工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

民法改正と姦通小説とモーパッサン

2012年 6月 24日

「わたしは姦通小説の専門家で…」というとジョークだと思われるのですけれど、マジメな話。なにしろフランス19世紀国民文学は大方が「姦通小説」なのであり、この問題を正面から考えていけないわけはありません。

文学には時代のジェンダー構造が反映されている。とりわけナポレオン法典の描きだす父権的な家族のイメージは、バルザック、フローベール、モーパッサンなど、近代小説のありようを決定したと考えています。大村敦志『民法改正を考える』(岩波新書)には、「民法の歴史の中では、19世紀はフランス民法典の世紀だった」とありますし、要するに女性の視点から近代ヨーロッパ批判をやりたかったら、やっぱり、ここが鍵となるはず……。というわけで、今回はジャン=ルイ・アルペランの『1804 年以降のフランス私法の歴史』Jean-Louis Halpérin, Histoire du droit privé français depuis 1804 を参照します。

1804年に成立したナポレオン法典は、革命によって権威を失っていた「家族」に秩序をもたらした、それと同時に「国家という大家族」にも秩序をもたらした、と第一帝政期に活躍した著名な法律家が指摘しています。「家庭内の権威」と「政治的な安定」は不可分だという了解は、その後も揺らぐことがない。19世紀を通じてフランスの政体はめまぐるしく変わりますが、1830年に王位に就いたルイ・フィリップは8人の子持ち、家族と国民に敬愛されるパパという演出をするのが大好きだったし、世紀の半ば、第二帝政の皇帝となったナポレオン3世も、大ナポレオンをみならって、家族を神聖な価値とみなしました。

こうして1804年の法典は、根底から問いなおされることなく生きつづけます。なかでも「家族法」の場合、ジャン・カルボニエの改革により、これが面目を新たにしたのは1960~70年代のことでした。上記、岩波新書によれば、この改革の要点は「性の解放と離婚の自由化」にあり、いわゆる「カルボニエ民法」の特徴は「多元主義」と「社会学主義」によって定義されるとのこと。宗教(カトリックかプロテスタントか、等)や社会階層、世代や地域によって異なる家族観に対応するために、複数の異なる考え方に基づく離婚原因が設けられました。保守的な層は「有責離婚」を用いるが、開放的な層は「合意離婚」の枠を活用し、まれなケースながら「破綻離婚」も認められるという方式です。さらに立法の正当性の根拠は、関係者の声を聞くという社会学的な調査によって確保されるという考え方が導入されました。

逆にいえば19世紀の民法は、単一の理想的な家族像を国民全体に浸透させようという姿勢によって貫かれ、社会の実態を反映するというよりも、理念としての家族、その普遍的なモデルを提示したということになるのでしょう。家族像の模範と離婚の可否という問題は不可分です。妻と子の権利に対し夫権と父権を圧倒的優位においたナポレオン法典が、いかなる差別を内包するかについては、今年の2月のエッセイに書きましたから、ここではくり返しません。

1804年の民法は、議論の末、厳しい条件をつけて離婚の可能性をのこしたのですが、ナポレオン退位後の復古王政は、民法そのものは温存したかわりに離婚をターゲットにした。こうして1816年に離婚が廃止され、その後、第三共和制になってから、1884年に「ナケ法」が離婚を復活させました。

保守的な人びとに言わせれば、いつでも別れられる結婚なんて「公然たる同棲」のようなものだ、ということらしいのです。離婚反対派の過激な信条を代弁したのは、王党派のルイ・ド・ボナルドで、離婚を認めれば「情熱恋愛の権利を暗黙のうちに認める」ことになる、それは「姦通を合法化する」ものであり、「家庭内に真正の民主主義を導き入れる」ことになる、と警鐘を鳴らしています。

結婚は解消不可能とする考え方が、結婚を秘蹟(サクラメント)とみなすローマ・カトリックの伝統に由来することはいうまでもありません。同じヨーロッパでも、結婚を契約として捉えるプロテスタント系諸国とフランスのあいだには、宗教に起因するジェンダー秩序の相違が横たわっているのです。

それにしても、離婚を許せば姦通を奨励するようなもの、というロジックは、正直のところ、わたしたちにはわかりにくい。むしろ、姦通は神聖なる結婚制度に対する反逆だ、と言い替えてみれば、これが文学の輝かしき主題となる理由が想像しやすいかもしれません。19世紀の半ばにかけて、ナポレオン法典が顕揚する夫権的家父長制が国民に受容されてゆく時期に、姦通小説は隆盛を見る。その頂点あるいは分水嶺に位置するのが、フローベール『ボヴァリー夫人』というわけです。

ところで、ヴィクトル・ユゴー、アレクサンドル・デュマ・フィス、ジョルジュ・サンドなどは、離婚制度を復活させようと論陣を張ったけれど、法律家たちはむしろ冷淡だったようです。そこにアルフレッド・ナケが登場。ユダヤ人にしてフリーメイソン、1869年には『宗教・所有・家族』という著作で、結婚という制度そのものが「自由の侵害」なのだと喝破して、4カ月の実刑を食らったという人物です。

フランスの場合、もともと離婚の可否は宗教がらみの問題でしたから、法案が議会に提出されてカトリック勢力が黙っているはずはありません。論争は長引き、政教分離派とカトリック教会との衝突という様相を帯びます。ようやく1884年7月27日法が成立し、これが「ナケ法」とも「離婚法」とも呼ばれるようになりました。その経緯は、アルペランの著作では「家族法の手直し」と題した章で論じられています(つまり「民法改正」には当たらないという意味)。離婚法は女性の解放を意図した法律ではなかったけれど、結果として家族のなかに――平等とはいえぬまでも――自由をもたらした、と著者は評価しています。

