工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

「共和国」という、この困難なもの(その2)

2008年 6月 24日

先々回(6月6日)に書いたことですが、わたしはiPodで手当たりしだいに古典の朗読を聞き流すという趣味のもちぬしで、たいてい家事や散歩のときにやっているものですから、なおのこと「犬も歩けば……」という感じなのですが……。これは教材にできる!と思った「めっけもの」を、本日はご紹介します。

先回の話題(6月18日)をうけて、フランスの1905年に注目してみましょう。カトリック教会と共和派が、「国民教育」の主導権をめぐり、熾烈な争いを長年つづけたのち、ついに勝負あり! という時代、まさに歴史の曲がり角です。

その教材とは。マルセル・パニョル(1895~1974年)という名は、昔フランス語を習った人、あるいは映画好きの人なら、ご存じかもしれません。父親は熱烈な共和主義の小学校教師でした。生まれた年からおわかりのように、「ライシテ」をめぐる闘争のまっただなかで、少年時代を過ごした世代です。教育改革のおかげでマルセイユ郊外の小さな村の子どもでも、頭がよければ師範学校に通えるようになった。ここは思い切り「ライック」な世界……。

引用の冒頭にある「反教権主義」は、ローマ教皇庁を頂点とする制度化されたカトリック教会への全面的な対決と批判、とご理解ください。

当時の初等師範学校は、神学校そっくりだったが、ただし神学の勉強にかわってやられているのは反教権主義の授業だった。
青少年に教えこまれるのは、次のようなことだった。教会というのは、つねにかわらず圧制の手先だったし、坊さんたちに目標と任務があるとするなら、それは民衆に地獄や天国のおとぎ話を聞かせる一方で、無知という黒い目隠しで目を覆ってしまうことだ、というのである。
それに「神父さん」という連中は、何かよからぬ魂胆をもっている。あのラテン語というやつを使うのが、何よりの証拠。ちんぷんかんぷんの言葉だが、無知な信者にとっては、まじないのように、怪しげな効き目がある。
ボルジア家の父と息子〔注:淫蕩で残忍だったといわれるチェーザレ・ボルジアとその父、教皇アレクサンデル6世〕を見れば、あれが教皇庁の立派な代表であることがわかる、というふうで、しかも、こんな扱いの教皇に比べ、国王のほうは手加減されていたというわけではない。あの好色な暴君どもは、女を囲うことか、さもなければ剣玉遊びをやることしか念頭にない。しかもその間に、ごろつき役人どもは法外な税金をしぼりとっている。それは国民の収入の10パーセントに相当するほどの額だった、というのである。
こんな具合で、歴史の授業は、共和国的な真理の側に巧みによじまげられていた。
ただし、私としては、われらの「共和国」に恨みがあるなどというつもりはない。昔から世界史の教科書とは、そんなものだろうけれど、要は時の政府におもねるプロパガンダのパンフレットにすぎないからである。
こうして師範学校を出たばかりの若者たちが確信していたところによれば、大革命の時代とは、牧歌的な時代、友愛が情愛にまで高められた寛容の黄金時代、要するに善意の爆発なのだった。
それにしても、これら非宗教的な革命の天使たちは、2万人もの人間を殺してさんざん盗みもやった挙げ句、こんどはギロチンでお互いの首を斬りあったはずなのだが、そんな話を聞かされて、若者たちが奇妙に思わなかったとは、なんとも腑に落ちないことである。
しかしその一方で、こんなこともある。私の村の神父さんは、じつに聡明で、たくましい慈愛の精神をもっていたが、この神父さんによれば、異端審問裁判所とは、いってみれば親族会議のようなものだった。偉い坊さんたちが、あれほど沢山のユダヤ人や学者たちを火あぶりにしたのは事実だけれど、それは、天国に送ってやるために、目に涙をためてやったことだ、と神父さんはいうのだった。
われわれの理性とは、こんなにか弱きものなのだ。たいていの場合、自分の信じていることを正当化しようとするためにしか、理性が役に立つことはないのである。

『少年時代の思い出 ―父の大手柄』
Marcel Pagnol, Souvenirs d’enfance I, La Gloire de mon père

日本語で読むと笑えないかもしれませんけれど、とぼけた皮肉と諧謔にみちたテクストです。読み方しだいで「文学」は、歴史に「実感」をもたらすものだと思うのです。世相が目に見える、というのは、楽しいことでしょう?

じっさいには、フランス大革命のときに共和国に「宣誓」した聖職者の系譜がありますし、20世紀初頭のフランス国民は大方が、自分はカトリックだと思っていましたから、上記のような二項対立的な応酬は、いわば本質を誇張した模範例にすぎません。それにしても、カトリック教会の歴史観が優位を占めれば「共和国のアイデンティティ」は確立できない、という危機感は、よく伝わるのではないでしょうか。行動的な共和主義者には、プロテスタントが多かったという事実も大切です。この時点での「国家vs.宗教」とは、じつは「共和国vs.カトリック教会」だった、しかもその根源には「全面対決」の力学があった。これが引用テクストのポイントです。

1905年の法律の施行にさいしては、ときには国家憲兵隊が登場し、修道会系の学校から聖職者を排除する、教室の十字架をとりはずす、等々の実力行使を行いました。もちろん学校の外であれば、神父さんは好きなだけ子どもに教理問答を教えることができる。これが「空間的な政教分離」という方式です。かつての十字架も、今日のスカーフも、要するに「宗教的シンボル」ではないか。漠然とそう感じているフランス人は、少なくないのかもしれません。

最後に、1905年12月9日の法律を原文で引き、内容を要約しておきましょう。第1条。共和国は、信仰の自由を保障する。公の秩序に抵触しないかぎり、信仰に関わる行為を自由に行うことができる。第2条。いかなる宗派に対しても、国家予算から聖職者の給与や礼拝などの補助金を支払うことはない。ただし、教育、病院、監獄などの公的機関における「施設つき司祭」は別あつかい。

すなわち20世紀の初めまで、フランスでは公認の宗教(カトリック、ルター派とカルヴァン派のプロテスタント、ユダヤ教)の聖職者や教会の諸経費に、国の予算が投入されていたわけです。むしろ、そのことを念頭において「政教分離」という発想が起因する歴史の力学を、探るべきだと思われます。

Loi du 9 décembre 1905 relative à la séparation des Églises et de l’État

ARTICLE PREMIER. - La République assure la liberté de conscience. Elle garantit le libre exercice des cultes sous les seules restrictions édictées ci-après dans l’intérêt de l’ordre public.

ART. 2.- La République ne reconnaît, ne salarie ni ne subventionne aucun culte. En conséquence, à partir du 1er janvier qui suivra la promulgation de la présente loi, seront supprimées des budgets de l’État, des départements et des communes, toutes dépenses relatives à l’exercice des cultes. Pourront toutefois être inscrites auxdits budgets les dépenses relatives à des services d’aumônerie et destinées à assurer le libre exercice des cultes dans les établissements publics tels que lycées, collèges, écoles, hospices, asiles et prisons.

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