工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

ラジオ讃

2008年 6月 6日

大学院のラジオ科目を制作しています。わたしの専門は地味なので、もっぱらラジオ。いえ、本音をいえば、ミラン・クンデラのpudeur*という言葉に、ひと頃、すっかり惚れこんでいたぐらいですから、いずれにせよ、テレビの露出度に耐える気力はないのです。ほぼ音声メディアでつとまるらしいとわかって、放送大学に移りました。

鬱陶しい身体から切り離された声が、好きなのですね、もちろん自分の声ではなく、人の声を聴くことが。どのぐらい音声マニアかというと、わたしのiTunesには112GBの音声データが入っていて、そのほとんどは、古典文学や哲学の朗読CDです。なにしろ『失われた時を求めて』だけでCD111枚。外交官のノルポワ氏の口調なんか、吹き出すほどに可笑しい。わたしのプルーストは、耳学問です。

フランスのラジオ局France Cultureの文化番組をiTunesでダウンロードして聴くことも習慣にしています。歴史やイスラームなどに関連するものを十数個、自動的にダウンロードして家事や買い出しのときにiPodで聞き流していると、気分転換にもなるし、ラジオ番組の技法についても、啓発されるところが多々あるのです。けれど、ざんねんながら、大学の放送教材という予算的かつ物理的な制約があり、もちろん自分の力量も足りませんから、たいしたことは出来ません。でも、今回は、自分で翻訳して朗読したり、ブリッジのBGMを入れてみたり。ちょっとは進歩するかもしれません。

iTunesデータの第三の使用法は、ジョゼフィン・ベイカーとか、モーリス・シュヴァリエとか、古めかしいシャンソンを1000曲ぐらい選び、その小さめのiPodをリシャッフル・モードで流すこと。上等のスピーカーをテーブルのうえに置いて、朝日の当たる居間でゆっくり朝食をとっていると、これが長閑な老後のイメージかな、なんて思います。

それにしても、シャンソンにかぎらず一国の歌謡は立派な「文化遺産」なんですね。France cultureの文化番組で気分転換と話題の展開のために活用している時代物の録音を聴くと、こうした音声アーカイヴが、いかに雄弁にして貴重な歴史の証言者となりうるか、いつも感嘆するのです。日本のラジオは、イメージの欠落した貧弱なテレビぐらいの位置づけなんでしょうか。わたしなど、言葉と親しむには、独り静かにそこにいない人の声に耳をかたむけていたほうがいい、と思うのですけれど。不在の人の言葉という意味で、ラジオはプルーストの読書論につらなるところがあるのです。

このところ、音声メディアの話をエッセイのネタにしたり、いろいろキャンペーンなど、やっているものですから、本日はその余勢を駆った雑文となりました。

* 辞書で引けば「恥じらい」とか「羞恥心」ということでしょうけれど、「ひっそり暮らしたい」というのが、わたしの意訳です。

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