1804年の法典において「姦通」は有責離婚の事由と認められています。ただし2月のエッセイでも紹介したように、妻が夫に離婚を求める場合は「愛人を夫婦の住居に住まわせたとき」という条件がついている。さらに有罪とされた場合、妻は実刑で夫は罰金刑とか、とんでもない性差別がある。はたまた姦通現場で相手の男を殺した夫は「宥恕」することになっている。まあ、そういう強烈な格差があったから、なおのこと強調すべきだと思うですが、1884年法が画期的なのは「姦通」にかかわる男女不平等が撤廃されたという点です。

さて、離婚法の成立を、さっそく作品のプロットにつかった小説家は誰でしょう? モーパッサンの長編『ベラミ』――出版は1885年ですから、待ちかまえていたのでしょうね。野心家の美青年が、有能な未亡人と結婚し、愛人たちのツテで出世するという物語。投機で巨万の富を蓄えたユダヤ人の貞淑な妻を攻め落とし、事もあろうにその娘と結婚しようという大博打のなかで、切り札に使われたのが、離婚法です。

合法的に妻を厄介払いするために、姦通の現場に官憲とともに踏みこんで、ただちに裁判所に訴える。小説の終幕は、晴れて自由の身になった青年が、マドレーヌ教会で人形のような娘と結婚する場面。参列者たちのやりとりは、読者向けの解説ともなっています。教会は離婚を認めていないのに、なぜ再婚の男が挙式できたのか? いや、そもそも彼は未亡人との初婚のとき手軽な民事婚(行政への届け出)しかやらなかった、つまり神さまの前では、未婚ということになっているのさ……。

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モーパッサンはジャーナリストでもありました。1884年6月12日、つまり離婚法成立の1月半ほどまえに、大手日刊紙「ル・フィガロ」に「離婚と戯曲」と題した文章を寄稿しています。離婚ができるようになってしまったら、文学はネタがなくなって途方に暮れるだろう、という趣旨の軽妙にして皮肉たっぷりのエッセイを、かいつまんでご紹介しましょう。

役場の命じる貞操義務とやらは、ブーローニュの森で芝生に入るなという禁令と同じぐらい無視されているけれど、合法的に夫婦の絆を断ち切ることが許されるようになったことで、遵守されるとはいわぬまでも、少なくとも敬意に値するものにはなるだろう。ドン・キホーテよろしく、解消できぬ結婚という敵に独り立ちむかったムッシュー・ナケが数えたてた理由のほかにも色々と理由があって、離婚の復活は大いに結構といえる。その一方で離婚という新しい現象から、習俗や文学、とりわけ戯曲が、いったいどんな影響を受けるものか、興味津々、見守りたいと考える。18世紀の『マノン・レスコー』から今日のアルフォンス・ドーデまでを読めば、時代によって結婚をめぐるモラルが異なることはわかる――といった具合に話は進みますが、次は少しばかり引用を。

しかるに、今日と同様、過去においても、作家たちはもっぱら姦通という主題のなかで仕事をやってきたのである。結婚の契りは断ち切れないという前提のおかげで、著者たちのしたたかな想像力は、数えきれぬほどのシチュエーションや、どんでん返しや、結末を産みだすことができた。なかでも戯曲というジャンルは、夫婦をがんじがらめに縛ってきた民法の条文に、熱烈な感謝を捧げるべきだろう。

今後、文学はいかに変わってゆくか? 夫の名誉という問題はどこに行ってしまうのだろう? かつて男たちは、妻の姦通の相手を殺すか、いっそ目をつぶるか、それともメンツを捨てて許すかという難しい選択を迫られた。今後は、女房をしたたかに打擲し、離婚の事由をつくって、縁を切ればよい。おかげで結婚というドラマは簡単明瞭になった。しかし、この先ドラマをつくる作家たちは、不意にネタ切れになってしまったようなもので、劇的な結末を見つけるのに、さぞや苦労することだろう。離婚判決で幕というのでは、あまりに芸がない……。

辛辣なジョークのような文章だけれど、おわかりでしょうか。結婚は解消できないという前提がなくなったとき、家族観は本質から変わる。家父長の責務や、庶子の位置づけも変わる(本日はふれることができませんけれど、民法でいう「自然子」あるいは「非嫡出子」の問題は、なにしろ「姦通」や「相続」の問題がからみますから、19世紀小説の典型的なテーマのひとつでした)。そうした観点から『ベラミ』や『ピエールとジャン』や無数の短篇を読んでみると、モーパッサンは、それこそナポレオン法典の脱構築という野心をもって、世紀末の新しい習俗を描きだしているのではないかとも思われるのです。

ここで言いそえておきたいのは、時代の習俗が変わったからこそ「家族法の手直し」が実現したという当たりまえの事実です。民法が変わったから習俗が変わった、という指摘だけでは誤解を招くでしょうし、そもそもアルフレッド・ナケだけが孤軍奮闘したわけでもない、反教権主義の潮流やフェミニズムの貢献もありました。

それにまた、離婚の復活というていどの「手直し」で、家族から国家までを貫く父権的なモデルが根もとから揺らぐはずはないのです。よく知られているように第三共和制のフランスは、国民に対して「家父長」としてふるまう国家でありました。そして植民地帝国の臣民を、庇護すべき対象として、すなわち1804年の法典における妻や子と同様に「無能力」な存在として遇しました。近代ヨーロッパの「ジェンダー秩序」を語りたかったら、本当にさまざまのことを学ばなければなりません。

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