工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

スカーフからキルパンへ―今、ケベックが面白い

2009年 2月 2日

「文学と映画は1月交替で。映画の月に文学の注文がきたら、今は映画の月だから、といって断ります。文学の月に映画の注文が来たら、同じ手法で断ります」という話をなさった方は、冗談がお好きですから、本気にはしないことにして、それはともかく、わたしも2本立ての心意気だけは真似てみようと思っています。

というわけで、昨年の今頃は、幸福にも文学にどっぷりでした。けれど、今や色気も才気もぬきで「ライシテ」(政教分離)と共和国。このサイトでも、何度か話題にしております(「〈共和国〉という、この困難なもの その1」「同 その2」「同 その3」「〈普遍〉と〈特殊〉あるいは〈契約〉としてのライシテ?」)。

どのぐらい色気とも才気とも無縁かといいますと、「スタジ報告書」(2004年の「スカーフ禁止法」に道を開いたとされる、大統領の諮問委員会によるレポート)と、これにかかわる3冊の著作を、実直に、さながらヴァーチャル・ゼミのように読んでみよう、という文章を100枚ほど書きました。要するに「スカーフ論争」を含め、政教分離をめぐる議論のアクチュアリティを追ってみようという話。これは科学研究費の報告書に掲載したあと、個人研究費でちょっとデザイン性のある抜刷を作って配布する。と同時に、ウェブにも立ち上げる予定です。

その100枚を書いているうちに、出会ってしまった新しいテーマがケベック!なにしろ「ライシテ」研究の第一人者ジャン・ボベロの近著には「ケベックはフランスの未来?」なんて挑発的な副題がついているのですよ(Jean Baubérot, Une Laïcité interculturelle, Le Québec, avenir de la France?, Edition de l’Aube, 2008)。

「スタジ報告書」を読んでいたときから、予感はありました。EU諸国のなかで、状況に差異はあるにせよ、オランダ、ベルギー、イギリス、そしてドイツなどは―「統合モデル」のフランスと異なり―おおまかにいえば「多元モデル」の道を歩んでいるといえるのですが、いずれの場合も、限界と矛盾が露呈しています。今、参照すべきは、ケベックの「良識的な妥協」accommodements raisonnablesではないか。これが2003年12月の「スタジ報告書」で明確に示されていた指針だったのです。

委員会メンバーのひとりで社会学者のアラン・トゥーレーヌは、政治哲学者アラン・ルノーとの対談で、ウィル・キムリッカに何度か言及し、「多文化主義の可能性」を探るべきだと主張する(キムリッカはカナダの政治学者で『多文化時代の市民権―マイノリティの権利と自由主義』『現代政治理論』などの翻訳あり)。そしてジャン・ボベロはケベックに長期滞在して、聞き取り調査を素材にした著作を出版してしまいました。研究者たちの視線は、明らかにEUの外に向けられています。

カナダには、これまでにもスカーフ論争、ターバン論争、私的調停組織としての「イスラーム法廷」論争、宗教を根拠とした休日闘争、ケベック州議会の議長席の背後にある「十字架」論争、地方議会など公的な場における「祈祷」論争、cabane à sucre(ドイツのビアホールみたいな感じですが、メインはメープルシロップ)のメニュー論争、等々、じつに盛りだくさんの話題がありました。

フランスは、「ムスリム女子生徒のスカーフ」という一極に集中して、メディア的に異様なまでに「興奮」してしまったのですけれど、むしろそのこと自体に、なぜ? という問いを発してみるべきかもしれません。

さて、ようやく「キルパン」の話になりますが、これは16世紀にインドで生まれたシク教の信徒が身につけるナイフです。宗教的なシンボルというだけでなく、危険物とみなされることもある。12歳の少年が学校の校庭で、そのキルパンを落としたというささいな出来事が、数年におよぶ論争とカナダの最高裁判所にまで至る司法闘争となり、メディアが煽った異文化摩擦の事件は他にもいろいろあって、ついに2007年2月、ケベック版「スタジ委員会」のような諮問委員会が、首相ジャン・シャレにより招集されました。

2名連記の委員長は、ジェラール・ブシャールとチャールズ・テイラー。ブシャールは、フランス語系で「主権主義」、つまり「分離独立」とまではいわないけれど、カナダ連邦政府に対してケベック州政府の権限を拡張しようという立場。兄リュシアン・ブシャールは、ケベック州首相の経歴をもつ政治家です。一方のテイラーは「多文化主義」の論客で、EUの「補完性原則」をカナダに導入するという政策提案にかかわった英語系の連邦主義者。この2名の人選、なんとも絶妙なバランスではありませんか。

通称「ブシャール=テイラー委員会」のレポートは2008年5月に提出されました。ジャン・ボベロは、この「報告書」に脱帽し、わたしは委員会のサイトにアクセスして圧倒されました(http://www.accommodements.qc.ca/)。「報告書」の完全版と縮約版をプリントアウトしたら、400ページ以上(ちなみに「スタジ報告書」は80ページ)。ページのデザインも美しいし、読めば本当に面白い! たとえば「良識的な妥協」accommodements raisonnablesとは何? という疑問も解けますし、ボベロの書物のタイトルUne Laïcité interculturelleに反映されている「インターカルチュラリズム」という概念も丁寧に解説されています。

連邦政府の「マルチカルチュラリズム」に対してケベック州は「インターカルチュラリズム」を提案するのです。この話は、それこそ1冊の本が書けるぐらいに奥深いのだけれど、とりあえず文学・宗教・文化政策といったわたしの関心領域からしても、チャールズ・テイラーやウィル・キムリッカなどの主著と、ジェラール・ブシャール『ケベックの生成と「新世界」―「ネイション」と「アイデンティティ」をめぐる比較史』とを読み合わせるぐらいの心構えが求められそうです。

わたしのような新米でも、すぐに見えてくることがないわけではありません。「マルチカルチュラリズム」は、1971年にカナダのトリュドー首相が世界に先駆けて宣言し、以来、連邦政府がとり組んできた「多元モデル」の政策です。これに対し、「インターカルチュラリズム」は、ケベックの特異性を踏まえたダイナミックな「統合モデル」ということになるでしょう。ケベック州の公文書にこの語彙が登場したのは1981年だそうですから、10年の開きがありますし、「マルチカルチュラリズム」のように世界的に認知されているかというと、まあその度合いは、かぎりなく低いでしょうね。

「マルチ」か「インター」か…。じっさい、政策レヴェルでは衝突があるのです。たとえば学校での「キルパン」着用については、ケベック州の控訴院判決は禁止、連邦最高裁は許可。これは理論的には予想できる。にもかかわらず、州の判断に対する連邦の介入だということで、大騒ぎになりました。ムスリムの「スカーフ」については、フランスの判断を踏襲せずというのが、ブシャール=テイラー委員会の結論です。

等々の話を整理して、新しい章を書き、増補版「ライシテ論」の抜刷を作ろうというのが、目下の計画なのですが、さて、いつになることやら…。

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