、家庭の全体に国家が監督の目を光らせているという構図です。

委員会のなかでもっとも議論が沸騰したテーマは「離婚」だったとか。結果として採択された法文は――夫は姦通を理由に妻に離婚を求めることができる(229条)。妻も夫に離婚を求めることができるが、これには「愛人を夫婦の住居に住まわせた場合には」という条件がついている(230条)。つまり夫の家庭外での愛人関係については離婚の事由とすることはできない。さらに妻の不貞行為は3カ月から2年の禁固刑に処されるものとされた(298条)。ちなみに夫は有罪となっても罰金で済む。

まだありますよ。夫が妻の姦通現場において妻および相手の男性を殺害した場合には宥恕されるが、逆のケースで妻が殺人を犯した場合は宥恕の対象とならない(324条)。この恐るべき女性差別を議論の土台としなければ、19世紀フランスにおける「姦通の社会学」を構築することはできないと思っているわけです。ちなみに離婚制度は、王政復古期の1816年に廃止され、第三共和制になってようやく1884年に復活されるのですが、ただし1810年の刑法における姦通罪は、このときにも廃止されなかった……。

だんだん腹が立ってきません? でも、明治期の日本の民法はより進歩的だったわけではありませんし、話は飛躍しますけれど、アメリカ大統領の選挙戦で保守派が掲げている家族像というのは、産児制限や同性愛をめぐる禁忌をふくめ、19世紀に欧米の市民社会が構築した家父長的な価値観への回帰を意味していると思いますよ。

それで、もう一度、話を飛躍させて、革命期に、結婚という制度の「尊厳」が失われた、というアルペランの指摘に立ち返ります。ここが先回の話題に直結するわけですが、フランスの女性歴史家モナ・オズーフとアメリカのフェミニスト、ジョーン・スコットの論争の焦点です。ロベール・バダンテールが民法制定二百周年に書きおろした一般向きの手軽な本を参照。 « Le plus grand bien …» というお洒落なタイトルは、訳せば「もっとも大きな賜物…」というところかな。ナポレオン法典制定の最大の功労者ポルタリスが民法を人類の遺産と称えた演説からの引用です。ふたたびノート風に。

1789年の「人権宣言」につづき、1791年には民事婚が認められ、1792年9月には、21歳以上の子どもに対する父権の廃止、教会から独立した戸籍制度、そして離婚に関する法律が矢継ぎ早に可決された。婚姻は民事契約となり、当事者の合意により解消することができるとされた。その事由には、重大な非行fauteのほか「性格の不一致」もふくまれる!

民法典の本格的な編纂がはじまったのは1793年で、モンターニュ派のカンバセレスを中心に3回、1793年、1794年、 1796年に法案が策定されますが、いずれも日の目を見ることはない(のちにポルタリスは「フランスが政治的な危機に瀕しているときに、立派な民法典が生まれるはずはなかった」と語る)。でも、カンバセレスはナポレオン法典が編纂された時期の第二統領でもありますからね、連続性と差異化の両方に目配りしていたに違いありません。

3つのカンバセレス法案のうち、いちばんラディカルなのは719条からなる1793 年案。前年の戸籍と離婚にかかわる法律が踏襲されただけでなく、当事者の一方が「動機の説明」なく離婚を求めることすら可能になった。「夫権」が廃止され、夫婦の財産は共同で管理するものとされた。同様に「父権」も廃止されて、21歳まで「両親」が「監督と保護」の義務を負うことになる。カンバセレスの言葉によれば「自然法の堅固な大地と共和国の処女地」のうえに築かれた法案は、封建制の特権を撤廃し、平等の理念に貫かれた野心的なものでありました(おかげで結婚の「尊厳」が失われたという批判が盛りあがった……)。

勝利して時代のトレンドとなった言説の背後にあって、何らかの影響力をもっていたはずの言葉を掘りおこす作業は大切ですよね。歴史というのは、いってみれば重層的な運動体です。カンバセレス法案は地下にもぐった水脈のようなものであり、第三共和制以降の民法改正を暗黙のうちに動機づけたにちがいない。しかし、それにしてもです。フランス19世紀は「家父長制」の時代であり、女性たちは「親密圏」に押しこまれていた。「女たちの声」が「公共圏」に反映されて、文字となり、文献資料として残される機会は、本当に少なかった。

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というわけで、三成美穂編『ジェンダーの比較法史学――近代法秩序の再検討』に話はうつります。編者による第Ⅰ部「〈ジェンダー法史学〉の構築にむけて」は、女性学やジェンダー研究の歴史的展望からはじまり、全体で100ページにおよぶ充実した論考です。批判的に問われているのは、女性は「親密圏」(かならずしも「家族」や「家庭」と同義ではない)、男性は「公共圏」という棲み分けの議論です。こうした公私の分離分割は、歴史がもたらした必然的な現象ではなく、「特定の文化における自覚的構築物」であるという指摘、大いに共感しました。

