工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

「条件法過去」の夏

2008年 9月 23日

へとへと、です。むなしく書類にふりまわされた夏でした。命の通った「教育」をしたいと思うと、たいてい「制度」と衝突するのです。

HPも、長らくお休みしましたが、まずは「条件法過去」の写真をお見せしましょう。「昨日、もし晴れていたら、外出したのだが」とか「あの時、あなたがそう言ってくれたら、うまくいったはずなのに」とか。過去における非現実の仮定をあらわす時制を、フランス語で「条件法過去」といいますが、わたしの用語では、「あの人、条件法過去ね」というのは「愚痴っぽい」という意味。それでも一応、写真の由来を説明しておきますね。

鈴木一誌さんと管啓次郎さん、そしてわたしが、池袋のジュンク堂でトークセッションをやってから、もう半年近くたってしまいました。鈴木一誌さんが装幀を手がけてくださったわたしの評論集『砂漠論』は、そのときの話のネタのひとつ。管啓次郎さんがセッション直前の旅にこの本を持参して、記念写真をとってくださったというわけ。

Rapa Nui

写真のなかの、ぽっちゃりした手は、チリの女の子の手だそうです。管さんは島から島へと地球をわたり歩く人。わたしの本は、砂漠とバルザックの貴婦人がテーマ。そしてイースター島は、ピエール・ロティゆかりの地(二十歳のころ、人類学調査団の一員として、この島でモアイのスケッチをした)。なんと支離滅裂で素敵な出会いでしょう。と、独り、夢想を誘われておりました。

それに、今度は、ロティを素材にした本を書きたいと思っているものですから。予定としては、早々に大学院の印刷教材を書きあげて、今年の夏は、自分の本を! と思っていたのに、ああ、それなのに、「条件法過去」になってしまいました。

こちらは「複合過去」の話。神奈川学習センター「フェスタ・ヨコハマ」の講演会が、無事おわりました(2008年8月12日「横浜開港から多文化共生へ」参照)。これが休暇とはいえぬヴァカンスの最良の思い出。沢山の方が来てくださいました。だれかが「ネームヴァリュー」という言葉を使いましたが、そうではないと思う。なにしろテレビには出ないし。流行のテーマを研究しているわけでもありませんし。

それではなぜ? という理由を、わたしなりに考えてみました。まずはポスターの「ベトナム・ヨコハマ・フランス~多文化共生をテーマに」という表題を見た人は、??? と感じたに違いありません。講師が専門と異なるテーマを掲げ、当日は、ベトナムがご専門の素敵な先生も登場(小川さんのアオザイ姿は、本当にエレガントでした)。本番の前に、学生さんと打合会+勉強会のようなものを2度もやるなんて。

素晴らしかったのは、調査に参加してくださった学生さんたちの当日のパフォーマンスです。猛暑の季節、講演会まで1週間という日に、ようやく「いちょう小学校」とその周辺の取材という計画が具体化したのですから、正直のところ、ちょっと心配でした。でも、会場の拍手は圧倒的でしたね。

「いちょう小学校」に隣接する団地のベトナム料理店で、じっさいにボートピープルの方とお話しました、という報告があって、あの日の企画は「命が通った」のではないでしょうか。

1497年、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰をこえてインド洋に乗り入れ、アジアの海はヨーロッパとの交易によって栄えるが、やがて植民地化の時代が訪れて、仏領インドシナが成立し、太平洋戦争の終結とともに、ホー・チ・ミンのベトナム共和国が独立を宣言する。ベトナム戦争が泥沼化して、1975年の終戦後、生活の基盤を失った人々が、身ひとつでボートに乗って亡命を企てた。それらの「ボートピープル」のほんの一部が、横浜市に隣接する収容施設に住むようになり、この地域が、今日では「多文化共生」のモデルケースとみなされている。

以上が、わたしの話の筋書きですが、団地に足を運んでくださった学生さんたちは、生身の人間として、世界の歴史の結節点を見出したのです。ここに学びの原点があるという印象が、一瞬、会場に漂って、皆さんの共感と感動を誘った。というのが、わたしの感想です。

かねがね思っていることですが、公共放送というメディアを通しての教育は、やはり一方通行で、本部の教員が真剣に学生さんと向きあう機会もかぎられている。貴重な出会いの場を提供する学習センターの役割に、あらためて思い至った次第です。名古屋在住の学生さんの報告と感想をご覧ください。
http://hobo.no-blog.jp/train/2008/08/post_18c2.html

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