工藤庸子, 放送大学教授,
eternel imparfait

教室便り―新学期

2008年 4月 28日

教壇に立つようになって、もう30年以上たつのですけれど、新しい顔ぶれの教室に入るときには、気後れと期待が相半ばする緊張感を味わいます。4月26日は、大学院修士課程の在籍者と学部で卒業研究を履修する学生との合同ゼミでした。学生さんたちの研究テーマは本当に多種多様。毎年、わたし自身が未知の領域に迷いこみ、思ってもみなかった本を買いあさり、新入生のように学ぶことになる。これが教師という職業の素晴らしさ、ですね。

学部の面接授業では、1学期に「初歩のフランス語」と「フランス語講読(近代小説)」を開講します。「初歩」のシリーズは、カラープリントの共通教材やDVD、ウェブ教材などを独自に開発しています。学外でも評判は高いのですが、在籍する学生さんたちが、すでに履修してしまったらしいので(同じ名称の科目を2度はとれませんから)、人数が減ってきました。できれば冬の集中講義から、内容と看板をリニューアルしようと考えています。

外国語学習は、めげずにくり返すことが大切です。出発点に立ち戻り、ABCの読み方、簡単な会話など、なんどでも挑戦してみましょう。教室は、語学の「訓練」をするというよりは、言葉を声に出し「コミュニケーション」の醍醐味を味わってみる場です。それだけでなく――語学にかぎらず、一般論としていえることですが――放送大学の面接授業は、水準の高い文化的な話題が飛びかう開かれた教室であってほしい。講師の先生方は、現代のフランスやフランス語圏を知りつくした優秀な研究者。そして学生さんたちは、知識欲があり、人生経験もゆたかだし、世界中を歩きまわった人などもいる。独特の活気があることはたしかです。

中級講読クラスの開講は、はじめての試みです。私のえらんだテクストはプロスペル・メリメの『カルメン』。若手研究者の南玲子さんが、スタンダールの『赤と黒』を担当します。5回目の授業は、東京大学のヴァセルマン先生。朗読の発音練習だけでなく、流暢な日本語と聴きとりやすいフランス語のチャンポンで「テクスト分析」もやっていただきます。なかなか贅沢でしょう?

使用テクストは当日コピーを配布。あらかじめ、このサイトにPDFを掲載していますので、熱意のある履修者は、予習しておいてください。(教材のダウンロード:『赤と黒』『カルメン』

ところで「テクスト分析」とは何か。すこしひねっていうならば、それはフランス共和国が「文学」という国民的な文化遺産を小学校から大学までの教育制度にしっかり組み込むために開発した、きわめて完成度の高い言語的なアプローチの技法です。語彙のニュアンス、文法の規範とその逸脱、文章のリズムや構文など文体の特徴、メタファーやレトリック、段落構成の手法、記述の視点や時制の構造、等々。むずかしそうですか? 面白いですよ。わたしの「フランス語講読」においでください。

じつは翻訳という営みも、こうした「テクスト分析」が基盤になっています。日本語の語彙や言葉のリズムにこだわるのは最後の仕事。たとえば、以前にも引用しましたけれど(2007年9月10日「翻訳三昧」)、カルメンの捨て台詞。

おまえさんの話はできない相談ってものなんだよ。あたしゃもう、あんたには惚れてはいないんだ。で、あんたのほうは、あいかわらずあたしに惚れている。だからあたしを殺そうとしているんだろう。もうちっと嘘をつきとおしてみてもいいけどさ。でもねえ、わざわざそんなことをやるのも疲れちまったよ。あたしたちの仲はすっかりおわったんだ……

ひとつの動詞だって、訳し方はいろいろある。「愛している」「好き」「恋しい」「欲しい」「夢中」「可愛く思う」「憎からず思う」……。やっぱりここは「惚れた」でしょう。カルメンの生きた時代、その社会的・文化的な背景を学んだうえで、ヒロインを造形するのです。そして、いよいよ肉声の「イントネーション」を想像=創造するわけ。翻訳者としては、最高に楽しい仕上げ作業なのですけれど、この先は、稿を改めて。

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