これに関連すると思うのですけれど、第9章「フランス法制史からのコメント」で石井三記氏が、アンシャン・レジームから1791年刑法典までは、いわば「自然的」な性差に基づくといえるのにたいし、ナポレオン刑法典そして19世紀の判例が示しているのは「社会的」な性差に基づく思考法であると述べておられます。近代ヨーロッパは、たとえば「親密圏」と「公共圏」とを厳密に線引きし対峙させることによって、性差を自覚的に構築したということですよね。そうした「公私二元的ジェンダー規範」を編纂して社会に浸透させる力を最大限に発揮したのは、ほかならぬ「法律」である――という認識から「ジェンダー法学」が立ちあがるのだということが、理解できました。

そういえば、グザヴィエ・マルタンの『ナポレオン法典の神話』をぱらぱらめくっていたら、「父親をつくるのは法律である」という小見出しがありました。ナポレオン自身の台詞であるようです。バルザックは、そういうこと、つまり法律が社会的な構築物として父親像や家族モデルをつくるということ、よくわかっていたと思いますね。法学や社会学の抽象化された思考に比べると、文学は徹底して具体的なのですけれど。でも、この話は別の機会にゆずることにして「姦通小説」からはるかに遠いところに来てしまったので、ぜひご紹介したいと考えた最後の1冊を。

タイトルはずばり『姦通の歴史――16~19世紀』。ただし事実としての姦通を扱っているのではなく、まさに「ジェンダー法学」の発想に寄りそった研究です。著者アニェス・ヴァルシュは歴史家で、文学にもよく目配りしていますが、なんといっても裁判にかかわる文献が史料の中核となっているところが特徴といえる。それにしても「姦通罪」の裁判は公文書・私文書の数も限られている。そもそも離婚が禁じられていたご時世に、なんで「親密圏」の恥をさらけだすような裁判をやるのかという問題があって――たいていは遺産相続や夫婦財産がらみですが――これはもう具体的なケースを話題にしないと、なんのことか想像できないでしょうね。

ナタリー・Z・デーヴィス『マルタン・ゲールの帰還――16世紀フランスの偽亭主事件』という名著を引き合いに出しましょう。長らく戦地に赴いていた亭主が村に帰還して結婚生活を再開したら、なんと10年もたったところで自分が本物だという男があらわれたという有名な事件がありました。他人の家庭に居座っていた偽物は絞首刑になり、妻は「姦通罪」に問われたけれど無罪放免となった。ヴァルシュの『姦通の歴史』が冒頭の章「ジャン・マイヤールの帰還」でとりあげるのは100年後の1670年、パリの高等法院で争われ、ドイツにまで反響がおよんでマルタン・ゲールの再来のような大騒動になった出来事です。

ジャン・マイヤールは姿を消してから40年もたって、再婚していた妻のもとにあらわれた。「姦通罪」で告訴された妻は、ただちに相手はジャンのふりをした偽物だとして男を告訴した。なにしろ姦通裁判の原告となれるのは(本物の)夫だけですから。きわめて稀なケースだけれど、当時の一般的な了解や知見が読みとれるところが面白い。たとえば姦通罪は民事ではなく刑事法廷で扱うとか。民事契約への違反ではなくて「犯罪」crimeだということなんでしょうね。教会の判断によれば、そもそも(男が本物だとしたら)ジャン・マイヤールの結婚は解消されていない。ところが妻は教会で「再婚相手」と挙式して、長らく内縁関係にあったときに誕生した子どもたちも、その場で「認知」されている。さあ、この子たちは、ナポレオン法典の用語でいう「姦生子」enfant adultérinということになるのでしょうか? 

ところで古いフランス語表現に「花嫁のヴェールの下に子ども置く」placer un enfant sous le poêleという言い回しがあるの、ご存じでしょうか。婚前妊娠のケースはいうまでもなく、何年も内縁関係にあったカップルについて、生まれた子どもを教会での結婚式に参列させることにより、両親との関係を公にして「嫡出性」を認めるというやり方です。このあいだソフィア・ローレンの映画を見ていたら、ああ、これだという場面がありましたが、それはともかく、非嫡出子への対応は、カトリック教会のほうがナポレオン法典にくらべて数倍は温情にみちている。

こんな具合にアンシャン・レジームの習俗や司法判断をちょっと調べただけで、革命以前の法制度と19 世紀の民法典のあいだの連続性あるいは重大な差異が見えてきそうな気がします。地下の水脈はあちこちでつながっており、革命法と民法を二項対立的にならべただけでは、硬直した議論になってしまうという意味です。とりあえず本日は、こんなところで。

「姦通小説」の話までいきませんでしたけれど、民法と姦通が関係あるといったって、たかが2年の実刑ぐらいじゃ、罰則による「抑止効果」は期待できませんから、そんなことを考えているわけではありません。そもそも道ならぬ恋というのは、障碍があってこそ、燃えあがるものでございますし。

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