工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

『国民アイデンティティの創造』と「異文化理解」

2013年 3月 4日

アンヌ=マリ・ティエス『国民アイデンティティの創造』(勁草書房)――じつはずうっと前から考えていた企画なのですが、ようやく形になりました。訳者は斎藤かぐみさん。気っ風がよくて、とても読みやすい翻訳です。わたしは「はじめに」と巻末の「解説」を担当しました。このグローバル化の時代に「ナショナル・ヒストリー」とか「国民文学」とか、それぞれのネイションの内部に閉じこもって議論をするのは不毛ではないか。という指摘は、昔からあって、みんな理屈じゃわかっているけれど、手頃な文献はなかなか見つからない。それで、以前に東大のフランス科で原書講読に使っていた書物を翻訳して、ご紹介したいと思った次第です。

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わたしが放送大学で立ちあげてきた「異文化理解」の教育プログラムとも関連しますので、まず、こちらを先に。現在は客員教授として東京渋谷学習センターの面接授業をオーガナイズしています。2013年度は、英語を含め12カ国語の外国語が開講されますが、その教育構想は?

ひと頃は「視聴覚」の外国語教育というのが流行って、今では「IT化」が先端的なのかもしれませんね。でも、面接授業は人と人の出会いが勝負です。わざわざセンターまで足を運んでパソコンを覗き込むなんて無意味でしょう? 参加型の授業で外国語の初歩を教えながら、同時に本格的な異文化理解の話ができるような、優秀な研究者に講義を担当してもらう。これがカルチャー・センターや巷の語学校との差異化という意味でも、いちばん効果のある戦略だと思っています。

初習の外国語は大方が入門編。なにしろ一定数の履修者を確保しなければ、閉講になってしまうので。そのかわり、くり返し履修できるようなシステムを作ること。そして、多様な外国語に挑戦するモティヴェーションとなるように、魅力的な人文系リテラシー科目を周囲に配置すること。これが当面の努力目標です。

というわけで外国語カリキュラムの多様化戦略と今度の翻訳出版は、じつは無関係ではないのです。とりあえず話はヨーロッパにかぎりますが、「国語=国民語」が、それぞれにいつ頃、どのような状況で誕生したか、調べてみたことありますか? まずドイツ語の現在は、グリム兄弟ぬきでは語れない。昔話や民間伝承を収集し、言葉のルーツを探索し、文法書と辞書を編纂する。その方法論と作業モデルをつくって、ヨーロッパ全域、とりわけスラヴ圏の言語政策を牽引したのも、ほかならぬグリム兄弟。ただの童話作家ではありません。

この領域ではバッジオーニ『ヨーロッパの言語と国民』という先駆的な研究があるのですけれど、なにしろ大著だし、これは専門家向きの理論的な言語学。ティエスの場合、政治や社会の背景をドラマチックに描きながら、ノルウェー語、セルボ=クロアチア語、ギリシャ語などが、それぞれに「国語」の体裁を整える経緯を記述する。今さらいうまでもなく「国民アイデンティティ」の基礎は「国語」の確立と普及によってもたらされる――これは19世紀末には、ほぼヨーロッパ全域で共有されていた認識なのでしょう。ピエール・ロティがオスマン帝国を旅したときに、現地の言葉をひと言も話せなくとも、オスマン帝国のパスポートは簡単に手に入り、誰も怪しまなかったと証言しています。これを新鮮な「異文化体験」として記録するロティの言語的感性にも注目のこと。

さて『国民アイデンティティの創造』は、ちょっとメルヘン的なケルトの話、18世紀半ばにスコットランドで無名の青年が「オシアンの詩集」を発見したというエピソードで幕を開けるのですが、関連するテーマをたぐりよせながら、ヨーロッパの時間と空間を横断し、最終的には多民族・多言語国家であるオスマン帝国が解体したあとのバルカン半島、今日も葛藤や紛争が絶えぬ地域まで、しっかりと視野に入れている。そのダイナミックな展開は見事です。

1924年に消滅したオスマン帝国のエリートたちが使っていた共通語を、アラビア語表記からラテン語表記に変えて、文法や辞書を整えたのが、現在のトルコ共和国の「国語」であるところのトルコ語です。で、突然、話は変わりますが、2学期の面接授業に、初めてトルコ語が登場します。1学期に開講される若手研究者によるリレー講義「イスラーム諸国の過去と現在」および「初めてのアラビア語:文化編」とセットになった「異文化理解」のためのリテラシー科目という構想です。

行ったり来たりの話は、この辺でやめますが、ティエスの本には、英国と大陸にまたがるケルト文化、博覧会や博物館、民族音楽、キルト・スカートなどの民族衣装、児童書、ワンダーフォーゲル、ツール・ド・フランス、プロレタリア教育、ファシズムと民俗文化といった話題がめじろおし。そうしたもの全てが「国民アイデンティティの創造」に貢献したという話です。言いたいことは、よくわかるでしょう?

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R.MINAMI

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