工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

語彙の問題(話のつづき)

2008年 7月 8日

昔つとめていた職場に足を向けることは、ほとんどありません。ハムレットのお父さんではあるまいし、用もないのに古巣に出没したら、亡霊みたいではないですか…。などといいながら、羽田正さんという友人に誘われると、小犬のように(そんなに可愛くない?)尻尾をふってついていってしまうわたしであります。

東京大学のグローバルCOE「共生のための国際哲学プログラム」(UTCP)の枠内に立ち上げられた「世俗化・宗教・国家」という教育プログラムのセミナーに参加してきました。昔の職場をはなれて早4年。こうして「学際研究」の手応えが本物になってゆく。という嬉しい実感をもちました。もちろん羽田ゼミだからこそ、なのでしょうけれど。毎週、セミナーの報告をWebに載せるというのは、以前なら想像もつかぬこと。

UTCP「共生のための国際哲学特別研究Ⅰ」へのリンク

お誘いをいただいたときのメールに、基本的な文献をできるだけたくさん読んで、使用する語彙の意味を確定しなければならない、とありました。で、さっそく語彙の問題ですが、今日的な意味での、つまり1905年に「政教分離法」として法制化される概念としてのlaïcitéは、1887年 Ferdinand Buisson, Dictionnaire de pédagogie et d’instruction primaireに初めて登録されたものだそうです(Alain Renaut, Alain Touraine, Un débat sur la laïcité, Stock, 2005, p. 19)

1866─1877年に出版された『19世紀ラルース大辞典』にもlaïcitéという項目はありますが、解説はlaïqueの名詞としての用法を紹介す るだけで、わずか4行足らず。第三共和政の公教育の基礎を築いたジュール・フェリーが、1879年に公立小学校の教員に宛てた有名な公開書簡を検索してみると、形容詞の用法がenseignement laïqueとécole laïqueと2例あるのみで、やはりlaïcitéという語彙は見あたりません。

ただしlaïqueという形容詞の今日的な意味での用法は宗教改革にまでさかのぼる。というのがゼミで紹介した話です(ええっと、ルターだったか、カルヴァンだったかしら、と一瞬まよった覚えはありますが、正しくはカルヴァン、なぜってフランス語の語彙の話をしていたのですから)。民事裁判を担当するのはjuges laïquesであることが望ましい、という文脈ですが、ジュール・フェリーの学校教育の話と同様、「聖職者」ではない、「教会」や「修道会」のものではない、要するに「宗教」から「制度的」に独立した人格という意味でしょう。「信仰」とは別次元の概念であることに留意してください(Jean Baubérot, Les laïcités dans le monde, PUF, Que sais-je ? 2007, p. 15) 。

上記ジャン・ボベロの著作には、laïqueの語源は、ギリシア語のlaosであるという話が出てきます(p.5, p.111)。laosはclerc(聖職者・神官)と対立する言葉。「一般人」などと訳してもわからないので「非聖職者」としておきます。

そこで考えていただきたいのです。ひとつの「語彙=概念」の起源が歴史の彼方にあるという言説は、歴史の重みと同時に、ある種の「正統性」をその語彙に付与します。そして古代の輝きが、フランスという「laïqueな共和国」にそえられます。「ライシテ」とは、地中海古代文明の「内部」で懐胎された価値であり、フランス共和国が体現するところの「ヨーロッパ文明」の本質である ─ そんな「物語」を、無意識のうちに読みとってしまう人もいるでしょう。

無責任なWeb空間なので、あえて軽薄なことをいいますけど、それって「知的植民地主義」じゃありませんか? 古代エジプトも古代ギリシアもアーリアのインダス文明も、ヨーロッパ文明の淵源であり、「われわれの歴史」の起源だというのです。

念のために。いいたいのは、過去と現在をむすぶ安直な「起源の物語」は収奪の仕草につながる、それは他者を排除し、その存在を隠蔽するから、というだけのこと。わたしが歴史家と歴史学に対していだく敬意に変わりはありません。

さて「スタジ報告書」(6月18日、「共和国」という、この困難なもの(その1)参照)の冒頭部分にも、こんな一文が。

ライシテは、われわれの集合的な歴史に組み込まれている。
それは古代ギリシア、ルネサンスと宗教改革、ナントの勅令、そして啓蒙思想を拠り所とするものであり、これらのステップは、それぞれのやり方で、人間の自律と思想の自由を発展させてきた。

ちなみにヨーロッパに生きるムスリムたちは、「われわれの集合的な歴史」の「外部」におかれているのでしょうか? ヨーロッパにいわせれば、イスラームは、ギリシア文明との関係でも完全な「外部」、そして「闖入者」ということになる? もうちょっと譲歩して、ヨーロッパの源流である貴重な「古代文明」を、とりあえずルネサンスにいたるまで、大切に「保管」していた「媒体文明」――みたいなイメージで語られることもありますね。

この問題は、タラル・アサド『世俗の形成―キリスト教、イスラム、近代』が示唆していることに、関係がありそうです。むずかしそうな本ですけれど。ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームは、同じ地中海世界で生まれ、交流も、衝突も、当然あったけれど、とにかく同じ時空を重層的に分かち合い、長い歴史を生きてきた。誰だって知っていることです。

近代的な学問の分類的な思考は、のっけから、たとえばイスラームとキリスト教の「本質的な相違」を腑分けしようと意気込んで、腕まくりをしているように見えます。むしろ同じ根をもつ伝統が共有するもの、すなわち「相違」ではなく「共通性」に着目し、そこから枝分かれしたり、ふたたび合流したり、影響を与えあったり、という歴史の複合的な運動を、柔軟に記述することはできないでしょうか。わたしが思いおこしているのは、あの名著、井筒俊彦『イスラーム 哲学の原像』(岩波新書)です。

最後にもう一度、次の文章に、精一杯、尻尾をふってしまおうと思います。

「日本史」と「東洋史」と「西洋史」を合わせれば「世界史」になるのではない。地域史や時代史のグリッドを集めて組み合わせても世界史にはならない。世界全体の過去を鳥瞰し、新しい歴史学の潮流を意識しながら、人類が共通の過去を持っているということが理解できるような「世界史」を構想すべきなのだ。(羽田正「歴史理論」『史學雑誌 2007年の歴史学界―回顧と展望―』史學會、2008年、p. 9)

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